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おれと博多天神

おれはラーメンが好きだ。日本に住んでるたいていの人はラーメンを好きだと思うが、おれはいつも一週間で1回以上確実に食べているから日本に住んでるたいていの人よりも食べているはずだ。だがいちばんうまいラーメンを訊かれたら、なんと答えるかは迷ってしまう。ラーメンにはジャンルがあるし……一番とか簡単には決められないし……。だが一番多く食べたことのあるラーメンだったら答えられる。おそらくそれは、博多天神だ。


おれは鷺ノ宮だが、お前は博多天神を知っているか?東京のいろんなところ……新宿渋谷池袋御茶ノ水とかにあって、博多とんこつラーメンが食べられる店だ。メシとしては、ファストフード寄り……小綺麗な店内でゆったり至福の一杯という感じでなく、ザッと入ってザッと出る、そうゆうタイプの店だ。

博多天神は毎回ちょうどいい立地にある。新宿ならバルト9やTOHOシネマズで映画を観た帰りに通れるし、池袋は新文芸坐のオールナイト上映の前の腹ごしらえか、ランブルプラザ(現池袋ミカド)に立ち寄った帰り、渋谷ならあんまり盛り上がらなかった合コンの解散後とか、楽しかったイベントや楽しくなかったイベントのあとに寄ることが多い。財布の中身を思い出し、今日のメシ代に500円以上使えることを脳内で確認してから、店に足を向ける。ビニールのカバーかガラスのスライド戸をくぐって空いてるカウンターに座る。横からほぼ常温の水が提供されると同時に、「ラーメン、バリで」と伝える。ちなみに同じ値段でとんこつベースに味付けの異なる味噌ラーメンもあり、これもマジでウマイ。どちらが上とかはない。前きたとき味噌だったらとんこつを頼む、くらいのものだ。ちなみにおれはきくらげが好きなので、「きくらげ、バリで」と言うか、「味噌きくらげバリで」と言うことも多い。その場合は100円増しだ。

博多天神の良いところの一つがその提供までのスピードだ。注文してから2分以内に確実にラーメンが席に運ばれる。入店したタイミングでそういえばとデレステのイベントを放置編成でこなすことを思い出し、注文と同時に「君と僕のミライ」を選曲したとしても、クリアリザルトよりも先に提供されたラーメンを見ることになるだろう。麺の硬さを固くすればするほどそのスピードは上がるが、柔らかめを頼んだとしてもクリアリザルトと同時くらいには麺が現れるはずだ。2時間半近い大作映画の余韻にクラクラしながら、今すぐに何か……たべなければ……おれはしぬ……そういう時にこそ天神のスピードはありがたい。蜃気楼の中をさまよい歩いてきた旅人が、フラと立ち寄った酒場で水を飲み干し、生の実感に涙する……それと同じドラマが博多天神にはあるのだ。

来たラーメンを眺める。湯気の立ち上る白濁したスープに、細麺の塊が入っている。それを箸の先で軽くほぐして、口元に向かわせ、啜る。注文時の「バリ」とはバリカタの略で、麺の硬さのことだ。細麺はすぐに汁を吸い柔らかくなってしまうので、ゆっくり食べたいときにはバリで、そしてなるべく硬めにしたほうが提供までのスピードが速くなるため、急いで食べたいときにもバリで頼むようになった。最初の一口でしか味わえない硬度を噛みしめつつ、卓上の調味料を見やる。巨大なゴマ・ボトル、コショー、おろしニンニク、紅生姜、「少量で味が良く…。」と書かれた辛子高菜、そして謎の液体の入った黄色いボトル…ラーメンの味付けに使われるタレ、すなわち"かえし"だ。ラーメンを食べる時の調味料の使い方を教わったのも、思えば博多天神だった。博多ラーメンというのは卓上のトッピングで味を変えることで食べ飽きることなくたくさん食べられるようなデザインである、という言説を真に受けて、今では一通り使うようになった。とりわけ意外だったのは紅生姜だ。はっきり言っておれは紅生姜が好きではなかった。牛丼でも焼きそばでも必要ないので残していた。だがある日興味本位で天神のラーメンに紅生姜を入れて麺とともに食べたら、サッパリしていてうまかった。スープがほのかに赤くなるほど入れることはないが、最初の数口には紅生姜を添えて食べている。

