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【怪談】 温泉旅館

私は温泉が好きで

よくひとりで温泉旅館に泊まりに行くのですが

大自然の感じられる、山奥の秘境のような
ところにある温泉に特に魅力を感じています

今回は、そんな温泉旅館に宿泊したときの体験をお話ししたいと思います

鄙びた雰囲気が好きな私は、建物が古く泉質の良い温泉旅館をネットで探して、ある旅館を見つけました

そこは、まさに山奥の秘境にある温泉で、旅行サイトに掲載されている露天風呂の写真は一目惚れする素晴らしさでした

泉質は炭酸水素塩泉でお肌に嬉しい美人の湯
しかも明治35年創業という、長い歴史も兼ね備えています

私の大好物の、ドンピシャな旅館でした

私は早速サイトを通じてその旅館に宿泊の予約を入れました

自宅から車で約2時間、国道と県道を延々と走り、途中未舗装の悪路もありながらどんどん山奥に入っていきました

到着すると、想像通りの趣きある古い旅館でした

建て増しして複雑な造りになっている迷路のような建物の中を、感じは悪くないのですが無口な宿のご主人が部屋まで案内してくれました

部屋はこぢんまりしていましたが、ひとりで一泊するにはちょうどよく、落ち着いてくつろげる感じでした

テーブルの上にはお茶とお菓子がきちんと置かれ、床の間には綺麗に畳まれた浴衣やバスタオルが用意されていて、宿の方達の人柄が感じられました

荷物を置いてひと息ついた私は、早速お目当ての露天風呂に入りに行きました

露天風呂はサイトで紹介されていた通り、
野趣あふれる素晴らしい温泉でした

パイプから出る源泉かけ流しのお湯の音と
時折枝から落ちる紅葉した枯葉のカサ、という音が、静かな山間に慎ましやかに響いています

私は運転の疲れも忘れて目を閉じ、ぬるめのやわらかいお湯に体をあずけてリラックスしていました

しばらくして目を開けると、湯船の向こう側に
女の人が入ってきていました

湯気に遮られ、遠目でもあるので顔はよく見えませんでしたが、他の泊まり客の方のようでした

あれ? いつの間に入ってきたんだろうと思いましたが、先客がいて目を閉じているので気を遣って静かに入ってきたのかもしれません

でも、静かに入ったとしても、お湯が波立つ
感じとか少しは何か気配がしそうなものだけど…

と不審に思いながら湯船から出て、
髪と体を洗いました

洗いながら何となく気になったのですが、
その女の人はどうもじっとこちらを見ている
ようでした

ちょうど顔を向けている方向に私がいて
視界に入ってしまっているだけなのだろうと
思おうとしましたが

どうしても視線を感じてしまい、
気になっていました

私が再び湯船に入ると、しばらくの間
変な空気が流れました

見知らぬ者同士が相対しているわけなので、
普通温泉で顔を合わせたらちょっと挨拶したり
するものです

でもその女の人は、今度は一切こちらを見る
ことなく、放心したようにじーっと動かないまま、どこか一点を見つめているようでした

何か気持ち悪いな…と思いましたが、
温泉に来て、誰にも邪魔されずひたすらのんびりとしたい人もいます

現に私がそうでしたので、余計な詮索はせず
自分のリラックスタイムを楽しむことにしました

そうするうち、女の人は立ち上がり、湯船を出ていきました

そのとき、

私は衝撃的なものを見たのです

女の人は、骨と皮だけのように痩せさらばえた体をしていました

そして皮膚の色は灰色がかった緑色のような、何とも言えない不気味な色でした

正直ギョッとしましたが、病気のせいとか色々あるのかもしれないと思い、あまりジロジロ見ないように視線を逸らしました

部屋に戻り、髪の毛を乾かしたりして身支度を調えた私は、食事処に用意された夕食をいただきに行きました

給仕をしてくれたのは宿の女将さんで、地元でとれた食材を使った料理の説明などを丁寧にしてくれました

ご主人と違って話し好きの気さくな方のようだったので、さっきの露天風呂でのことを話そうかと思いました

でもよく考えてみると他のお客さんのプライバシーに関わることになるかもしれないな
と思えたので、そのときは何となく言葉を引っ込めてしまいました

再び部屋に戻った私は、ビールを飲んだりテレビを見たりしながら、ゆったりとくつろぎました

そして夜も更けた頃、眠くなってきたので就寝することにしました

天井に吊り下げられた電気のコードを引っ張って電気を消した

そのときです


途端に、〝何か〟の気配を感じました

時刻は午前2時を回った頃でした

真っ暗になった室内は、石油ファンヒーターを点けているにもかかわらず
