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世界を正しく見てみたくなってきた

この本が話題になり始めたとき、妻と「これは即買いだろう」と話し合い、購入した。

年を取ると、海外の短編小説集なんかを読むよりは、この手の本のほうがよほど頭に入りやすくなってくる。知的好奇心をたっぷり満たしてくれる本だと思ったのだ。

ところが、これは好奇心を満たしてくれるなどという生易しい本ではなかった。読まないでは済ませられない内容である。すっと腹に収まっただけでなく、自分がエセ常識人であることを心の底から理解でき、震えを覚えたほどだ。

とはいえ、それは爽快なインパクトである。暗いほうのインパクトをくれる本は多かった。その逆なのだ。


インパクトに震えるというのは、この本にある多くのデータが、世界についてこれまでもっている常識な見方よりも、ずっとずっと楽観視していいのだと教えてくれるからである。え?こんなに世界って良くなっているの?

まるで長い頭痛から晴れたような気分だ。


もちろん、また人類が過去の今より悲惨な状態に逆行することはあるかもしれない。それでも私は楽観する。人類がここまでの時代を迎えたということは、またここまで戻ってこられる可能性があるという証拠だからだ。


データというものは、なにをどう見せたいのかをはっきりさせれば、雄弁になりうるものである。世の中にはエセのデータや、データのインチキな誇張には溢れている。そういうものは、データを読むリテラシーがあれば看破できる。

だがもっとセンスを磨く必要がありそうだ。TEDで見られるハンス・ロリングのプレゼンは素晴らしい。伝えるべきポイントをとことん絞り込んで、見せ方も実感に訴えるように工夫する。その、手をかけたシンプルな作品とでもいうべきグラフは、「ああたしかに」と腑に落ちる。魔法でもなんでもない。

(あ、そういえば自分も行動分析を学ぶ中で、データに雄弁に語らせる方法を指導されて来たではないか。データによる優れたプレゼンは、人助けをするために必須の技能でもあるのだな)


この本のようなファクト《事実》を伝える本はあるにはある。たとえば最近ではスティーブン・ピンカー『暴力の人類史』が傑作であった。今の人類が史上もっとも暴力の少ない時代であることを見事に解き明かしてくれた。他には古市憲寿氏の本が好きだ。主張を裏支えする膨大なデータがあるので、納得せざるを得ない。

一方で、事実よりは憶測・偏見・「本能」で悲観的な世界観を描くものは数多ある。ありすぎる。そうだなあ、例を挙げて差し支えなさそうな究極の一冊といえば『ノストラダムスの大予言』(五島勉)かな。恐怖の大王、降ってこなかったし(小さい頃はああいうのが楽しかったが)。


あれ?「世界は分断されている」というのは思い込みである、とハンス・ロリングは言っている。でも、ファクトフルな本と、ファクトプアーな本とは分断されていやしないか?


当たり前か。「そこそこファクトフルな本」なんて書く人はいないか。


ならばこの本を何度も手に取ろう。ファクトフルネスのルールも、本書の後半にまとめられている。情報を真実のふるいにかけるメガネは手に入れた。その精度を高めていく練習をしていきたい。世にある情報のファクトチェックをしていこう。


もう元の自分には戻れない。



#読書の秋2020   #ファクトフルネス

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