アンソニー・ヴァカレロが示す禁欲的な色気

 ブランドは変われどデザインが変わらないことに対して業界から批判があったにせよ、エディ・スリマン(Hedi Slimane)が「サンローラン(Saint Laurent)」の業績を当時メゾン史上最高の売上高へと導いたのは事実である。

 エディの前任ディレクターであったステファノ・ピラーティ(Stefano Pilati)時代のサンローランは、2011年時の売上高が3億5370万ユーロだった(WWD JAPAN 2012年3月5日号より)。その後、ピラーティの後任としてクリエイティブ・ディレクターに就任したエディは、サンローランのビジネスを急速に成長させ、2012年から2016年に退任するまでの4年間でサンローランの売上高は12億ユーロにまで増大する( WWD JAPAN 「ケリングが『サンローラン』売上高倍増計画発表」より)。たった4年という在籍期間の短さでエディは、サンローランの売上高を3倍以上にまで拡大したことになる。

 ビジネス面で類稀な結果を残したエディが去ることになり、自然と業界の注目は後任ディレクターへと注がれた。

「果たしてディレクターは誰になるのか?」

 サンローランが指名した人物は当時34歳の若手デザイナーだった。新進の才能を発掘してきたファッションコンペ「イエール国際モードフェスティバル」で2006年にグランプリを獲得し、2009年からは自身の名を冠したシグネチャーブランドを展開していたアンソニー・ヴァカレロ(Anthony Vaccarello)である。

 イエールでグランプリを獲り、当時「ヴェルサス ヴェルサーチ(Versus Versace)」でクリエイティブ・ディレクターを務めていたヴァカレロだが、シグネチャーブランドはビッグヒットまでには至っておらず、確かな実力があるとはいえ、エディの後任として業績好調のサンローランをヴァカレロへ託すことに疑念を抱いた人もきっといただろう。だがヴァカレロはメゾンの選択が正しかったことを証明する。何をもって証明するのか。もちろんビジネスの結果でだ。

 エディが退任した2016年、サンローランの売上高は12億ユーロ(約1560億円)だったが、ヴァカレロがサンローランのディレクターに就任してから2年が経過した2018年、売上高は17億ユーロ(約2210億円)にまで急伸する(WWD JAPAN「ケリングは18年度も絶好調 CEOはブランド買収に意欲」より )。*1ユーロ=130円で換算

 エディが退任するとサンローランの売上高は落ちるのではないかという予想もあった中、見事な手腕である。いったいどのようにしてヴァカレロはサンローランをさらなる飛躍へと導いたのか。ヴァカレロはエディの作り上げたサンローラン像を刷新したわけではない。メゾン史上最高の成功となったサンローランを尊重するように、ヴァカレロはエディの世界を丁寧に引き継ぐ。しかし、自分のビジョンを静かにそっと染み込ませ、変化はじっくりと及ぼしていく。

 エディのサンローランは、ロックに陶酔する若者たちのために作られた服だった。ロサンゼルスの古着屋で見つけた服を最高に贅沢な素材と技法を用いてスキニーシルエットに仕立てたような服は、若者たちのナイーブな心情を儚く映し出し、エディファンである世界中の若者たちを虜にした。一方ヴェカレロのサンローランは、ダークでエロティックなムードはエディに通じる点はあるが、エディ・サンローランが提示した若者像よりも大人の匂いと艶かしさ備える色気の若者たちが描かれている。そのイメージはエディが作り上げた「Saint Laurent」ではなく、伝説のクチュリエが作り上げた「Yves Saint Laurent」の世界に近い。

 ヴァカレロのサンローランは、僕にある写真を思い出させる。1975年にヘルムート・ニュートン(Helmut Newton)がサンローランのスモーキングを撮影した写真だ。ニュートンは二人の女性をカメラに捉え、彼女たちは夜の闇が路上へ浸透したパリの街に佇んでいた。一人はスモーキングを着用した男性的礼装のスタイルで右手にタバコを持ち、俯き加減で表情に影を宿して立っていた。もう一人の女性は服はおろか下着も着用せず、唯一黒いヒールだけを履き、全身を露わにした裸で夜の闇に佇むスキャンダラスな姿を見せている。

 二人の女性は互いに顔を寄せ合い、唇を重ね合わせている。そのキスは官能性よりも芸術性が先立ち、性別という概念を稀薄にする両性具有的精神を感じさせ、ニュートンはジェンダーレスが浸透する現代の価値観を50年以上も前に写真という芸術を通して表現していた。ヴァカレロはニュートンが撮影したこのサンローランを現代に蘇らせようとしているのではないか。1970年代のサンローランをモダナイズする挑戦。僕はヴァカレロのサンローランに、そんなイメージを重ね合わせていた。

 夜の闇がヴァカレロのサンローランには似合う。2019SSコレクションの ショー会場となったのはパリのトロカデロ庭園。闇夜の中、エッフェル塔をバックにショーは始まり、モデルたちはランウェイと化した水面をヒールで水しぶきをあげながらまっすぐに進んでいく。

 コレクションは僕に「禁欲的な色気」という言葉を思い浮かばせる。矛盾を抱えた表現であることはわかっている。しかし、1970年代の色彩が多様に使われたヒッピースタイルを真っ黒に塗りつぶしたような服は、既成の価値観を嫌って自然へと回帰するヒッピーの解放性を匂わせると同時に、肌の露出を増加させたスレンダーでシルエットでセクシーという概念を想起させながらも、メインカラーである黒の持つ圧力が一切の性的刺激を遮断していた。

 外観はセクシーであるのに性的刺激が感じられない。この「禁欲的な色気」は、まさにニュートンがカメラで捉えたあのスモーキング写真から僕が捉えた感覚と同様のものであった

 色気は人間を官能的に挑発するだけのものではない。人間が内面に持つ強さを立ち上げ、心の内から湧き上がったその強さは人間の立ち振る舞いを凛々しく堂々とさせる。色気にはそのような効力もある。ヴァカレロは色気の持つ真のパワーを初めから理解していたかのごとく、色気は人間を誇らしく美しくすることをサンローランで証明する。

 それだけではない。ヴァカレロは希少な独創性も発揮していた。たしかにヴァカレロのサンローランは、性別の概念を稀薄にするアンドロジナスな印象を受ける。しかし、一方でオートクチュールのドレスを目にしたような、女性ならではの高貴で品格あるエレガンスも感じられてくる。矛盾するはずの二軸が同時に存在するデザインは、他のブランドでは見ることのできない希少性に満ちたものだ。

 今、時代はジェンダーレスが普遍的価値となり、ファッションデザイナーの必須科目となった。時代がもたらした新しい問いに対して、ヴァカレロは類を見ないオリジナリティに満ちた解答を示す。性別の境界が曖昧ながら、女性特有の美が確固として存在するという解答を。

 ショーのフィナーレ、エッフェル塔はライトによって白く灯された。

 今サンローランはエディ・スリマンの世界から脱却し、完璧に新しい世界が構築されている。アンソニー・ヴァカレロはメゾンを未来へ進める。闇夜の先にある光に向かって。

〈了〉

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