現代社会においての情報の取捨選択

今の世の中、テレビ、新聞、本、SNSなど、情報で溢れかえっている、いわゆる情報過多の時代だ。
そのためか、"必要な情報は調べれば簡単に手にできる" もしくは、"本当に必要な情報なら黙っててもいずれ耳に入る"という錯覚に陥りがちになってしまう。
でも本当にそうか?本当に必要な情報を取り入れて正しく認識できているか?

小学生の頃に、社会の先生が「北朝鮮の国民は政府に情報統制されていて、情報に乏しくなってしまっている」という話しを聞いて、なんかかわいそうだな〜と思ったのを覚えている。

でも今になって思うけど、スケールや度合いは違っても、実は日本も同じようなものだと感じている。

ではなんでそう思ったのかをこれから説明する。

まず、資本主義の世界では経済活動が基盤となっており、その経済活動というのは利益を追求するのが正義とされる。当然、情報発信をしている企業もその発信をすることによって得られる利益を目的として発信している。

テレビは視聴率が利益に変わるので、正しい情報というより、視聴率が取れそうな、視聴者がおもしろがるような発信をする。
本は売り上げの数が利益となるので、より大勢の人が食いつくような表紙、タイトル、わかりやすい内容が求められる。

このように情報発信者はどれだけ利益を出せるかを最終目標として活動しているのであって、決してみんなの幸せを願ってボランティアでやってるわけじゃない。

本物の情報のみをわかりやすくたんたんと並べたとしても、そこまで面白くないものだったり、あんまり聞きたくないものだったりする。それをわざわざ発信したところで視聴率も取れないし、売り上げもあがらないので、ビジネスマンとしては割愛したり多少歪めたりするのは自然な流れだ。

さらに最近では(とくにテレビは)コンプライアンスゴリ守りスタイルになってきてるので尖った発言がしにくい。
スポンサーや視聴者への配慮とか忖度がある以上どうしても当たり障りのないものになっており、これもまた情報統制に拍車をかけている。

本も同じで、書店に並んでいるうちの9割以上の本は、読まなくてもいい本、もしくは読まない方がいい本だと思っている。

メディアが嘘をついてると言いたいわけじゃなく、情報発信者にとってわざわざ言わなくていいことは、言ってくれないという話。
発信することによって不利益を被るような内容なら、あえてひた隠しにする場合もある。
(2つの事実で完結する話があったとして、その内の1つの事実しか流さないというのは、実質嘘をついていると言ってもいいけど)

大事なのは、この構造のなかでどこに有益な情報が隠れているかを知ることと、
どんな人が嘘をつきやすいのかを知ること。

要するに、メディアや本に書かれていることをそのまま受け入れておわりにするんじゃなくて、その奥に隠れているかもしれない真実を見る目を養って、個人個人が"情報の目利き"ができるスキルを身につけるのがマストになってくるとおもう。

                 

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