急に10℃も気温が下がったように寒くなりました

空気は固く強張って、今にもピキピキ音がしそうなくらいです

不意に、背後に誰かの気配を感じました

え、ええ~~……

そのとき私は直感でわかったのですが
それは露天風呂で出会ったあの女の人でした

その人が私の背後の部屋の隅に〝いる〟というのが

嫌なくらいはっきりわかりました

昼間に露天風呂で見られていたときと全く同じ、あの視線を感じたのです

今もまた、私はあの人にじーっと見られていました

女の人はすぅっと立ち上がると、恐怖で動けない私を見下ろして、
部屋の真ん中まで歩いていきました

それはやはり、露天風呂で見た、緑色の女でした

その歩き方は普通の人間とは違い、スススススと細かい音を立てながらのすり、、足でした

それでいて歩いていると言うより、数ミリ浮いたところを滑らかに前進するといった感じの不思議な進み方でした

女はその不思議な歩き方のまま部屋の入口の方まで進むと、
扉の前からテレビの前を通って部屋を横切り、
反対側の壁を抜けていきました

一部始終を見ていた私は、その間全く身動き出来ず、恐怖に固まったまま、ただ震えていました

壁を通り抜けて消えてしまったということは、間違いなくこの世のものではありません

あ~ヤバイヤバイヤバイ……絶対ぜったい女将さんに言う!

そう強く決心することで恐怖を払拭しようとしながら、
私は布団にくるまり、まんじりともせず朝を迎えました

朝食の席で、また給仕をしてくれた女将さんに、私は早速夕べあったことを話しました

あんなものが出るのなら旅館の人は知らないはずはないし、もし万が一知らないということであれば、教えておいてあげなければならないと思ったからです

興奮気味に話す私を真顔でじっと見ていた女将さんは、私が話し終わると正面に座り直しました

そして声を落として囁くように話し始めました

女将さんが言うには、この古い歴史ある旅館には、大昔からある〝モノ〟が棲みついているのだそうです

「〝さっさ様〟と呼ばれてるんですがね」
女将さんは言いました
「何でそう呼ばれてるのかは私も知らないんですよ」

女将さんはよそからお嫁に来た人で、先代のお姑さんから話を聞いたことがあるだけとのことでした

でも、言い伝えられている〝さっさ様〟の様相は、確かに私が見た通り、灰色がかった緑色の皮膚をして、痩せさらばえた女の姿だと
女将さんは言いました

なぜそんな姿で現れるのか、実際何ものなのかも、
女将さんはわからないそうです

とにかく代々この旅館に棲みついている存在で、古い時代の人霊か自然霊のようなものではないかということでした

とくだん悪いことをするわけでもないので
この旅館では代々守り神として祀ってもいるのだそうです

事実、明治35年の創業以来、これといった災害に遭うこともなく、
お客さんが絶えることもなく、無事に営業を続けられているのは
さっさ様の守護によるものなのだろう

というようなことを女将さんは話していました

実際女将さんも、毎朝神棚にお参りするとき、
「さっさ様、今日も旅館をお守り下さい、お客様が絶えませんように」
と言ってお祈りするのだそうです

「女将さんもさっさ様を見たことがありますか」という私の質問に、
自分はその姿を見たことはないが、旅館の仕事をしているとき、たまに目の端にさっと走る影のようなものを感じることはある

そしてその影は 
緑がかっているような気はする

と言っていました

さらに女将さんはこう言いました

「ごくたまに、お客さんのようにさっさ様が見える方がいらっしゃるんですよ」

そういうお客さんには丁寧に説明をして、怖がらないようにケアしているのだそうでした

「それでも何も言わずに青ざめた顔をしてお帰りになる方もいらっしゃるんですよね……
そういうときは困ってしまうんですけど」

苦笑いしながら女将さんは言うのでした

どうやらさっさ様は女将さんには日常的過ぎて、まあ直接は見えないからという安心感もあるのかもしれませんが、
もはや怖いものではなくなっているようなのでした

私は女将さんにことわって、それからチェックアウトの時間まで、旅館の内部を探索させてもらいました

そしてこの旅館のいたるところにさっさ様の影や気配、

そしてときにはまたその姿を確認したのでした


……こういう古い旅館には、大昔から棲み続けている霊というか守り神のようなものが

いることがあるのですね

「これに懲りず、またぜひお来し下さいね」

女将さんは明るく言ってくれましたが……

またあの旅館に泊まりに行くかどうかは

今もまだ思案中です

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