Starman

彼は死の予感を携えて、その場所に立っている。そこは高層ビルの屋上で、航空障害灯が間近で点滅している。真ん中には大きな「H」の文字。彼は鉄骨で作られたタラップの上に立っている。なぜ彼がここに入れたのか。そのようなことは今は関係ない。彼は今、必要に迫られてここにいる。

ビルの周りは闇に包まれている。いや、このビルが高すぎて、屋上と同じ高さに他の灯りが存在しないだけだ。このビルが発する光だけが彼の周りを照らしている。ほのかで薄暗い灯りだ。彼はさっきからずっと空を見ている。その日は雲ひとつない空だった。星がいくつも瞬いている。その星の配置から冬の空だということがわかる。ひどく寒い夜だ。雪が降ってもおかしくない。それでも彼は変わらず空を見ている。

彼は空から目をそらさない。タラップに片足をかけて、食い入るように上を向いている。何かを待っているのかもしれないし、ただ星を見ているのかもしれない。もしくは何かを見張っているのかもしれない。しかし、我々には彼の思いを窺い知ることができない。彼が何を考えているのか、なぜここにいるのか、我々には理解できない。彼は特別な存在だ。だから、我々には理解することなどできないのだ。

彼は光沢の入ったグレーのスーツに黒いコートを着ている。コートの襟は立てていて、マフラーはしていない。彼は背が高く細長な体型でスーツがよく似合う。手には皮の手袋をしていて、右手にはギターケースが握られている。かなりの大きさのギターケースで、その大きさからアコースティックギターが収まっていることがわかる。彼はミュージシャンなのか。そうかもしれないし、全く違うかもしれない。我々が彼の素性を知ることはできない。ただ、彼は特別な存在だということはわかる。選ばれてこの場所にいることは理解できる。

次第に夜は更けていく。さっきよりもさらに寒くなったように感じる。それでも、彼はじっと空を見ている。

どれほど時間が経っただろうか。夜は深く沈み、しんとした静けさが辺りを埋めている。突然というべきか、ようやくというべきか。彼は動き始める。星から目線を外し、おもむろにギターケースを置く。まるでずっと待っていたその時が来たかのように、ゆっくりとしかし確実に彼は体を動かす。ギターケースの留め具を外し、蓋をあけるとギターを取り出す。やはり、それはアコースティックギターだ。そして、彼はそのギターについているストラップを肩にかけて、ギターを自分の胸の下に持ってくる。着けていた手袋を外し、辺り投げすてる。そこまですると、彼はまた上を向いて星を見はじめる。

星が大きく近づいてみえる。いくつかの星の光が強くなったように感じる。まるで星がこちらへ向かってきているようだ。そんなはずはない。星は何万光年も先に存在している。そんな風に大きくなったり向かってくることはない。それでもその場所から見る星は、明らかにいつもの星とは別物に見える。彼はそのことに気づいているのだろうか。いや、彼はそのことを理解している。理解していてこのタイミングを待っていたのだ。彼はようやく星をみるのをやめて、ギターを構える。その時が来たのだ。そして、彼はゆっくりと前を向くと腕を動かしてギターを弾き始めた。初めはB♭。次はFM7。それらのコードを交互に繰り返す。はじめはゆっくりと、次第にそれはカッティングを伴って、しっかりとした演奏に成長していく。

明らかに星たちはさっきよりも明るさを増している。空がなおさら明るさを帯びる。そして、彼は一旦演奏に間をあけると、甲高い声で歌いはじめた。彼の歌声はか細くも力強くも聞こえ、しかしいつまでも心に残るような声だ。彼の声は次第に大きくなっていく。それにあわせてギターの音量も増している。曲は進行していくごとに、彼の歌声にも力が入る。そして、いよいよ彼の歌が盛り上がりをみせたその時、ひとつの一際明るさをもっていた星が、光線銃でも撃ったみたいに大きな光を地上に放つ。その光はものすごいスピードで一直線に彼に落ちていき、彼は完全に光に包み込まれる。その光景は外からみると天へ、光の道がつながっているようにも見えて、彼はまるでその道を与えられた天使のようだ。彼は歌いながらゆっくりと光と同化していくようにみえ、次第に彼の姿が薄れていくように感じられた。そして、最後のコーラス。ラーラーララー。ラーラーララー。彼の歌声が響く。

演奏が終わるとそこに彼の姿はなかった。

R.I.P David Bowie

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