博多天神の最大のポイントは「替玉一杯無料」だ。お店の入り口とかにもいっぱい書いてある。確かに一杯だけだと、女性にはいいかもしれないがおれのようなFAT BOYには少し物足りない感はある。が、無料分の替玉があればおれのようなFAT BOYでも十分に満足できる量が出てくる。天神に行くたび、この完璧な量調整におれは感動する。残り一口で食べきる頃になったら「替玉、バリで」と言い、残りを食べながらゴマ・ボトルを逆さにして振る。炒りごまの加わったスープに注文から20秒ほどで上がってきたバリカタの替玉を入れてほぐす。そしてここで、卓上のかえしと、辛子高菜を加える。この替玉を繰り返すとスープの味が薄くなってしまう問題を、卓上のかえしで調整していいということに気づいた時の感動たるや……。かつてのつけ麺ブームの頃、麺の量は無尽蔵に増やせるがつけ汁が冷めてしまう問題や足りなくなってしまう問題をクリアしていない雑魚店舗で何度涙したことか。天神は、ちがう。無尽蔵に食べたければ食べればよいのだ、セルフで味を変えることでな。だが、このかえしのボトルにはなんの誘導もない。新宿にいっぱいいる外国人観光客とか、初見で天神に入った人にはこのボトルに何が入っているのか何もわからないだろう。おれは普段の業務で、このメッセージをどう周知するか?初見の人にもわかりやすくなっているか?誘導はできているか?……そういうことに気を揉んでいる。だがこういう「わかるやつにだけわかればよい」という姿勢も時には必要だと、顧客が一番満足できるベストな形であれば、全員がわかる誘導でなくてもいいのではないか、そうゆうことを天神の替玉は教えてくれる。

そして時として人生には劇的な変化が必要で、天神ではそれこそがまさに辛子高菜だ。ここにも万人にとってのベストではないが、天神にとってのベストである誘導がなされている。博多天神の辛子高菜の器には、どの店でも、「少量で味が良く……。」としか書かれていない。確かに入れすぎると辛いし、ひとつまみ以上入れるべきではない。ほんとうに辛いからだ。だがそのことを「入れすぎ注意!」と書かず、「少量で大丈夫です」とも書いていない。「少量で味が良く…。」何度見ても、完璧なキャッチフレーズだ。糸井重里がこのテプラを作ったと言われてもなんら不思議に思わない。世の中のバカ全員が無事にコーヒーを飲めるよう注意書きのテプラだらけになったコンビニのコーヒーメーカーを見るたびにおれは悲しくなる。天神の辛子高菜は世の中のバカ全員に開いてはいない。辛子高菜に貼られたテプラが天神に来た客の好奇心をほんの少しだけ刺激する、その先には劇的な味の変化が待っているのだ。これは常に面白いことを探して、注意深く歩いてゆけという博多天神からの魂のこもったメッセージだ。感謝の一念で勢いよく替玉を啜り、スープまで飲み干してさっと500円を払って店を出る。この間、約5分。提供が速いということは食べ終わるまでも速いということだ。博多天神は忙しい現代人の生活にマッチした店で、だからこそ何十年もやっていくことができたビジネス・モデルだ。

