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転んで起きる星のもと

 耳の下辺りがじんじん痛くて身体が怠い、って言ったら大抵の人は「風邪じゃない?」とか適当なことをぬかすだろう。私はいつもその返事が堪らなく頭にくる。あーあ、風邪だったらよかったですね。いつか治りますもんね。確かにちょっと熱っぽいけど、でも違うんだなぁこれが、コンチクショウ。 

 まるで私の席の周りだけ重力が二倍にも三倍にもなっているみたいだ。一度机に突っ伏すともう起き上がることができなくて、私は視線だけをそっと黒板の方に動かす。ここは教卓の目の前だからどうにも目立つらしくて、数学教師の杉田が板書の合間、物言いたげにちらちらこっちを見ているのがわかった。 

「あー……じゃあ次の問いを、羽柴」 

 呼び捨てにしてんじゃねぇよ。ドルガバの眼鏡とかかけちゃって、自分のことカッコイイと思ってそうなところが、むかつく。あんたの価値なんか女子校にいる若い男教師ってとこだけだよ、と大声で叫んでひっぱたいてやりたい。 

「羽柴、聞いてるのか。四十六ページの問二を……」 

「うるっさい」 

 私はそう言って杉田のことを睨みつける。ひっくり返って白目を剥きそうな両目に、今感じているフラストレーションの全てを込めて。 

「……問二を、長岡」 

 杉田は溜息をつくと、私の隣に座っている孝子に同じ質問をした。ハスキーな声がすらすらと呪文のような解答を読み上げていくのを聞いていると、何だか少し気持ちが落ち着く。それと同時に堪えきれないような眠気が襲いかかってきて、私は素直に目を閉じた。 

 一発睨んでおいたから、杉田ももうとやかく言ってこないだろう。机に頬を押し付けたまま、私はふて寝を決め込むことにした。 

 ああ、お腹痛いなぁ。傷を負った野生動物みたいに身体を丸めても私の痛みは消えやしない。五十過ぎまでひと月に一度、この痛みは必ず訪れる。 

 「女に生まれなければよかった」なんて考えても、夢の中でくらいしか私の股間にちんこは生えないし、まんこや子宮だって消えやしない。だからせめて夢の中でくらい、私はこんな風ではない人生を歩みたいと思いながら静かに意識を手放す。「おやすみ」どこかで優しい声が、私にそう囁いた気がした。 

「おはよう、璃子。また怒られたね」 

 ぼんやりとした視界の中で、孝子がきれいに笑っている。 

 私は寝起きの顔を右手でごしごしやりながら尋ねた。 

「……授業は?」 

「もう終わったよ。っていうか、委員会も終わって、私は今帰るところ」 

 そういえば教室の中には少し西陽が差し込んでいる。おまけに私と孝子以外、生徒の姿は一つも無かった。 

「裕美と奈々枝は?」 

「……もう帰ったんじゃないかな」 

「あいつら……」 

 いつもそうだ。私が『こう』なるとそっと離れていき、そしてまた戻ってくる自称友達のクソッタレ。 

 イライラする。お腹の下の方が痛いし何だか気持ち悪いし、最悪だ。 

「くっそー!」 

 私は机の上に転がっていたMONOの消しゴムを黒板に向かって投げつけた。ばんっ、という音と共に跳ね返ったそれは、孝子の左肩に勢いよく当たって落ちる。 

「痛いよ、璃子」 

 そう言いながら孝子は消しゴムを拾って、私の筆箱にそっとおさめた。 

「モス行きたいな。寄ってこう」 

 そして何事もなかったかのように私を誘って、荷物を纏め終わるまで待っていてくれる。私は知り合ってから二年間、彼女が本気で怒ったところを見たことが無い。 

「お腹痛いなら、ゆっくりでいいよ」 

 長岡孝子というのは、そういう子だった。 

 私と孝子の家の間、ちょうど真ん中くらいにあるモスバーガーの窓際で、私達はだらだらと話していた。 

「大変だよねぇ、中生理」 

 孝子はシェイクのバニラを片手にゆっくりと喋る。 

「大変なんてもんじゃないって。もうマジで、何で私だけこんな目に合うのって感じだよ」 

 私はこの暑いのにホットコーヒーなんかを飲んでいる。お腹を冷やすと痛い目にあうというのは、嫌というほどわかっているからだ。 

「とりあえず、三日くらいしたら一段落するでしょ?だからそれまでの辛抱だよ」 

「まぁ、そうなんだけど」 

 それでも耐え難いからこうして文句を言っているのだ。不快感をやり過ごすというのは、すごくすごく難しい。私は砂糖もミルクも入っていないコーヒーをホッカイロがわりにしながら、紙コップを両手で包み込んでいた。 

