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必要なのは「コモディティ」でなく「承認」である

27歳独身。彼女なし。そこそこの大学を出て、つぶしの効かない仕事をしている僕が、紳士から教わったのは、まったく聞いたこともない新しい成功法則だった――。「学び方を学べ」「才能は幻想。すべては技術だ」「必要なことはすべて調達できる」「日本を解散せよ」……、5年前に刊行され「今こそ読むべき!」と話題の書籍を特別に無料で公開。事業家・思想家の山口揚平さんが、新しい時代の新しい成功ルールを紹介します。


システムを運営するマジョリティが少数派になる


「少数派と多数派が逆転すると……」

「一見矛盾するようだが、内容はこうだ。マジョリティというのは、これまで作り上げてきた世界・システムを維持・運営する人々。現在の資本主義の仕組みも、このマジョリティが維持しているよね。マイノリティというのは、そこからあぶれているが、新しい仕組みを作り出そうとする層のこと。具体的には、ニート(60万人、疾病ニート、コミュ障ニート、高学歴ニート等)、若年派遣労働者、LGBT(同性愛者、性別越境者など。15人に1人)、シングルマザー(70万人)、独居老人(100万人)、年収200万円以下(1000万人)、つまり社会のレールから外れた人達。こういった人達が、正規雇用労働者、従業員1000人以上の会社での勤務、専門職、公務員およびその家族の総人数よりも多くなっているということなんだ」

「つまり、少数派と多数派の逆転だ……。でも、それは、格差社会とどう違いがあるのですか?」

「格差がある一定まで来ると、社会のシステムが変わる。マジョリティの社会システムというのは、タテ社会だ。これは、一番下から、労働やお金や選挙の票やらを吸い上げて、上からシャワーのように降らす、という仕組みのことだ」

「昭和の日本の姿ですね」

「一方、マイノリティというのは、中心をくりぬかれた周辺にいる」

「周辺……」

「住んでいる所も郊外が多い。彼らは、どうするか?」

「ヨコでつながる……」

「そう。そして必要な資源をヨコで互いに融通し合うというシステムを作るんだ。これは、上からシャワーのように降らす縦社会とは違う。社会システムのあり方が全然違うんだ」

「確かに都心では隣の家に無関心というところもありますよね。郊外の住宅のほうが、お互いの行き来も多い気がします」

「そうだね」

「僕の家ではよく、夫婦喧嘩して怒りを吐き出しに、近所のおばさんが来てました」

「それは微笑ましい」

「今思えば微笑ましいですけど……。当時はリビングがおふくろとおばさんで占領されるんです。テレビがリビングにしかなかったので、好きなアニメが見れなくて、めちゃくちゃおばさんを恨んだのを覚えてます。『あの家の夫婦喧嘩のせいでアニメが見れなかった!』って」

「いやいや、しかし君の田舎は、そんなコミュニティがあるおかげで、離婚率が低いのかもしれないね」

「確かに」

必要なのは「コモディティ」でなく、「承認」である


「マジョリティが、下から吸い上げて、上から降らすことができるものは、当然ながら数字で測ることができるものに限定される。いわゆるコモディティ(匿名の製品・サービス。たとえば金・票・エネルギー)というものだ」

「一番わかりやすいのは、給料ですね」

「そう。逆にいえば、オリジナルなもの、たとえば、“ピカソが皿に描いた絵”なんていうのを全部吸い上げて流すのは不可能だ。そしてこの“コモディティ”というのは、要するに、生活(衣<医>食住)に必要な水や食料や住居だ。人間の基本的な生活に必要なのはこういったコモディティだから、人々が生存欲求を求めている時代にはこちらが便利だった」

「戦後の日本とかはまさにそれでしたね」

「でも、今の時代を見てごらん? 自殺する人は多いけど、餓死する人はまずいない。つまり、生存欲求というのはすでに満たされているんだ。むしろ断食や不食がブームになる時代だ」

「じゃあ、どんな欲求をみんな持っているんだろう……」

「Facebookでは『いいね』の数に一喜一憂し、LINEのやりとりに熱中している。当然ながら欲求が変われば、社会も当然変わってくる」

「“いいね”や“LINE”によってできる社会って、どんな社会でしょう……」

「いいかい? 20世紀までの人権は、生存する権利・最低限度の人間的生活をする権利だった。まさに生きるための権利だ。しかし21世紀の人権はもっと上のほうまで広がると私は思うよ。つまり、承認欲求だ。『社会から尊敬される権利』まで広がるということだ

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「社会から尊敬される権利かぁ。僕は、中学の時にパソコンの授業があったんです。その授業中、ずーっとさぼってネットばかり見ていました。特にブログを」

「君が中学の時代だと、ミクシィやブログが流行り出した頃だね」

「それまでは人の日記なんて読む機会はなかった。あるとしても、雑誌や新聞のコラムとか、有名人や文筆家しかいなかった。普通の人の、普通の書き込みがあふれているのを見て、ふと思ったんです。あぁ、一億総主張主義に突入したんだな……って」

「その主張が、受け入れられ、尊敬される欲求まで高まっているということだ」

「その承認欲求は、ヨコ社会と関係するんですか?」

「ここからが肝心さ。いいかい? ヨコでつながらざるを得ないマイノリティはその人数や社会での比率を増やしながら、互いに必要なものを賄って暮らすこともできるようになる。いわゆるシェア経済だ」

ネットワーク社会でお金は不要になるのか


「シェア経済……」

「資源をヨコで融通し合うシェア経済は、大量生産が有利に働くコモディティの流通には適さない。でもインターネットを中心としたネットワークが少しだけそれを解決してくれる」

「さっき出た、“必要なものをコミュニティを利用しお互いに譲り合う方法”ですね」

「そうだ。インターネットなら、何かを必要としているAさんと、それを持っているBさんが互いに瞬時につながることができる。そして、SNSを使えばAさんとBさんの親密度もわかる。GPSで距離もわかる。だからお金というコモディティを介さなくても、資源を流通しやすくはなっているんだ。まだ完全とはいえないけどね。そして何より、このシェア経済は、21世紀に人が求めるもの、つまり承認欲求を満たすのに適している。21世紀の経済活動のほとんどは、この社会的価値を満たす企業によって構成されるだろうね」

「なるほど」

「つまり、今の社会では、実は“お金”と“ネットワーク”は同じレベルで競合しているってわけさ。お金は中間媒体(メディア)であり、ネットワークは、本人同士を直接つなげる。あとは、AさんとBさんの信頼関係(クレジット)でやりとりが決まる。大事なことはお金を持っていることではない。AさんとBさんがそれぞれ信頼関係があるか、双方に信頼残高があるか、ということだ」

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「ネットワークがコミュニケーションの中心になるにつれて、信頼関係とかは希薄になるのかと思っていたのですが」

「ネットの世界だからこそ、信頼が大事だ」

「はい!」

「そして、このやりとりでは、Aさんは、匿名のモノやサービスだけでなく、そのモノやサービスに“思い”を載せて運ぶことができるということだ」

「思い」

「これが“生命”を生む。生命とは“思い”の連鎖だと先ほど話しただろう。その有機的なつながりが、我々、自然の1つである人間をより幸せにしてゆくんだ」

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