
国際深海掘削計画第189次航海「ジョイデス・レゾリューション号」乗船記
はじめに
いまから23年前、米国の大学院に在籍していた2000年のはじめに2ヶ月間、国際深海掘削計画 (Ocean Drilling Program) にアメリカ側科学者として航海に参加する機会を得た。この国際プロジェクトは1966年に始まった Deep Sea Drilling Project に続く研究プログラムで、現在は International Ocean Discovery Program に引き継がれている。深海掘削計画の歴史はこちらのリンクを参照されたい。
このプロジェクトに使用する船ジョイデス・レゾリューション号 (JOIDES Resolution) は、石油掘削の設備と櫓が大型船に乗っかったものであるが、泥水循環のライザーが設置されていない、科学掘削に特化した掘削研究船である。
深海掘削計画では、世界中の深海底を掘削して堆積物から過去の気候変動を探ったり、プレート境界の動きをモニタして地震活動のメカニズムを調査している。これまでの大きな研究成果には、プレートテクトニクス説を直接深海底を掘削することから証明したり、白亜紀末に巨大隕石が地球に衝突したときの堆積物を発見したこと、海底から更に数百メートル下の岩石内に生息するバクテリアの群集が発見されたことが挙げられる。
海洋地質学や関連分野を専攻していれば、一度は参加してみたい米国主導の国際プロジェクトだ。
2ヶ月間航海に参加して世界各国からの研究者たちと生活しながらサイエンスすることは、若手研究者には非常に刺激的だし、学ぶことも多い。超有名研究者と寝食をともにして生活することは他では経験できないし、同世代の世界中の若者と交流することにより視野が広がる。
以下の原稿は、どこかに投稿しようと思って航海後に書いたものだが、放置して忘れていたのをジョイデス・レゾリューション号退役のニュース(2023年3月7日付けNature誌)を見て、思い出してファイルを探して20数年ぶりに見つけたものである。
次期ライザーレスの科学掘削船が早期に就役し、多くの若手研究者がこの国際研究プロジェクトに参画できる環境が整備されることを期待する次第である。

出会い
初秋の風が肌寒い3月上旬,オーストラリアの最南端タスマニア島ホバート港には,南極大陸プリッツ湾から無事帰還したODP旗艦ジョイデス・レゾリューション号が停泊していた.南大洋の荒波と極寒に耐えたマリンブルーの船体は穏やかな港内の波に揺られながら,次への航海に向けて束の間の休息を楽しんでいるようだった.
深海掘削計画第189次航海は2000年3月13日のホバート出航から5月6日のシドニーでの寄港を挟み,5月13日にクイーンズランド州タウンズビルに到着するまでの2ヶ月間にわたって,タスマニア島周辺の海域5地点を掘削した.航海のタイトルは The Tasmanian Seaway Between Australia and Antarctica-Paleoclimate and Paleoceanography と称し,新生代における南極氷床と環南極海流の発達史の解明を目的とした.
私はこの航海に堆積学研究者(セディメントロジスト;深海コアの記載)として乗船する機会を得た.本稿では,私が見たJR号乗船体験を綴りたいと思う.第189次航海の学術的成果の詳細については,ODP発行の Initial Report を参照して頂きたい.

第189次航海には総勢29名の研究者が乗船した.参加者の所属機関は9か国にわたり,多様性に富んだ研究グループとなった.特に気が付いたのは,私を含め博士課程・ポスドクレベルの若手研究者が多く乗船していたことである.いずれにせよ参加研究者一同,お互い初めて顔を合わす者同士.これからの2ヶ月間,何が起こるか予想もつかぬまま,一寸の不安と期待を胸に抱きながらJR号に乗り込み,出航を待った.
ホバートでのポート・コールから最初の掘削地点に到着するまでの4日間は,これから苦楽を共にするであろう乗船研究者やマリン・スペシャリストとの顔合わせに始まり,機器の説明,船内の案内,グループミーティングなどがおこなわれた.セディメントロジストは合計8名で,4名ずつ2組のシフトに分かれた.
JR号は24時間操業のため,それぞれのシフトは1日12時間労働となる.私は他の3名のセディメントロジストとともに夜間シフトに割り当てられた.その後2か月間,午前零時から作業を開始するという規則正しい生活が続いた.
私が乗船した目的は,有孔虫殻の安定同位体比を用いた,中新世における古環境解析を行うための試料を得ることである.同様に乗船研究者の多くは,新生代古海洋の研究を行うことを目的としていた.これらの研究計画のコンフリクトを防ぐため,出航後すぐに同位体グループのミーティングが開かれた.
ミーティングは終始和やかな雰囲気で進められ,共同研究の提案や担当する地質時代の割り当てなどが議論された.ここでの合意内容は,航海終了後に各研究者が提出する研究計画の青写真となるので,遠慮は禁物である.自分の研究に必要なサンプリング計画を主張することも大切であるが,他の乗船研究者との共同研究が生まれる可能性もあるので,柔軟な考えをもってミーティングに臨みたい.
船出
2000年3月16日,晴天.いよいよ出航である.
タラップがクレーンで吊り上げられロープが船内に回収されて,JR号は岸壁から離れていった.と同時に,ホバート市民はJR号のエンジン音から解放された.ホバート港を出港後,JR号は最初の掘削地点に向かうべくタスマニア島の西岸沖を北上していった.