 なかせいり、というのは私が勝手に作った言葉だ。出血が始まる一週間くらい前にそれはやってくる。お腹が痛くなって、無性にいらいらして、食欲が出まくってニキビができる。その最悪な時は大体長くて三日くらいで、それからきっかり七日後にみんなの言う一般的な生理が始まる。だから私はその三日間のことを「中生理」と呼んで、かなり激しく嫌悪していた。 

「あー……モスチーズ食べたい」 

 紙コップの縁に噛り付きながら、私は呻くように言う。 

「食べればいいじゃん」 

 当たり前のことのようにそう返す孝子にいらいらしながら、私はコップの味を噛みしめることで空腹を満たそうと必死だ。 

「簡単に言わないでよ。今食欲やばいからセーブしてんの」 

 孝子はきれいだ。しかも細い。だからこういうことを言われるとすごくイラッとするのだ。食べても食べても太らないくせに。お前に何がわかるんだよ、と叫びたくなる。 

「食べたいなら食べたらいいんだよ」 

 だけど孝子はいつもそう言って私を甘やかすのだ。私がいくら怒りの感情を向けても、動じることすらない。 

「……いいよね、あんた細くて」 

 嫌味っぽくそう言ったって通用した試しが無かった。 

「でも私胸が無くて」 

 いつも眉尻を下げて情けない顔をしながらそう言って笑う。 

「そだね」 

 憮然としながら私がそう言うと、孝子は可笑しそうにぷっと噴き出した。 

「……璃子は言いたいこと言うね」 

 あんまり楽しそうにそう言われたものだから、私は孝子を睨みながら脅しをかけるように尋ねる。 

「何それ、馬鹿にしてんの?」 

「ううん、違う」 

 すぐに返ってきた朗らかな返事は、あくまで優しかった。 

 まるで母親が子供にするみたいに、男が恋人にするみたいに、ふんわり柔らかい目で私を見ながら、孝子は言う。 

「璃子のそういうところ、すごく好き」 

 孝子の細い指を、紙コップを滑った水滴が濡らした。 

「……好きよ」 

 そう言った孝子の唇がプラスチックのストローをそっと含むのを、何故だか私は、いけないものを見ているような気持ちでじっと見つめている。私の掌もコーヒーの熱で、じっとりと貼りつくような汗をかいていた。 

「寄り道したいんだけど、いい?」 

 孝子がそう言う時、大抵行き先は決まっている。 

「いいよ」 

 私がそう返して先陣を切って歩いていくと、恥ずかしそうな顔をして孝子がついてきた。恥ずかしいなら行かなきゃいいし、行きたいなら恥ずかしがるのをやめたらいいのに。以前そう言ったことがあるけど、どうもそう簡単にはいかないらしい。私にはわからない世界の話だ。真新しいビルのエレベーターホールで、私達は『それっぽい』人達とすれ違った。トートバッグにたくさん、瞳の大きなキャラクターのバッジが付いている。 

「あれ、今流行ってるんだよ」 

 そう言う孝子の顔は嬉しそうだ。それを見て私も少しだけ、身体の怠さが軽くなったような感じがする。 

 孝子はいわゆる『隠れオタク』という奴らしい。アニメや漫画が好きだけれど、周りの誰にもその事実を話していないという。どうして私にだけそのことを打ち明けたのかわからないけれど、孝子は何も知らない私に一生懸命色んなものを解説して、私の方はその言葉の半分も理解してはいないというのに、何だかいつも楽しそうだった。 

 エレベーターから降りると、目の前には極彩色であふれた空間が広がっている。アニメグッズや漫画がたくさん置いてある、孝子のお気に入りの場所だ。 

 一足早く飛び出した孝子のきらきらした目が、棚の上のキャラクター達を愛おしそうに撫でていく。ひとつ手に取っては、「可愛い」とか呟いて、そっと棚に戻したり、レジまで持って行って嬉しそうに帰ってきたりする。私には何が楽しいのかわからないけれど、孝子のそういう顔を見ていると少し気が晴れるので、この時間は嫌いじゃなかった。 

