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「でんでらりゅうば」 第34話 最終回

 ――夜通し、大森屋敷の母屋おもやの奥座敷からは、パソコンのキーボードを打つ音が聞こえてきた。それは狂気じみたまでに執拗しつように鳴り続け、いつ終わるともなく朝が来ても止むことがなかった。活字を読む習慣を持たぬ村の者たちは、新たな村のあるじの奇行といった風に受け止めて、その姿を遠巻きに眺めていた。
 安莉は日中でも暇さえあればパソコンに向かって文章を書いた。二十年前のあの日、小説を書くために町からたずさえてきた馴染みのあるパソコンである。ずっと納戸にしまいっぱなしでほとんど使っていなかったにもかかわらず、電源を入れて文字を打ち始めると息を吹き返したように正常に動き始めた。
 安莉は毎日毎夜、そのパソコンを使って狂ったように文章を書き続けた。
 でんでら竜、、、、、の伝説を、安莉は書かされているのだった。村の創設の時代から、竜の血族の誕生、〝違う血〟の混入による〝竜の法則〟発祥の経緯、長きに渡る村の潜伏、村の外界への開放、そして現在に至るまでのさまざまな出来事を、すべて網羅し詳細に書き尽くすことを安莉は求められていた。ある日突然自動書記のようにして始まったそれは、安莉の意思を越えて壮大な物語になっていった。
 書くことを少しでも怠ると、必ずあの悪夢を見た。まるで穴倉の奥にひそむあの〝何か〟がそうさせているかのようだった。それは、安莉にでんでら竜の伝説を記録させようとしているのだ。あの赤子たちの悪夢から逃れるためには、疲れ果てて泥のような眠りに落ちるまで書かなければならなかった。
 情報の空隙を埋めるために、村の歴史に精通していると村人たちが噂する、近隣に住むあのアメリカ人を召喚することにした。使者がつかわされ、マイケル・サンズは安莉が今大森屋敷の主となっていることを知った。かつての言行への後ろめたさからおずおずと屋敷を訪れた初老を迎えたサンズは、安莉がいまや彼に対して何のわだかまりも持っていないことを知って心から安堵した。そして幾つかの質問に対して自分の知る限りの回答をしたあと、しばらく懇談した。
 安莉が灰色の赤子の悪夢を見、村の歴史を書くことを強いられていることを聞かされると、サンズは身を乗り出してぜひ書くべきだと言った。
「それはあなたにしかできない仕事です。あなたは竜に選ばれたんだ! もしかしたら、あなたはそのためにこの村に呼び寄せられたのかもしれない」
「それは言い過ぎたい」
 笑って受け流そうとする安莉に、いいえ、いいえ! とサンズは詰め寄って言った。
「伝説の完成をもって、竜は現実となる」
 と、サンズは目を輝かせた。
 そしてそのことで勢いづいたかのように、サンズは思い切って自分の素性を安莉に告白した。
「あんたせいの血を引いとるとね。そんなら、身内やないと」
 驚いた安莉は、その日のうちにサンズが大森の本屋敷で暮らせるよう取りはからってやった。屋敷には百歳をとうに越え、ほかの長老婆たちがみな相次いで亡くなったあともまだ生きながらえている静婆しずばあがいたからだ。いまにも寿命をまっとうしようとしている祖母にサンズは寄り添い、その最期の日々を支え、静かにその死を看取った。



 目の周りに隈を作り、見る影もなくげっそりと痩せ細りながら昼も夜も休むことなく安莉は物語を書き続けた。大奥様はいったいいつこの仕事を終えるのだろうと、周囲の者はいぶかったものだ。
 安莉にだけ、それを終えるときが来るのがわかっていた。それはこの物語を最後まで完璧に書き切ってしまったときか、もしくは自分の命がついえるときなのだ。
 だがなぜか、書いているあいだは決して自分は死ぬことはないだろう、という確信があった。では、いつか書き終えたら……。そのあとは、わからない。それはでんでら竜の決めることだ。


 ある日、安莉はつと母屋の玄関を出て、大森神社の境内へ回った。社殿と植え込みのあいだの細い小道を抜けながら、その境内で澄竜すみたつと出会ったことをふと思い出した。あのとき澄竜もここを通って現れたのだろうか、と遠い記憶に思いを馳せる。
 澄竜に恋心を覚えた甘美な瞬間が脳裏をかすめたが、すぐにそれを塗り潰すような陰惨な記憶が胸を詰まらせた。
 安莉は賽銭を入れ、綱を引き、鈴を鳴らした。竜神様に二礼二拍一礼の挨拶をする。
 安莉は思う――。
 わたしたちの不安、あがき、哀しみや恐怖や絶望。ねたみやそねみ、怨念のたぐいまで。それらは全部、人間が発さずにはいられない〝陰の霊力〟だ。でんでら竜はそれを好む。人間が発し、竜が吸ったその〝陰の霊力〟で、ますますこの土地の力は強くなる。
 そして、今もっともその役割を担っているのは、星名澄竜だった。

 わめけ、澄竜。嘆け。竜神様にお前のすべてを捧げるがいい。

 安莉は目を閉じ、手を合わせた。そして康竜やすたつのことを考えた。安莉と澄竜のあいだに生まれた長男は今年十九歳になり、父親によく似た眉目秀麗な美丈夫に育ち上がっている。
 もうそろそろ、本腰入れて康竜にいい嫁さんを世話してやらんば。竜のそんは続かんならん。血が濃くならんように、よそからの人がよか。早よ準備、、を始めとかんと遅うなるばい……。

 そう考えながら、ふっとあの白いアパートのことを思うのだった。


       終

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