初めての長期航海への参加.船酔いを心配していたが大きな揺れは少なく,すぐに不安定な船上での生活に慣れることができた.掘削地点に到着するまでは,各参加者は Initial Report に掲載される Explanatory Notes の執筆を進めながら,それぞれのシフト時間に体内時計を調節していった.
出港してから約20時間後に最初の掘削地点,第1168地点に到着した.タスマニア島からは遠く離れていて陸を望むことはできなかったが,多くの海鳥たちがJR号の周りで羽を休めていた.波は静かで,深海底掘削には申し分のないコンディションである.
停船後ビーコンが下ろされ,続いて掘削が始まった.3月17日午後6時過ぎ,本航海初のコア・オン・デックが船内にアナウンスされた.だが私はシフト外だったため,この第一声を聞くことはできなかった.
コアが水揚げされると微化石や化学分析用のサンプリングが行われ,それぞれのラボですぐに試料の分析が行われる.同時に一本約9.5メートルのコアは,キャットウオークで1.5メートルのセクションに分割され,室温と平衡状態にするためにラボの棚に4~6時間保管される.
その後は約1~2時間に一本のペースでコアが回収されてきた.
洋上研究所
乗船科学者たちが待ちわびていた最初のコアのカットは,ちょうど昼シフトから夜シフトへの交代時間におこなわれた.深海底から回収されたばかりのコアを見るのは初めてなので,私はいつになく興奮していた.
記念すべき最初のコアは,波の揺れも少なかったせいか攪拌も見られず,保存状態のよいナノ化石・有孔虫軟泥だった.分割されたコアのうち,保管用のアーカイブ・ハーフはコア観察テーブルに置かれ,セディメントロジスト達はすぐにコアの記載,反射率測定,鏡下観察などの作業に取りかかった.

セディメントロジストの仕事は海底堆積物の岩相を記載し,地質柱状図をつくることである.ここでは陸上での地質調査の経験を発揮したい.分割された残りの半分は物理測定に使用され,ワーキング・ハーフとして各研究者が持ち帰るためのサンプリングがおこなわれる.
ここでサンプリング・シフトについて説明しよう.
先に述べた通り,航海前に行われるミーティングで,各研究者が希望するサンプルの数や担当する年代が決められ,これに沿って航海中にサンプリングが行われる.各研究者は毎日2時間ずつ,コアラボでのサンプリング・シフトが割り当てられる.その間は各自の作業を中断して,乗船研究者全員分のサンプルをコアが来る度にビニール袋に入れていく.
普段は黙々と専門分野の作業をしているので,サンプリングはリラックスした雰囲気で息抜きとなっているようだった.サンプルの位置など自分の希望を満たすためには,サンプリングを指導するキュレーターとのコミュニケーションが重要である.

第1168地点の掘削は順調に進み,Hole Aは2463メートルまで掘削された.全般的にコアの回収率や保存もよく,特に新第三紀の石灰質微化石の保存状態は良好だった.
その後,数10メートル移動して,Hole B, Cの掘削が続けられた.孔内計測も順調に行われ,本航海最初の地点での掘削は成功裡におわった.意気高揚した参加者を乗せた JR号は次の掘削地点へと南下していった.
さて,船上で得られたデータはどのように処理されるのだろうか.
各掘削地点に到着する前と掘削後には,研究者全員が集まってサイエンス・ミーティングがおこなわれる.掘削前のミーティングでは,その地点の海底地質の簡単な解説と,掘削する目的についての確認をする.各地点の掘削が終了した2~3日後のミーティングでは,各研究グループの代表者によって,その地点の研究成果の中途発表がおこなわれる.ここでは参加者全員で各グループより出されたデータを見比べながら,様々なパラメータの関連性などについて議論する.
各地点のレポートは,議論の内容を加味して各地点掘削後5日目にはグループ代表者によって首席研究者に提出される.本航海では5地点が掘削されたので,セディメントロジストの場合は5名が指名されて,各地点のまとめ,発表,レポート作成を担当した.
航海の成果をまとめた Initial Report の原稿は航海中に完成させるので,参加研究者たちはレポートの執筆,発表の準備と,休む暇もない.
洋上生活
航海中2ヶ月間,休みなく働き続けると体に悪いので,船内にはレクリエーション施設が用意されている.
シフト終了後は各自食事をとってからトレーニングルームに行ったり,ヘリデッキでジョギングしたり,仕事を続けたりしていた.特に映画の在庫は豊富で,毎日のシフト終了後にはラウンジに集まって映画を鑑賞していた.シフト中も,コアの水揚げ状況を伝えるモニターが,いつのまにかラウンジの映画に切り替わっていることもあった.
イースターなどのイベント時にはシェフが特別の料理やケーキを作ったりして,長期間にわたる航海の疲れを癒してくれた.また時間に余裕のある時には,エンジニアの乗組員にリグ・フロアなどを案内してもらい,深海掘削の技術について理解を深めることができた.