「璃子はね、外に出た方がいいよ」 

 孝子がふわりと微笑みながらそんなことを言うので、私は口をへの字に曲げて反論する。 

「少なくともあんたよりはアクティブだよ」 

「そういう意味じゃなくて」 

 孝子は棚の上の金髪イケメンを手に取って、じっと見つめる。 

「こういう時はね、外の空気を吸ったらいいの」 

 そう言って孝子は、イケメンの王子様をそっと棚の上に戻した。 

「うん、今日はこれでいいかな。帰ろう」 

 くるりと踵を返す孝子に何も言えないまま、私は彼女の後に続く。「外の空気ってこんな冷房ガンガンの室内のことを言ってるのか」とか「あんたの買い物に付き合ってやってんのに何言ってんだ」とか、思うことは山ほどある。だけどこういう時の孝子は何だか色んなものを悟った仙人みたいで、不思議と有無を言わせない感じがするのだった。 

 色んな音や色彩が入り混じったごみごみした空間から離れて、エレベーターへと向かう。その間も、いつもより少しだけ弾んだ声で孝子が目に入るありとあらゆる物を解説してくれた。これはね、あれはね。ふぅん。適当に流していると、孝子が不意に私の制服の袖を強く引っ張った。 

「孝子?」 

「どうしよう……同じ学校の子だ」 

 孝子の表情は強張っている。見つかりたくないんだろう。そこにどんな後ろめたさがあるのか私にはわからないし、同じものが好きならどうにでもなると思うんだけど。 

 でも孝子がそれを望んでいないのなら、無理に強要したって仕方ない。 

「……私が行ってこよっか」 

 その間に下に降りてしまえばいい、と提案すると、孝子は静かに首を振った。 

「駄目だよ……」 

 いつになく弱々しい声で、孝子は言う。 

「璃子にはこんなところ、似合わないもの」 

 チン、と音がして、エレベーターの扉が開いた。するりと逃げるように滑り込んだ孝子の表情がよく見えなくて、でも何となく悲しそうな顔をしている気がする。 

 こんなところ、なんて言うな。少なくとも、自分はそう思ってないんだろう。私もだ。 

 私もだよ。 

 そう伝えたかったのに、うまく言葉にならない。 

 私の制服を掴んだままの孝子の指をそっとほどいてやると、一瞬だけ二人の指先が触れ合った。孝子の手は何かの間違いじゃないかと思うくらい冷たくて、でも私にはもう一度彼女の手に触れてそれを確かめることなんてできやしない。私の指だってきっと、温かくなんかは無いだろうしな、とぼんやり思いながら、私達は背中を向けて、それぞれの帰り道に向かうのだった。 

 その日の夜は、お風呂に入っても音楽を聞いても全く眠くならなくて正直参った。 

 中生理二日目にさしかかるこの晩は、いつも一番辛い。ネガティブとかセンシティブとかいう柄じゃないのに、そういう気分にならざるをえないのだ。自分を否定しないと呼吸ができなくなるような、閉塞感。 

「っふ……う……っ」 

 涙が出ることが一番辛く、情けなかった。 

 私はもっと尖っていなきゃ。強くなくちゃ。だってそういうキャラだし。 

「あああ……、うああん!」 

 泣いたら顔だって腫れるし、そしたらただでさえ奥二重の目がもっと小さくなっちゃう。身体だってむくむし、頭痛くて顔色悪くなるし。何より、ずっとずっと深くて暗いところまで落ちてしまいそうで、怖かった。 

 どうして。どうして私ばっかりこんな目にあうの。毎月毎月、どうして心の中で自分を痛めつけなくてはならないの。 

 行く宛ての無い無力感に苛まれて、私はもう涙の粒になって消えてしまいたかった。どうして、とか言われても困るのだ。だってそういう気分なんだから。私なんて居ちゃあいけないような気が、漠然とするんだから。 

