ドラゴンクエスト YOUR STOЯY (ネタバレあり)

数年ぶりの更新というよりも、最早リブート。

コミケ初日に行く朝に表題の作品を見てきました。

まだご覧になっていない方はここでお帰り頂けると助かります。
ちょいとしたランシールですね。

「ひきかえせ……」

「ひきかえせ……」

さて、ご覧になっていない方は引き返しましたかな?それでは早速。

ここでは敢えて、「観た」ではなく「見た」と言いたい。

前評判とか色々ありましたから、それに少し引っ張られちゃったというのもあるのですが……出来る限りフラットな視線で書きたいと思います。

●良かった点

まずは良かった点を挙げていきたいと思います。

いつもどこかで良かった探し。大切ですね。

・ストーリーの大胆なカットと改変

これは正直賛否あるとは思いますが、約2時間の枠に収めるには致し方無い部分もあったのかな?と。

勿論原典をプレイしていればこそ思う所は多々ありましょうが、これはメディアミックスの宿命ですし、設定の改変は多々あれども「パパスの死」「結婚の選択」「ブオーンとの決戦(少々物足りなくはありますが、時間を考えると止むなしか?)」「石にされた8年間」「息子の覚醒」「ゲマとの決戦」と、山場は抑えてあるので及第点ではないかな?とは思うのです。

・ヒロインの二人がかわいい

【フローラ】

原典からしてヒロインが魅力的でないと成立がしない訳ですが……

フローラについても登場シーンは全体としては僅かながらも、お嬢様であり主人公と幼少の砌に邂逅している……というのをビアンカと同程度に仕込んでいた事により、その後のリアクションなどもとても愛らしいものに見えました。占いババに変じてまでリュカの本心を引き出そうとするなど「恋するお嬢様」としての魅力は充分だったかな?と。

【ビアンカ】

初報のモデリングを見た時には「へ?」と思ったものです。

ところがこれが、作中を通して見ると大変に可愛らしい。

蓮っ葉な雰囲気の中にある乙女っぽさとか、リュカとフローラとの結婚に対する葛藤に加え、求婚される時の紅潮する様などとにかく可愛い。幼少のレヌール城の思い出のシーンについてもフローラと同程度の扱いであるが故に、ここはストーリー的にもビアンカで許されて然るべきなのではないかな?と得心する次第。

・モンスターの造形が良い

スライムナイトすら出ていない!とか、不満は全く無い訳ではないです。

ただ、スラリンのプルプル具合にゲレゲレのカッコよさともっふりした可愛らしさは特筆すべきだと思います。

サンタローズ(何故か寒村に改変されていますが……)の時にゲレゲレがレスキュー用の酒樽を首からかけていたり、芸が細かいなと。

ブオーンの重量感に、苔むした姿と翼の飛膜の質感も素晴らしい。

メタルスライムを実際に殴ったら「まぁそうなるよなぁ……」という硬質さとか、オークの微妙な小物っぽさ、メタルハンターのマシン感やギガンテス系の異質さ、ジャミとゴンズについても狡猾と脳筋の組み合わせっぷりなど、こらはなかなか良かったな?と。

あと、クライマックス直前に、みんな大好きな神官ラマダも1シーンだけ登場してますよ!
(単なるカラーリング違いと思われてそうだけど)

・声優陣の演技

最初は正直、声優本職(さらに言えば、既に決まっているキャスト)じゃないのかよ……と思いましたが、これが思いの外上手くハマっていたなと。

2Dではなく3Dであるという、表現の問題を考えると舞台を経験されている方の演技の方がしっくりくる部分がありました。

リュカの佐藤健氏については、ウジウジした面も含めて「あぁ、この男はこういうキャラなんだな」と納得させるものがありましたし、ビアンカの有村架純さんの演技の「一緒に悪さ(=冒険)をした幼馴染」感もとにかく素晴らしいし、波瑠さんのフローラの演技も初報で聞いた時よりもすんなり入ってきました。特に、占いババの演技とのギャップが実に素晴らしい。

ヒロインのお二方につきましては、本当に素晴らしかったし魅力を存分に引き出していたなと思います。

他にも、ブオーン役の古田新太氏の巨大さとそれに伴う少し「足らず」な感じ、ルドマン役の松尾スズキ氏の成金的な嫌みたらしさが片鱗に見え隠れする様も良かったです。

サンチョ役のケンドーコバヤシ氏についても、声の雰囲気的にも合っていたし演技も(少しオーバーではありましたが)なかなか良かったなと。

・ゲマが良い

もう、今回の映画のとにかく素晴らしかった点はここに尽きるなと。

舞台役者としても相当な場数を踏んできていらっしゃる吉田鋼太郎氏ですが、あの陰湿さと狂気と執念とを感じられる演技が実に素晴らしい!

