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学習理論備忘録(2) 原因帰属

マンガで考えよう。主人公はとにかくサッカーやらテニスやら武術やら囲碁やら(最近は数学というのもある)で競う人物だ。ゲームでなく、命をかけて闘うというのでもよい。主人公なのでとにかく勝つわけだが、勝つ理由を分類すると


「相手がひたすら弱い」タイプ
そんなんで主人公が勝っても憧れや尊敬の対象にならないので、そもそも物語にならない。

「異世界チートもの」タイプ
現在の知識やら特別な道具やらを持って「たまたま」よその世界とかで活躍できているだけ。能力がないと思っている点では、不健全かもしれない。

「自分は選ばれしものだから」タイプ
成功を属性に帰属している。厨二ということになると不健全感もあるが、元々持っている能力のせいなら、それはそれでよい。

「アメリカンドリーム」タイプ
あることが好きで好きでたまらなく、努力を惜しまない。その結果、不可能を可能にしてしまう。努力は報われるという発想は健全である。



触れる物語の世界観が果たして子供の考え方の枠組みに大きな影響を与えるかどうかは、すぐには結論できない(ともすれば心理学ではなく、社会学が解き明かす領域かもしれない)。ただもし主人公を自分と重ねられるならば、そのマンガは文化規定装置にもなりうるだろう。少年マンガの多くは、努力重視、そこに才能や属性も混じる。かつては講談がその物語を担っていた


さて、”LEARNING AND BEHAVIOR THERAPY”を読んでいる。
帰属の考えが持ち出されて学習性無力感の説明がされるのだが、ワイナーの話がでてくるきざしがないので、ここで述べておく。原因帰属で知られているワイナーである。

ワイナーは公認心理師試験にも出る大御所ではあるが、はじめ私は彼の理論を、「常識をのべているだけの理論だ」と軽く考えて深入りすることはなかった(レクター博士みたいだな)。さて我が家にどういうわけかワイナーの本がある。細君の蔵書である。こういうとき、つくづく結婚してよかったなと思う。私は彼女の蔵書という財産目当てで結婚したと言っても過言ではない。

それはさておき。いやいやワイナーの本を開いたら、緻密に研究をしており見事な成果を出している。しかも、成功/失敗と帰属スタイルによる動機づけの高さ/低さの話だけじゃなく、他者を裁く心理などまでについて理論を発展させている。むしろこっちのほうがもっと知られてしかるべきで重要なんじゃないかと思うほど。どうにも文学史みたいな、「誰それーー〇〇理論」式のまとめというのは初期の理論しかまとめていないことが多くていけない。

さてワイナーの理論をざっくり言うと

「自分の失敗を、『努力が足りませんでした』と思えないやつは大物になれねえ」

「大物になる」が平易に言い過ぎて曖昧になっているので、「動機づけが下がる」「課題を達成しなくなる」と言ったほうがより正確性が増すかもしれない。

かなり昔の話だが、とある力士が負けたときにインタビューで「努力不足です」と言った。彼は誰よりも稽古熱心な力士であったので、国民の誰もが嘆息し頭が下がる思いになった、ということがあった。文部省が推したいような人物である。
こういう人だと、健やかに生きられるであろう、ということになる。
失敗についても、熱血少年マンガ系の帰属をするほうがよいのだ。


健やかでないほうの思考パターンはというと「どうせあたしバカだし」である。このスタイルでものを考えると課題を達成できず、無力感に陥りやすくなる。まあ常識的にそうだろうね、と思われるかもしれないが、それが数字でしっかり裏付けられていることを考えると、軽々しく見過ごせない事実である。「どうせあたしバカだし」と言う人、いるだろう。本当にやめたほうがいい。
(ちなみに娘の最近の口癖が「あたし天才だ」である。これは「成功」を能力に帰属しているので健全である。私の口癖は「さすが俺」である)

ところで「あたしバカだし」はやめたほうがいい、と言ったが、こういうしみついた思考は、そもそも変えられるのだろうか?「バカだし」と考えるから無力感を呈しているのではなくて、無力感を呈するタイプは「バカだし」と思うタイプの人であり、それは変えられないのでは?という、元も子もない考えも捨てきれない。

思い込みが健全さや行動を変えるという話は認知行動療法の話みたいだが、ここはあくまで基礎理論に「原因帰属」を置いて話を進める。
Dweck先生の登場である。ワイナーより知名度は落ちるが原因帰属理論を教育現場において発展させた人で、学習(ここでは学校の勉強の意味)の動機づけの話題においては彼の研究がよく引用される。

結論を言うと、帰属様式は変えられるようだ。
再帰属療法(この用語が定番なのかは不明。他にも訳がある)というものがあって、一度まちがえるような算数の問題をわざと解かせておいて、「間違えたのは君の努力が足りないせいだ」と伝え、はげます。すると、「成功したのはまぐれだし、まちがえたのはあたしがバカだから」タイプの人が、努力をするようになるのである。

このやりかたは、『動機づけ面接』をやっている立場からすると大変に興味深い。動機づけ面接では決して、努力不足ややる気のなさを責めて叱咤激励することはない。ところが再帰属療法では、児童に努力不足を直面化させており、これは動機づけ面接が動機づけの戦略としてまったく欠いたものであることになる。

原因帰属の理論およびその応用はたいへんによくできていると言わざるを得ない。学習性無力感も帰属理論から作られているもので、非常にうまく「抑うつ」などを説明している。いっぽう理論的には厳密に正しいとは言いがたく、その仮説を翻す実験もある。

これは学習性無力感が臨床心理学的な概念であり、その学問が応用を重視しているというせいもあるだろう。役に立つならそこまで厳密にやらなくてもいいじゃないか、というやつである。
「ブラック・ショールズ式の証明って、数学的には厳密じゃないことが多いよね。でも使えればいいか」と例えるととてもわかりやすいと思う(すいません。『ビッグバンセオリー』的なボケです)。


結論

努力は大事である。
努力が大事である、と思うことも大事である。
ただしそれらのことを盲信すると、いいオッサンが「真空パンチ」を打ったり「カメハメ」波を放ったりするために日々努力をするから注意しろ


まあ、自分の勉強のために書いているので網羅的ではありませんが、それでも遡って読みたいという方がいらっしゃったらこちらからどうぞ。


Ver 1.1 2020/7/9  あ、間違いだ、と気づき、一度アップしてからすぐ書き換えた。

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