見出し画像

学習理論備忘録(1) 帰属・学習性無力感

娘が保育園に登園する際、マスクがうまくつけられずに泣き出した。その後も行く道々でさまざまなことがうまく運ばなかったようで、泣きつづけであったところに、弱り目に祟り目。近所の番犬にひどく吠えられた。もう一度言うが道々ずっと泣きつづけであった。だが吠えられた途端に娘は「うわーん、犬のせいで泣いたー」と言った。娘は3歳である。

心の中のことをすぐに言葉にしてくれるので私としてはありがたく、考察の対象にさせていただく。まこと親思いの娘である。

原因の説明、すなわち帰属が明らかにまちがっている。

人に恨みを抱くときなどには、帰属のエラーがよく起こる。ありがちなのが「あの発言は、俺へのあてつけだ」などといった類のものだ。娘もよく「パパが意地悪したー」と人聞きの悪いことを言う。幸い私は妻に信頼があるので「パパは意地悪しないでしょ(ママはするけど)」と言ってもらえるのが救いだが。とにかく、のちのち複雑で面倒なものになっていく人の「誤った帰属」というものの萌芽を目の当たりにすることができる。出来事が何回かくり返し起こるから成立する帰属でなく、たった一回の出来事に対してでも適当な理由づけを成り立たせるような帰属である。人の心に関する適当な当て推量を「素朴心理学」などと揶揄気味言うことがあるが、娘は自分自身に対しても立派な素朴心理学者である。自分の心がわからないとは言わず、誤った結論を「断言」するのである。


「なぜ?」
人はそう考える。そう考えることについて考えた心理学の理論が、帰属理論(attribution theory)である。
初期の帰属理論はハイダー(1958)が提唱したということになっている。原因があって効果がある、という因果律に対する概念的枠組みの理論である。たとえば「二度寝をする」が原因で「遅刻をする」が効果である。それはまあまあ正しいほうの帰属であろう。二度寝をするとき遅刻をし、二度寝をしなければ遅刻をしない、という事実には再現性があるからである。逆に、「空が青いのは海の青さが映ったからだ」というような明らかにまちがった帰属もある。他に「プシュケーが開けてはならないと言われた箱を開けたのは、意志が弱かったから」というような人の心理とか性質について述べる帰属もある。明らかなまちがいというのとは違うが、「決めたことを守らない」のを「意志が弱い」などと呼ぶのであって、それを「決めたことを守らないのは意志が弱いからだ」と言ってしまうとなにをも言っていないのと同じ、トートロジーと呼ばれるものになる。そのくせ、この手の言葉は個人を攻撃するニュアンスを含むのでよろしくない。「個人攻撃の罠」と言うが、これは専門用語である。

帰属に関わる多くの理論があるが、この度、よく知られているもの以外にもたくさんあることを知った。共変モデル因果スキーマモデル(ケリー)原因帰属(ワイナー)などは公認心理師の勉強にも必要な有名どころだが、臨床心理学 (e.g., Alloy & Abramson, 1979)、発達心理学 (Piaget & In- helder, 1951), 認知心理学(Michotte, 1963), 情報処理心理学 (Kahneman, Slovic, & Tversky,1982)でも扱いがある。

さて、帰属を学習理論の観点から捉えていく。帰属は、連合学習、すなわち「連想」に関連するものとして説明される。

ここらで、なんで今回こんな文章を書いているかを述べておくと、勉強会の担当になったからである。だから学習性無力感の話までを軽く触れて唐突に終わることにする。学習性無力感の話など、どこでも読めるから屋上屋を架す必要もなかろう。それでもざっくり抽象的に言っておくと

「結果が反応に伴わない!」 → 「自分にはコントロールができない!」 → 絶望

となることである(Abramson, Seligman, & Teasdale, 1978)。抽象的どころか不完全な説明になってしまった。せめて例くらい上げておくと「勉強したのに成績がまったく上がらない。絶望!」ってなところである。やっぱり「絶望ってなんだよ」な説明だが、説明するのもめんどくさいからいいや。どうせこの記事なんて誰も読まないだろうし。

で、この学習性無力感はほとんどすべての人間の問題に応用されることとなった。うつとか不安とかそういった問題である。

かのポジティブ心理学で有名な、高いセミナーとかで有名な、あのセリグマンらが提唱したものではあるが、行動分析家の目を通すと、ツッコミどころが満載のようだ。

まず、「これは非随伴性の刺激だ!(自分がどうあがこうがどうにもできないことだ!)」という「判断」を下すことで無力に陥ることになっているが、そもそもが動物実験で示されたことである。「おいおい、動物が「非随伴性の刺激だ!」って考えたっつー証拠がどこにあるよ。行動だけ観察して、それこそあんたたちがそう帰属しただけだろーよ」というのが第一の、ちょっと致命的なツッコミである。「判断」だの「期待」だの「推論」だのといった言葉に、行動主義者たちは厳しい。

また、人間にあてはめた学習性無力の実験は、基本、すでにうつなどの症状が元からあった人たちを相手にしていた。無力が学習された証拠がなかったのである。

さらには実験で実験者が被験者に「これ、あんたに制御できないよ。あんた無力だから」と度々言っていた。「自分の行動と結果事象に関係がない!」と自分で気づくことでうつ病などになる、という前提であったのに、教えてしまったんじゃ気づいたことにならんでしょ、ということである。

かくしてそこを補う実験がなされることになるわけであるが、、

本稿で書きたかったことは、行動分析家にかかれば有名心理学者もボロクソ(までじゃないか)、というところまでなので、その後のことは気が向けばいつか書きます。

じゃね。

Ver 1.1 2020/7/9 タイトルの綴りが間違っておったので訂正
Ver 2.0 2022/11/13 言葉の間違いを訂正し、太字を追加。少し加筆。

ついでに続きのリンクも貼る。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?