第1168地点終了後は研究者は各々の作業に慣れてきたためか,各自の担当分野をスムーズにこなしていった.悪天候のために第1169地点では掘削を途中で断念したことを除いては,各掘削地点での掘削目標を達成していった.
そうこうしているうちに航海と掘削は順調に進み,5月3日には本航海最後の第1172地点でのすべての作業が終わった.孔内計測の機材を回収し終えると,JR号は船先をシドニーに向け北上していった.
長かった航海も終わりに近づいてきた.
最終地点終了後のサイエンス・ミーティングでは,航海の成功を祝いシャンパンの栓を抜き,というわけにはいかず,研究者たちは各グループの提出するデータの議論に余念が無かった.
船上で得たデータについて議論するのも大切だが,航海後の研究計画についても乗船研究者と調整をしなければならない.航海終了後1年間は乗船研究者が優先してコアサンプルを手に入れられるので,誰がどのサンプルを分析するかが興味の対象となる.
航海前の同位体グループのミーティングではサンプリング計画を話し合ったが,計画通りのコアが水揚げされるわけではない.コアが攪拌されていたり堆積間隙などで,希望していたサンプルを手にすることができない研究者が出てくる.
このような事態を解決するため,最終地点終了後には掘削したコアを基にした,航海後の研究計画についての修正案を議論する2回目のグループ・ミーティングが行われた.このミーティングで今後数年間の研究テーマが決まるので,1回目のミーティングとは違い,緊張した雰囲気の中で話し合いが続いた.幸い大きなコンフリクトも無く,シドニーに到着するまでには全員研究計画を提出することができた.
陸酔い
各自 Initial Report 用の原稿を書き終えると,後はシドニー到着を待つばかりだ.科学者もクルーも乗船者一同,一つの大きな仕事を達成した満足感に浸っていた.
記念の航海のロゴをシャツに印刷するとき,思い出も刷り込んでいるような気がした.
航海中に経験した様々なことが頭をよぎる.
深海コアを掘削後すぐに観察できることは,ODP参加の醍醐味だろう.
若手からトップレベルの研究者と寝食を共にし,議論を交わし,彼らから多くのことを学んだことは大きな収穫である.首席研究者の一人が,ODPの航海は真の意味での university であることを強調していた.まさにその通りだろう.
2ヶ月間現金を使わなかったのも,これまた初めての経験だった.
5月5日未明にはオーストラリア大陸南東部の海岸崖を遠くに望むことができた.2ヶ月振りに見る陸地だ.
シドニーに近づくにつれ,船舶の交通量が多くなってきた.遠くにハーバー・ブリッジが見えてきたと思えば,すぐにオペラハウスが眼下に見え,人々がこちらに手を振っている.2ヶ月間同じ面子と毎日顔をあわせてきたが,それ以外の人を見るのも久しぶりだ.
シドニー・ハーバーに着岸すると,皆競うようにタラップを降りていった.2ヶ月振りに踏みしめる大地は,なんだか揺れているような気がした.
現実に戻る
長いようで短かかった航海だ.
2ヶ月間毎日顔を合わしていると,航海中にケンカした相手でも別れるのが辛くなる.2ヶ月前までは他人だったが,いまは苦楽をともにした仲間だ.
その仲間たちとは,1年後のポストクルーズ・ミィーティングでの再開を誓い合い,固く握手を交し,抱きあって別れを惜しんだ.
アメリカに帰れば航海で掘削したサンプルの処理と論文執筆が待っている.この航海の研究はこれから始まるのだ.
大学院生の私は,これから博士論文を仕上げるという現実的な課題もある.
いま研究室の机に飾っている乗船研究者との集合写真が,これからの励みとなるだろう.
私がこの航海に参加するにあたって,米国ODPからは全面的な資金援助(交通費,船内での生活費と給料,研究費)を得た.また.指導教授をはじめとするペンステートの教授達からさまざまなサポートを受けた.以上の機関と個人に感謝する.そしてこの航海に参加する機会を与えてくれた首席研究者と,議論を交した乗船科学者たちとの友情は何にも替え難い.
一人でも多くの大学院生や若手研究者が,このビッグサイエンスに参加することを期待する.
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