「ふっ……う」 

 嗚咽する為に大きく息を吸ったその瞬間、ベッドサイドに置いてあった携帯電話が震えた。二度、三度と続いてもおさまらないそれは、どうやら着信を告げているようだ。 

 私はディスプレイも見ずに『応答』をタップすると、近所の迷惑も顧みない声で泣きながら彼女に縋った。 

「孝子ぉ……」 

『あぁ、やっぱり泣いてると思った』 

 孝子のやわらかい声が、何だか胸にじんと沁みる。 

「うあぁぁ」 

『はいはい、もうちょっと静かに泣こうね』 

 まるで子供をなだめるみたいな声でそう言われて、ふざけんなと思う。お前の子供じゃないし。もうちょっと対等だし。馬鹿。孝子の大馬鹿野郎。 

『……辛い?』 

「辛いにきまってんだろぉ!」 

 孝子の声はあくまで優しい。もう夜中の十二時まわってるっていうのに、泣きながら電話に付き合わされて、私だったらキレるどころの騒ぎじゃないっていうのに。 

『そうかぁ、辛いかぁ』 

 慈しむような声。よーしよーし、って何なのお前。私のこと犬か猫だと思ってんの。 

『それじゃあ今から行くから待ってなさい』 

「……親は」 

『こっそり出てくるよ』 

 孝子は普段大人しいくせにこういう時だけ大胆だ。親だって厳しいのに、私がこんな風になる度に、つまりは毎月、私のことを心配してこうやって抜け出してくる。 

「……」 

 本当だったら「いいよ、大丈夫だよ」というのが筋なんだろう。 

 でも私は強欲で我儘だからそんなこと言わない。 

「十分で来て。あそこのファミマ」 

『わかった』 

 そう言って電話が切られる。私はパジャマ代わりのTシャツとハーフ丈のジャージ姿で家を飛び出した。勿論親にばれないようにそっと、だけど。 

 生温い風を切って走り出すと、途端に汗が噴き出してくる。でも私は早く行かなくちゃ。たとえぐちゃぐちゃの顔でも。目が真っ赤でも。ミュールが親指のところに擦れて痛いけど、走り出した足は止まらなかった。そういえばジャージにミュールってひどい格好だ。まぁそんなのどうでもいいか。 

 待ち合わせたファミマの前には見慣れた私服の孝子が居て、お前何ちゃんと着替えてんだよ、と文句をつけたくなる。私こんな格好だし、おまけに両目は真っ赤なんですけど。 

「璃子、うさぎさんだね」 

「うるさい」 

 それでも孝子は『酷い顔』なんて言わない。まぁ『うさぎさん』も大概メルヘンで酷いと思うけど、いつも孝子はこういう時、私を傷つけるようなことなんて言わないんだ。 

「何か飲む?」 

 孝子はやわらかく微笑みながら私に尋ねる。 

「……カフェオレ」 

「うそー。キレートレモンにしなよ」 

 でもやっぱりいつだって、こいつは人の話なんか聞いちゃいない。 

「だってあれ酸っぱいじゃん」 

 私が酷い顔のまま眉間に皺を寄せて言っても、 

「そこがいいんだよー」 

と折れる様子は無い。 

 そのままコンビニの中に消えていく孝子を見送りながら、こめかみに伝う汗を拭った。Tシャツと肌の隙間がじっとり湿って気持ち悪い。ぱたぱたとお腹の辺りを仰ぎながら、私は孝子が戻ってくるのをぼんやりしながら待った。 

 五分もたたないうちに戻ってきた孝子の手には、やはりというかなんというか、二本のキレートレモンが握られていて、私はもう何か言う気も起きなかった。 

「はい。元気出るよ」 

 そう言って差し出された一本を無言で受け取り、蓋を開ける。 

 これで、この駐車場で今まで飲んだキレートレモンは何本になるんだろう。私のお腹が痛くなる度、こうして泣く度、孝子は夜中にやってきて、キレートレモンを奢ってくれる。いつもふんわりと微笑んで、私の心を傷つける私からそっと守ってくれる。 

「……あんたって、何でこんなことしてんの? ボランティア?」 

 手の中の瓶に残っている最後の一口を飲み干しながら、私は孝子にそう尋ねた。はっきり言ってただの憎まれ口だと思う。だけど、孝子は一瞬目を見開いた後、ひどく可笑しそうにくすくす笑い出した。 

