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「労働」は義務かもしれないけど、同時に活き活き暮らすための理由でもあって欲しい

昨日、たまたま目にしたこの記事。

不動産投資界隈の有名ツイッタラーさんが書いた、FIRE(Financial Independence, Retire Early;経済的自立と早期リタイア)に関するお話です。

「働く」とは何か?について考えるきっかけになる名文なので、ぜひ多くの方に読んでもらいたいなと思い、冒頭でご紹介しました。

宣言通り、僕は暑さ対策&コンディショニングを目的として今日も引きこもり予定なのですが……今日は午後から雨で、気温も30度を超えなさそうという情報をキャッチしてしまい、俄然外出へのやる気が高まってきてしまっています。

実際に出かけるかどうかはさておき、こういうときの「行く宛はないけどとりあえず出かけるか」の行き先はだいたい仲の良い店主さん・スタッフさんがいるカフェなので、人は本能的に人との交わりを求めているんだなぁと思うわけです。

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で、表題の件。

この"人とのつながり"という点において、「働く」が果たす役割はあまりにも大きいと思っています。

何かの目標を達成する、課題を解決する、あるいは一定の状態をキープする(公務員とかインフラ系とか)……など、共通の旗印の下に集った人たちが同じ方向を向いて、それぞれに割り当てられた仕事をする。その過程で生まれる"人とのつながり"こそが、実は我々の日々の暮らしを豊かにしてくれている……と。

キラキラしたSクラスビルでスーツを着て会議をしたい。ランチミーティングをしたい。新卒の部下に相談されたい。たまには深夜まで残業して夜景の一部になりたい。タクシーの中で車酔いしながら企画書を作りたい。クライアントに「どエンドさんじゃなければ今回は出来ませんでした」とお礼を言われたい。仕事を通じてありがとうを集めたい。あんなのワタミ会長の妄言だと思ってたけど、欲しいよ。ありがとう。ありがとうだけじゃ暮らせないけど、お金だけでも人は満足できない。

冒頭に紹介した記事からの抜粋ですが、恐らくこの方の偽らざる今の気持ちなのだと思います。

僕もここまでではないですが、孤独な時間が続くと同じようなことを思うことがあります。たまに平日の朝の街に出たときに、早足で会社に向かう人達を見て「この人たちには出勤する場所があって、そこに行けば「おはよう」と出迎えてくれる誰かがいるんだなぁ」と、自分と比較して寂しい気持ちになったり。

やっぱり、人は一人では生きていけないですし、お金だけでは満たされないんですよね。だから、働くこともそれだけではちょっと不足があるはずです。

「労働」は、この国の"義務"として憲法に定められています。みんなが「やらなければいけないこと」。でも、この「やらなければいけないこと」をする中で、日々を活き活きと暮らす理由を得られているのだとしたら、それは素敵なことだと思います。

もちろん、色々なケースが有ることも重々承知しています。今日は細かい個々のケースまでは言及しません。ただ全体として、「働く」の中にそういう希望みたいなものを感じながら日々過ごせたら良いな…ということを、なんとなく思います。

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