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「チュニジアより愛をこめて」 第16話

 チュニジア周遊の小旅行から帰って来た私を、ハムザさんは大きな笑顔で迎えてくれた。そして、再び自分の宿を選んでくれてありがとうなどと言うのだった。私は砂漠の街で買った小さなお土産を彼に渡した。それほど珍しくもないだろうけれど、と思っていたが、海辺の街しか知らないハムザさんは、それをいたく喜んでくれた。
 
 
 
 ――その日、私はアフリカ大陸側からの地中海を一望の下に見渡せる有名なスポット、シディ・シャバーヌのテラス席から、シディ・ブ・サイドの街とその先の海を見下ろしていた。
 日暮れ前のカフェは人影もまばらで、空と海をいっぺんに感じられる開けたロケーションにもかかわらず、物いような、内省を誘う雰囲気に包まれていた。
 
 ――旅の時代はひとまず終わったのだ――。
 
  心のどこかの部分が、そうつぶやいた。いつしか飲み慣れてしまった甘いミントティーが、いたわるように口を潤す。二口めをすすりながら私は、この街に吹く風が少し変わったと感じた。その風に誘われるように、まだ消えきらずに心のなかに居座っている彼との記憶が、再び浮かび上がった。そして私は、今一度彼への愛について考えた。
 
 ――かつて別の大陸に大海を越えて彼に会いに行った時、私は本当に真剣だっただろうか? ……あれは、愛(と思い込んでいたもの)に一方的に没入した、盲目の状態に過ぎなかったのではないか?
 モントリオールに向かう飛行機の中で、ときめきも何も起こらないことに、私は気づいていなかっただろうか? いや。確かに私は彼を愛していた。その愛に見返りが得られないだろうことを、うすうす予感しながら、それでも彼の為に海を渡ったのだ。
 愛というものの悪い側面は、それが時に人をめちゃめちゃにしてしまうところだ。突如私の人生に出現した彼の存在は、いつでも私の心を乱したし、彼の突き刺すようなひと言で、私の心臓は不安になるほど長い時間、早鐘を打ち続けた。彼の発する強い言葉は、心底私をおびえさせたし、彼に言い含められると、私はもう他の誰の言うことも聞かなかった。とにかくそんな風に私は間断なしに彼のことを考え、関わりを持とうとし(まるで猛獣にちょっかいを出す無分別な子供のような心理で)、彼にだけは、心を差し出し、振り回されてもじっと耐えた。
 まるで魂を吸い取られていくようだった。
 ――これが真実の愛なのか?
 そうなのかもしれない。……けれど、それをまやかし、、、、でないと、どうして言い切れるだろう。……真実の愛だったならば、なぜ破綻したのだろう。一大決心をし、お金と時間を強引に都合して、はるばる太平洋を越えて行ったというのに……。この愛が真実だったのならば、私達は二人して未来を紡いでいけたのだろうに。でも、そうはならなかったということは、結果、これはまやかし、、、、の愛だったということになるのだろうか? あるいはまるっきり全てがそうでなかったとしても、例えばあの飛行機に乗っている間の気の乗らなさ――それはさながら真空状態のようであった――本当に、〝何もない〟のだ。思わず不安になるほどに――、彼の目の中の、死んだような鈍い光、二人の会話の端々など、様々なところに表れてはいなかっただろうか? おおかたのまやかし、、、、の中にわずかに真実が混ざっていたということか、それとも真実の愛を、その中にあった幾つかのまやかし、、、、が駄目にしてしまったということか?
 ――まやかし、、、、ではどんな物事も上手くはいかない。勿論いくはずがない。
 けれど、真実がいつも必ず上手くいくとは限らない。真実はあった。私は今なお頑固に固執する。けれども上手くいかなかったので、その真実をどこへやったらいいかわからなくて、もう何年も困惑したままなのだ。
 彼にはきっとわからないだろう。彼だけでなく、他の誰にもわからないだろう。これは、私自身で受け止め、咀嚼そしゃくし飲み込むしかないことなのだから。
 
 ――私はバッグから、透明なジッパーバッグを取り出した。中には、睡眠薬を潰した白い粉ではなく、一袋のハーブティーのティーバッグが入っていた。三年前、二〇一二年の十月、あのホテルで彼と知り合った後、何の気なしに持ち帰ったものだった。――後になって、それは思い出の印となった。彼に会いに二度目に渡航した時も、まるでまじないかお守りのように、常にバッグに忍ばせていた。
 今、そのティーバッグをジッパーバッグから取り出し、私は飲もうとしていた。カフェの店員にお湯だけをもらえないかと頼んで、彼がそれを準備しに行く間、私はティーバッグをじっと見つめていた。長年バッグの底に仕舞いこまれたまま、あちらこちらへ連れ回されて、特殊紙のパッケージにはシワや色抜けができている。それは、しょぼくれ、感傷的になった私自身の象徴だった。……本当は、何度も〝もう飲んでしまおう〟と思ったことがあった。もうお終いにしてしまおう、と。――でも、飲めなかった。封を切ることはできなかった。
 店員がお湯を持って戻ってきた。Merciありがとう、と言うと、De rienいえ、と返し、微笑みを残して去って行った。あの頃の彼に少し似たところのある、まだとても若い青年の残した余韻は、私のなかにまだわずかに残る彼への未練の残渣ざんさのようでもあった。
 ティーバッグの袋には、TISANE Digestive と書いてある。食後の消化を助けるお茶なのだ。偶然とはいえ何だか皮肉めいているようで、思わず自嘲的な笑いがこぼれた。だって私は、これを飲むことで恋を〝消化〟しようとしているのだから。
 紫色の袋を、愛おしむように表も裏もじっくりと眺めてから、おもむろに封を切った。古いティーバッグなので開封したからといってすぐ香りが広がるわけでもない。けれど、カップに入れてお湯を注ぐと、予想外にいいアロマが広がった。ひと口飲んでみる。美味しい。紫蘇のような、ミントのような、その他にも幾つかの香ばしいハーブが混合されているような味がした。……いつだったか、離れてしまった後、彼が一緒にお茶のビジネスをやらないかと持ちかけてきたことがあったのを急に思い出して、不意に涙が込み上げてきた。涙ももう涸れて出ないと思っていたのに。そんな自分に少し驚いた。
 今でも私を泣かせることができるのね。
 
 お湯を運んできたカフェの若い店員が、こちらを気にしている。
 私は彼から顔を隠すように下を向いた。そしてダイジェスティブ・ティザンヌが冷めてしまわない内に、でもゆっくりと、味わいながら飲んだ。あの時、カナダのあのホテルで飲んでおくべきお茶だった、と思いながら。
 

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