イブールがカットされた事によって彼が全面的にフォーカスされる訳ですが、コレはコレで良かったのではないかと思います。

所詮、あのワニなんてポッと出ですからね。皿割っただけで怒るような小物よりもゲマですよ。

●ん?と思った点

・劇伴のチョイスに疑問符が付く箇所が多い

これは確かに原典だけから引用するとなると曲数的に難しい部分があるとしても、いささかVIからの引用が多すぎるのではないかな?と。

サラボナの街なのにどうして「木漏れ日の中で」なんだよ、とか。

ただ、ゲマの最期の際に「オルゴ=デミーラ」を流したのは個人的にはアリです。ラスボス専用曲だろうが!と言われればそれまでですが、ところどころにデミーラっぽい面影もありますし(個人的に、ですが)あの曲調のおどろおどろしさと魔界の門が開かれるというシーンは非常にマッチしていたので。


●悪い点

なんだこの茶番は。

「実は現実でプレイしていたダイジェストでした」というオチは、ある程度予想していました。

正直に言えば、VRオチでも良いとは思います。

これは主人公ではなくリュカの物語ですから、誰かがプレイしているからこそ言動が後ろ向きなものであったりするのも仕方がない。

動きの一つ一つが、個々人がプレイ中に脳裏に思い描いていた「颯爽とした主人公」のものではなく、「どことの誰も知れない輩」の「慌てふためいた滑稽なもの動き」である事も仕方のない事なのでしょう。

よくよく考えれば、結婚前夜にリュカの深層心理を探るシーンが急にデジタルな表現になる、モンスターを倒すと無機質に霧散するなど「これはデジタルなんだな?」と思わせる要素はありました。

後半のドラゴンオーブ前に、リュカが「ロボットとか変じゃないですか?」と発したのに対して、プサンが「いや、今回はこういう設定だから」と答えるのは決してメタなギャグシーンでも何でもなく、伏線なのでしょう。

マーサが「今回のミルドラースは〜」というのも、プログラムであると自覚しているからこその警告だったのでしょうね。

そこは別に良いのです。

ミルドラースの正体がウィルスだろうと別に構わないのです。

ただ、世界が消滅した後に。

この世界がプログラムであると明かされ、それを脅かすウィルスをセーフティプログラムで破壊した後で、何も無かったかのように世界が再生されたところで蛇足にしか過ぎないのです。

全てが茶番の一言で片付いてしまう。

デジタル情報であるという事を明かされ、破壊された後に、「それでも俺にとっての大切な思い出なんだ!」というような事を言われても興醒めでしかないのです。

別に今までの体験がデジタルなものでも構わないのです。

それを語るに至るまでの展開が急で、使い古されたもので、端的に言えばチープでしかないのです。

私が考えるドラゴンクエストらしさの一つに「多くを語り過ぎない」というものがあります。

元を辿れば、それは容量の問題などといった話になるのでしょうが、そこから生まれた文脈は良い意味の雑さであり、物語の中で語り得ぬ間隙をプレイヤーの想像力によって補完するという楽しみがありました。

それを「たかがゲーム」「ウィルスによって破壊」というチープな言葉で埋めて欲しくはない。

「大人になれ」や「それでも大切な思い出」というありきたりな言葉で片付けるものではないのです。

この項の頭に「別にVRオチでも構わない」と書きました。

長い物語を適当に端折り、語るための舞台装置としては何ら異論は無いのです。

ただ、そうであると語るまでの道筋が明らかに雑かつ映画を観に来る層を軽んじていやしないか? というのが気になって仕方がない。

ミルドラースがウィルスによって変質した存在であるなら、ウィルスと明言させるやり方でなくても描き方はあったはず。

別に明言しても構わないのですが、そこで急に現実的な表現を用いなくても良い訳です。

言葉の端々におかしい事を言う、モデリングが異形になっている……など、わざわざ正面から観劇しているものを殴る必要は一切無い。

ゲームはゲーム、リアルはリアル。

その線引きなど、今さらお説教されなくともリアルタイムでドラクエVを遊んだ世代には分かっています。

例え同じテーマでミルドラースが同じような事を言おうとも、世界を(

3Dモデリング的な意味で)崩壊させる必要などどこにも無い。

その一線を超えて、モデリングだのコリジョンだののたまい始めたからこそ、この映画が陳腐で下らないものに成り下がる。

例えば、ミルドラースが世界を文字通り崩壊させずに「この世界はプログラムされたものである」という旨の事を言って攻撃を仕掛けてきたとしても、それはそれで異質さとしては成り立つのではないかと愚考するのです。

それに対して、プレイヤーであるリュカは己の意志で剣を振り下ろし、敵を撃破し、物語の最後にビアンカが「この冒険は楽しかった?」と優しく問いかけるだけでも良いのです。

結局は作劇者が

「お前らはこういうので喜ぶんだろ?」

「だけど大人になれよ?」

「否定はしないけど、所詮は茶番だぞ?」

と言っているように聞こえて他ならない。

劇中の端々にそういった要素を感じ取れてしまえば、それは最早「鑑賞」「観劇」ではなく、ただ流れている映像を「見ている」という気持ちになってしまう。

なので、冒頭に「見た」と書いたのです。

勿論、この映画からポジティブなものを受け取った人を否定する気は一切ありません。

良い所に書いたように、満足のいくところも多々ありました。

ただ、これらを包み込む作劇があまりにも陳腐で、大上段に構えていて、舐められているように感じられてならなかった。

エヴァンゲリオンから始まり、ゼロ年代のセカイ系にあったような閉じた世界でのマスターベーションに満足しているんだろう?という挑発的な作風としてもお粗末すぎる。

観ている大人は馬鹿ではない。

観ている子どもも馬鹿ではない。

物事の本質を、真善美を見抜く目は誰にだって備わっている。

この映画を駄作であると言うつもりは毛頭無い。

ただ、少なくとも私にとっては腹ただしい作品であったのは確かだ。

それだけは何があろうとも、一切の否定はない。

しかし、それでも。

この映画の最大の美点を挙げるのであれば。

それは、様々な人と語らい、大いに議論をする余地が存分にある作品であるという事に他ならない。

-了-

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