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俺を振った女には不幸でいてもらいたい

私を振った女性には不幸でいてもらいたい。それが偽らざるホンネでございます。

特に、一時期でも心が通じ合っていたであろう相手には、その傾向を強く感じます。

何ともまぁ驚くべき器の小ささであると自分でも思います。

そういうところが振られた一因ではないか、という指摘も聞こえて来そうです。

しかし、それでもやはり、私を振った女性には不幸でいてもらいたいのであります。


逆に、私を振ったことで彼女が幸せになっていたとしたら、私の心が崩壊してしまいます。

私の存在価値を否定されているような気分になるからでございます。

女性の場合、自分が振った相手と再会して、その彼が結婚したり家庭を持ってたりすると、「幸せそうで良かった、安心した」などと言います。

それを本気で心から思って言っているのかと訝しく思います。

お世辞はもういい、お前のホンネはどこにあるのかと問い詰めたい気持ちです。


本当は逃した魚は大きかったと後悔しているのではないか。そして、そうであって欲しい。

私を振った女性が不幸であることが、私の心の平穏を保つのでございます。

そう、人間の本音とは往々にして醜いものです。この率直な告白は、失恋の痛手から生まれた復讐心と自己防衛の機制を赤裸々に描き出しています。

筆者の自己認識は鋭く、自らの器の小ささを認めつつも、なお相手の不幸を願わずにはいられない心情を吐露します。「存在価値の否定」という言葉には、傷ついた自尊心の叫びが聞こえます。

女性の「幸せそうで良かった」という言葉への疑念は、筆者自身の本音と建前の葛藤を映し出す鏡となっています。

しかし、この感情の正直さこそが読者の共感を呼ぶのです。誰しも心の片隅にある、口に出せない感情を代弁しているからです。

ただし、この感情に溺れることの危険性も見逃せません。他者の不幸を願うことは、結局のところ自分自身を蝕むことになるでしょう。

Claudeによる書評


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