見出し画像

教育をすべての人に、というサービスは実は格差をさらに広げる説

サルマン・カーンさんの khanacademy.org 以来なのか、もっと前からあったのかは分からないけれど、テクノロジーやネットを利用すれば世界中の人に良質な教育を受けてもらうことができるはずである、という哲学の元に開発や運営がされているサービスを最近よく見かけるようになりました。
個人的に、通信教育系のサービスを作ったり売ったりしていたことがあるから、そういう情報が入ってきたり、目にした時に気になるっていうことかもしれないけれど。

それらの教育サービスって、尊敬すべき志を持って生み出されているわけです。
良い教育にすべての人がアクセス可能な世の中になれば、誰でも知識を得られるから上質な仕事もできるしお金も稼げるし、世界から貧困なんてなくなって、みんなハッピー! みたいな。
だから出自が貧しくて学校にいけなかったりしても大丈夫。みんなが学の必要な仕事ができるから格差がなくなるよ!
というようなところに落ち着くことが多いようです。思考実験では。

でもそれって本当なんだろうか。

僕が通信教育サービス会社で働いていたときは、それとは逆の現実の方をより多く見たように思います。
通信教育の教材は、働きながらでも少しずつでも予備知識がなくても大丈夫、というコンセプトでつくられていました。だから基本的には勉強する気さえあれば勉強できます。
でも、そのモチベーションはどこからくるんだろう、という話。
もちろん、ラーメン屋でバイトしてても未来はないと思ったから士業の資格をとったんですとか、単なる総務からステップアップするには社労士の資格をとるのが早いと思ったんですとか、そういう現状を抜け出すために勉強するという人はいました。でも少数派でした。
多いのは、例えばマーケティングの分野とかですでにしっかり働けている人が、そういえば法律のこと知らないなーと思い立って行政書士の試験に受かっちゃうとか、そういうタイプ。

そりゃ、日本の社会人向けの通信教育と、バングラディッシュの貧しい村の子供のための教育サービスは性格がまったく異なるでしょう。勉強したいというモチベーションもぜんぜん違うかもしれない。
それでもやっぱりモチベーションや能力には個人差があるわけですから、みんなが等しく教育を受けて貧しい生活から脱出できるというわけではないでしょう。

むしろモチベーションがずば抜けて高かったり、勉強がものすごく得意だったりすると、日本の教育課程と違って自分だけでどんどん先に進むことができる。
なので、そのサービスがあっても変わらない人もいる一方で、そのサービスが加速装置になってものすごく成長する人もいる。ということは、全体で見たら平均を押し上げることはできているとしても、格差は大きくする方向で機能してるんじゃなかろうか。
つまり、すべての人が教育にアクセスできるようにとつくられたサービスは、実はごく少数の天才を発掘するツールとしての機能の方が大きい。

じゃあ意味ないかというと、まったくそんなことはなくて。
世界にとっては埋もれてた天才が見つかるんだから、より発展できるし。
その天才が出てきたのが貧しい村だったとしたら、少なくとも成功例はでるし。

なにより、勉強するチャンスすら与えられない人をなくすことはできる。
それが一番重要なことかもしれないな。
誰でも「やってみたい」と思ったことをやってみられるっていうのは本当に大切。

勉強に限らず、「やってみたい」が見つかってもその前にあるハードルのせいでできないっていう人は多いはず。で、実はそのハードルは社会的なムードみたいなものでできているだけだったりして。
すべての「やってみたい」がすんなり叶う世界になると良いですけれど、ね。


この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?
気軽にクリエイターの支援と、記事のオススメができます!
note.user.nickname || note.user.urlname

ビール代になります。

ありがとうございます! カンパイ!
8
猫、お酒、旅行、日常。

こちらでもピックアップされています

いつもの話
いつもの話
  • 12本

考えていること、気になっていること、やったことなどのメモです。

コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。