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日本の華族制度とイギリス貴族制度の違い

 先日、イギリス貴族の制度について書きましたが、そのときは日本の華族との相違点についてほとんど触れることができませんでした。

 そこで今回はタイトルのとおり違っている点をピックアップしてみたいと思います。できれば上の note をまずお読みいただければと思います。…長いですが。
 なお、イギリスは普通「貴族」と訳されるのに対し日本のそれは「華族」なのですが煩雑になるので単に「イギリスでは」「日本では」とあれば「イギリスの貴族では」「日本の華族では」という意味だと思ってください。

一家にひとつ

 イギリスではひとりでいくつも爵位をもっていることがあり、特に高位の貴族では最高位の公爵を二つも三つも保持していたり、下位の等級の爵位を10個ほど持っていたりすることが珍しくないのですが、日本ではそういうことはありません。
 これは日本ではまずイエ制度が基本にあり、さらに中世以来階級の格付けをイエ単位で行なってきた家格の伝統を反映したものでしょう。爵位はイエに与えられるものであり、等級はイエの格を示すものとみなされました。
 実は日英の制度の違いは貴族特有のものではなくこのイエ制度に起因するものが多々あります。平民を含む日本社会全体に適用される制度が華族にも同様に適用され、そこに多少の修飾がなされて日本の華族制度が成り立っています。
 話をもとに戻して、日本では爵位は戸主に与えられることになっています。叙爵対象者が戸主でなかった場合は独立して新たにイエを立てることになります。もと保持していた爵位よりも高い爵位を与えられることを陞爵といいます。「陞」は「昇」という意味です。例えば伯爵が侯爵になる、などです。
 ところがイギリスでは伯爵が侯爵になるということはそれまで保有していた伯爵に加えて侯爵を与えられるということになります。厳密には伯爵と侯爵の両方を保有する形になります。もっとも、ふだん名乗るのは最高位の侯爵だけですが。さらにここに加えて男爵を与えられると男爵と伯爵と侯爵を保有するということになります。日本の感覚ではちょっと意味がわからないかもしれませんが、ここがイギリスと日本でもっとも異なる点だと思います。

代替わり

 イギリスでは爵位の相続は免許状と慣習法で厳密に決まっていて当人といえども恣意的に変えることはできません。長男と次男のあいだで家督争い、などということは起こり得ないのです。逆に長男が相続したくないと思っても辞退できません。嫌でも自動的に相続させられます。
 日本では戸主にイエを嗣ぐ嗣子を決める権利があり、もちろん長男が優先されるのですが、戸主は廃嫡してほかの人物を嫡子とすることができます。実子を廃嫡して養子を嫡子にするような例も珍しくありません。まったく縁もゆかりもない赤の他人を養子にするのは華族ではいちおう制限されていましたが、婿養子をとるという抜け道がありました。さらには親族から養女をもらいうけ、その養女に他家から婿をとり後継者にするなどという例もあります。イギリスでは実子にしか継承権はなく養子は爵位を相続できません。
 イギリスでは「隠居」という概念はありませんが、日本では隠居ができます。高橋是清は子爵だったのですが隠居してイエを子にゆずり、平民として衆議院に立候補しています。

華族のやめ方

 イギリスでは継承する資格をもつ人物がすべて死んでしまえば断絶します。それは明確で妥協の余地はありません。親族に再度爵位が与えられることはありますが、それはあくまで新規の叙爵ということになります。叛逆で爵位を剥奪されるという例は近世くらいまではありましたが、さすがに近代ではみかけません。ただ第一次大戦中、イギリスの爵位をもっていながらドイツ国内にとどまりイギリスに敵対した貴族の爵位が剥奪されました。
 日本では養子が可能なので断絶することはなさそうですが、いろんな理由で爵位を失い華族でなくなるということが起こりました。わざと養子をとらず断絶させるケースもありますが、板垣退助は「一代華族論」をとなえて嫡子に爵位を相続させませんでした。華族が家督を相続するときは届出をして許可を得るという規定があり、わざと期限内に届出をしないことで爵位を返上することができたのです。なお華族は通常の戸籍上の届出とは別に廃嫡・結婚・養子などを華族を統括する宗秩寮に届け出る必要がありました。
 このほか不祥事で華族の称号を返上するという例がいくつかあり、さらには経済的に厳しく華族の体面を保てないという理由で返上することがありました。これがきっかけで華族の支援制度が設けられています。
 戸主が女子になったときには爵位を相続できません(女戸主という制度は民法上存在しました)。短期の女戸主を経て新たに戸主を立て華族に復帰した例はあります。

貴族院の構成

 参議院の前身にあたる貴族院はいずれも成年の、皇族男子(出席しない慣例)、公爵もしくは侯爵(全員)、伯爵・子爵・男爵が同爵位のもので互選した代表、勅選議員(有識者、終身)、高額納税者議員、帝国学士院代表議員です。おもしろいことにブレア改革(1999年)以後のイギリス貴族院の構成に少し似ています。改革前のイギリス貴族院は世襲貴族全員が議席を持っていました。
 爵位保有者は衆議院の選挙権・被選挙権をもっておらず、代議士が華族の称号を与えられることは政治的な地位を奪われることにもつながりかねません。平民宰相と呼ばれた原敬はこうした事態を非常に恐れており日記にはしばしば警戒する記述があったそうです。

おわりに

 改めてイギリスの制度と比較してみたとき、日本の制度は中世以来の伝統的な家格という概念と、明治民法のイエ制度の上に成り立っていることが痛感されます。華族制度を調べているつもりで実はイエ制度を調べていたようなものです。戦前の歴史を評価するには鍵になる制度です。
 何かまだ書き漏らしているような気がしますが、思い出したら追記することとします。

 ではもし機会がありましたらお会いしましょう。

(カバー画像は「華族令」公布が掲載された明治17年7月7日付官報〜国立国会図書館デジタルコレクションより)

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