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『世界の食卓から社会が見える』で社会が見えてきた。

何かの書評欄で見たのがきっかけで読みました。

著者は中学までの社会の暗記が嫌いだったが、高校に入ってからは自分の疑問の「なぜ?」を知れる地理が一番好きになったそうだ。私も「なぜ?」と思うものの結局は暗記で乗り越える経験をしてきた。この本は読んでいて腑に落ちることが多かった。

特に印象深かったのは、最初に紹介されたブルガリアとヨーグルトについての関係だ。
ブルガリアと言えば何を思い浮かべるかを著者が様々な場で質問してきたそうだが、9割以上がヨーグルトと答えたそうだ。確かに私も同じ質問をされたらヨーグルトと答える。私はヨーグルトが大好きで小学生の頃から毎日食べている。ヨーグルトの一般的なイメージはどういうものだろうか。この間たまたま乳製品の訪問販売をされたが、ヨーグルトは健康食品という立ち位置だったが、私にとっては朝食に食べるデザート的な立ち位置である。
本書によれば、ブルガリアでのヨーグルトの立ち位置は主役であり、ヨーグルトスープとして食べられている。現地のスーパーにはパンやカップ麺程の種類がありそうなくらいたくさんのヨーグルトが陳列された写真を見た。ヨーグルトの元など気にしたことはないが、牛、ヤギ、水牛と色々な種類がありそれぞれ味わいが違うようだ。
ブルガリアと言えばヨーグルトの認識は正しいと思った。けれども、ブルガリアにヨーグルトの消費量は1990年代2000年の間に激減している。これはソビエト連邦崩壊がきっかけで社会主義から資本主義へ転換したことに理由がある。社会主義下では、牛乳はエネルギー効率(餌のカロリーに対して得られるカロリー量)がいいものとされていた。肉などはこの効率が低く、生産性の低いものとされていたようだ。この観点からヨーグルトが食べられていたが、資本主義に移ったことで栄養価よりも利益の出るものへと生産がシフトしたので消費が減ったようだ。

こんな背景を知ると、確かに頭に残りやすい。

他にも宗教上の理由で食べられない物はどう解釈しているのかを色々な人に聞きまわっていたのも印象的だった。
ガチガチに守っている人もいれば、寛容な人もいるようだった。中には日本に来てから宗教上の理由で、食事で毎回気を使うのが周りに申し訳ないということから禁止されているものを食べるようになったという話を覚えている。
解釈に関しては慣習や自分なりに理由をつけているだけであって、必ずしも合理的でないようだ。なんとなく覚えているのは、肉食・雑食動物を食べてはいけない(忘れましたが本当はもっと厳格な理由になっていて、蹄がどうたらで、それは特定の動物を外すためのものみたいな諸説があると書いていた気がします)のは、食べられる動物が何を食べているか分からないので体に悪影響が出るという生物濃縮の考え方に通ずる所があってなるほどというものがあった。
日本は世界と比べて、宗教へ寛容的でないという意見もあるが、機内食は世界トップレベルに配慮されていることも雑学程度に知った。

驚いたのは、日本の野菜が水っぽいという意見があったことだ。
世界の野菜とそんなに違うのかと。思い出してみれば、親に料理に関して聞くと、事あるごとに「野菜からは水分が出るから」と言うから、妙に納得はできる。

中東の問題としてよく耳にするパレスチナ問題がこの本を読んで少し分かった。ユダヤ教の聖典(旧約聖書)に書かれている神から与えられた土地というのが、パレスチナである。元々、そこには人が住んでいたのでユダヤ人が押し寄せてきたという認識になる。当時はパレスチナをイギリスが管轄しており、後から来たユダヤ人に対して建国と移住を許可してしまったことに問題が始まる。1947年に領土の分割が決まり、半分以上がイスラエルに与えられることに。もちろん、パレスチナは納得がいかずに領土の争いが始まる。領土の争いが始まると、パレスチナは領土を奪還するどころか逆に大きく奪われてしまう。領土の変遷は調べると簡単に出てくる。

ケッペンの気候区分という数学の公式的なものも知った。気候区分については何となく中学生くらいで習ったがよくは覚えていない。この気候区分では樹木の有無、降水量、気温を知るだけで土地の生活が分かるようで著者も重宝しているようだ。どの気候にどんな植生があるのかはある程度知っておくと便利そうだが、覚えられるだろうか。



この本を読んで、歴史と文化のつながりが見えた気がする。私にとっては、この手の本を読むと多方面のことについて理解が深まりそうだ。こんな感じの本を探して読んでいきたい。

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