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3.旅の日程が決められてゆく

フランスは何回か行っているけれど、いずれも発着地であったり、経由地であったりで、純粋にフランスだけを目的に旅するのはこれが初めてだ。
今回現地7泊。そのうち1泊がサント=ボームで、マグダラのマリアが船でたどり着いた伝説の村であり、野生動物の楽園カマルグの玄関口となるサント=マリー=ド=ラ=メールに2泊、あとはどこでも自分の行きたいところへ行こうとプランを練っていた。

やはり水の聖地であるルルドへ行ってみたいが、ピレネー山脈の麓、ほぼスペインとの国境に位置するそこはどう考えても遠い。

うーん、遠い…めんどくさいし、疲れるし、お金もかかる…

とみーに「ルルドってどう?」と聞いてみると「近代的な観光地って感じ」というイマイチっぽい答えが返って来たのであっさり諦め、そのかわり「神秘の泉」の村、フォンテーヌ=ド=ボークリューズに2泊、さらに帰国まではマルセイユ近くの同じく泉の町エクス=アン=プロヴァンスでまったりする、のんびりしたスケジュールを立てた。

もう今までのように慌ただしく移動したり、大きく移動したりする旅ができるほど若くはないのだ。
私は自分の立てた旅のプランに満足し、居心地の良さそうな宿の手配を始めていた。

すると週末に義両親の様子を見に行ったとみーからメッセージが届いた。
「カソリックの義両親曰く、ルルドは絶対行ったほうがいいって。一応言っとく」

なるほど…ルルドに行かなきゃね。
とみーの義両親の口を借りて、何かしらの存在が私にそれを伝えて来てるのがわかった。

フォンテーヌ=ド=ボークリューズの宿をキャンセルし、マルセイユからルルドまでの電車のチケットを買う。トゥールーズ乗り換え。上海経由で朝の7時にマルセイユに着くのに、ルルドに着くのは夕方5時だ。
まだこんなハードな旅をさせられるとは。でも私の心は高まっていた。ルルドに行くんだ!嬉しい!

ルルド2泊後、モンペリエのとみーの家に1泊、翌早朝家を出て大移動の後、サント=ボームに登り、マグダラのマリアの遺骨を納めた教会があるサン=マクシマン=ラ=サント=ボームに1泊、その後アルル経由でサント=マリー=ド=ラ=メールに2泊。

最後の一泊はやっぱりマルセイユだろうか。お土産を買うだけなので、駅の近くに宿を取ろうと思った。だってフランス一治安悪い街だから怖いし、旧港に宿を取ったらタクシーを使うことになる。節約したい私はなるべくタクシーを使いたくなかった。
とみーにそう伝えると「旧港はとっても素敵だから是非泊まって欲しいのに」と言ってきた。

そうくるか。

結局旧港の中心地に宿を取り、マルセイユのことを調べていたら、この港が古代ギリシャ人が開いたものであり、マルセイユ自体が古代ギリシャの植民地だったということがわかって驚いた。だってギリシャと言ったら私の専門ですからね。

でもさらに驚くことをこの後知ることになる。
マルセイユに呼ばれた本当の意味を。

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