おれは実は、博多天神が好きだ……正直、ずっと"LOVE"を感じていた。だが「実は」という言葉をつけてしまうほど、博多天神を好きだと言うことに対して気が引けていた。それは昔「博多天神ってあるけど、本場の博多ラーメンはこういうのじゃないからね笑」と言われたことを気にし続けていることとか、牛丼屋やマックみたいなファストフードをバカにする風潮を気にしたせいだと思う。ラーメンはれっきとしたグルメだから……そんなことを考えながら、誰を誘うでもなく一人で天神を食べ続けていた。博多天神は、FAKEなのか?福岡に行くことのないおれは、それを確認することができなかった。本場博多とんこつラーメンをうたう店には何店か行ったが、本物の福岡のラーメン屋に行かない限り、本当のことはわからないだろうと思っていた。

そうやって10年以上が経ってから、ついに、福岡に行く時がやってきた。福岡音ゲーセッションだ。正直なところ、飛行機に乗るかバスに二回乗るかしないといけない遠さと交通費の高さに二の足を踏んでいたし、話を聞いた時は行こうカナどうしようカナ……と迷っている節はあった。だが決定した曲目には、おれの思い入れの強い「DEPARTURE」があったこと、そして何よりも博多天神の真実をついに確認することができるという、またとない好機……。おれはついに福岡へと飛んだ。福岡はいい街で、おれは博多豚骨ラーメンズのアニメを全話観ていたおかげで危険に晒されることなく旅行を満喫した。おれは二日半の滞在で、冷やしちんめんと牧のうどんを食べた以外は全てとんこつラーメンを食べた。博多天神のラーメンを探すためにだ。一応店の名前を書いておくと、shinshin、だるま、赤のれん、あと天神に出ていた屋台のラーメンと、中洲の端にある290円のラーメン。上から下まで広く食べたつもりだ。

結論を言おう……博多と天神で食べたとんこつラーメンはどれも、博多天神とは違う味だった。そもそもスープの油分量とかからして違う。でかい圧力鍋で白濁したスープとかではなかった。博多と天神で食べたラーメンはどれも、角度こそ違えど方向性は似ていたと思う。豚本来の持つ味が遺憾無く発揮されているように感じた。博多天神にはそういう臭みはまったくないのだ。共通していたのは、麺の硬さが選べること、卓上の調味料に紅生姜があったこと、替玉が頼めること、くらいのものだ。とんこつラーメンの店自体はおれの行った5店舗以外にもたくさんあったし、天神の屋台と中洲の屋台でまた違う部分もあるだろう。だが少なくとも、おれが行った範囲では……博多と天神に、博多天神のラーメンはなかった。

じゃあやっぱり、博多天神はFAKEなのか?おれは違うと思う。博多や天神や中洲で食べたラーメンは、どれもうまかった。だが博多天神よりもうまいかと言われると、それは比べられない。二つはまったく別のジャンルの食べ物だったからだ。そのくらい両者の間に、味のつながりはなかったと感じた……確かなことは、博多や天神でラーメンを食べながら、おれは、博多天神を食べたいなあ、と思っていたことだけだ。東京に帰った有給明け、おれはいつものように博多天神へ行き、いつものように「ラーメンバリで」といい、高速で運ばれてきたラーメンを啜った。うまかった。10年以上も前から変わらないうまさだった。博多とんこつラーメンのルーツとか、実際に博多や天神にあるかとか、そういうことが何もかもどうでもよくなった。このとき、博多天神はおれの中で確かなREALとなった。




おれは鷺ノ宮だが、お前は博多天神を知っているか?東京のいろんなところ……新宿渋谷池袋御茶ノ水とかにあって、とんこつラーメンが食べられる店だ。500円で替玉一杯無料。バリカタがオススメだ。同じ値段で味噌にするのもうまい。おれはトッピングはきくらげが好きだが、50円でひとつ煮卵を足せるので二つくらい足して食べるのも好きだ。福岡県には博多とか天神とかって地名があるが、たぶん偶然だ。おれはこの店のラーメンが好きだ。人生で一番食べている。機会があったら、おまえも食いに行ってみろ。あとは、そうだな……替玉を頼むとき、辛子高菜を少しだけ入れるのを忘れるなよ。

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