「何言い出すのかと思ったら」 

 そう言うと、私の手の中から空き瓶を抜き去って二本をゴミ箱に放り込む。 

「……送ってくよ」 

 孝子は私の問いには答えず、そう言ってすぐ隣にとめてあった赤い自転車にまたがった。 

「後ろ乗りなー」 

 孝子は二ケツがあまり好きじゃない。でもこういう時だけはいつも、私を後ろに乗せてくれた。荷台にまたがって、孝子の細い腰にぎゅっと手をまわす。折れちゃいそうなくらいなのに、触れればほのかにあたたかくて、私は少しだけ心が落ち着くのを感じた。 

 蒸し暑い夜の風を二人で切っている。 

「私も自転車でくればよかったー」 

 ぼやく私に孝子は笑いながら、 

「何言ってるの。いつも必死で走ってくるのに」 

と言った。 

「別に必死じゃないし」 

「うそ」 

 さっきまで蒸し暑かったのが嘘みたいに、走り出せば頬を叩く空気の流れが気持ちいい。Tシャツと素肌の間では汗が冷えて、少し肌寒いくらいだった。 

 孝子の身体は不思議なくらいあたたかくて、こういう時すごく離れがたく思う。ぎゅっと腰にまわした腕に力を込めると、孝子がまた笑ったのが振動でわかった。 

「……さっきね、どうしてって聞いたでしょ?」 

「うん」 

 孝子がペダルを踏む度に振動が伝わって私の身体が揺れる。孝子の髪も揺れて、鼻先にシャンプーのいい香りがした。 

「どうしてこんなことしてるのかって」 

「聞いた」 

 交差点の街灯が一つ切れかけて、チカチカ点滅している。その明滅につられて、羽虫がふわふわと辺りを漂う。 

「それはね、自分の為だよ」 

 孝子の口調は、まるで小さな子供に言って聞かせているみたいだった。 

「私はね、璃子が好きなの」 

 孝子の首が一瞬傾げられて、柔らかい髪が私の頬を滑る。そのさらっとした質感に、私は自分の心臓が跳ねるのを感じた。 

「自分のことを一生懸命好きになろうとしてる璃子が好き。だから璃子を好きな自分も好き」 

 私には孝子の言っていることがやっぱり半分も理解できなくて、でも何となくそれは嬉しいことのように感じた。いつもへそ曲がりでいつもより卑屈な今の私がそう感じるんだから、きっと間違いではないと思う。 

「好きな人が辛かったら、傍にいたいのは当然だよ」 

 何だか一世一代の告白を受けているみたいだし、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。気が付けば空には星がいっぱいあるし、チャリで二ケツだし、そういえばシチュエーション的にはばっちりだ。 

 ただ私はやっぱりロマンティックやポエティックなんて柄じゃないので「ぶはは!」と情緒もへったくれもなく噴き出して、孝子の言葉を笑い飛ばして見せた。 

「何それ。きもいんだけど」 

「ねぇ。私もそう思う」 

 私達は自転車の前と後ろでケラケラ笑いながら、たまにマンホールの段差によろけて、バランスを崩しかけたりしながら家に向かう。夜はまだまだ明けない。だから私達は眠らなくてはいけないのだ。 

「あー……」 

 孝子の肩に顔を埋めて、私は風呂上がりのおっさんみたいな声で呻いた。 

「どした?」 

 そう尋ねる孝子は、きっと私が何て言いたいのかもうわかっている。 

「なんか、悟っちゃったんだけど」 

 お腹も痛いし顔もむくんでるし、明日はそういえば小テストで何だかなんだ憂鬱だけど。 

「死ななくても生きてけるよねー」 

 私はそう言いながら顔をあげて、ぼやけた星ばかりの都会の夜空を見上げた。そしたら今度は月ばかりか隣の電柱まで滲んできて、なんだか目も熱い。 

「そうだね」 

 何だそれ、とも、意味わからん、とも言わずに、孝子はただ柔らかく微笑んでいた。 

 本当は明日の朝までこのままずっと走っていたいけれど、私達には明日があるので、あと十分くらいしたらそれぞれのベッドで眠りにつくだろう。 

 そして来月も私達はこうして泣いて喚いてキレートレモンを飲んで、また立ち直ってはベッドの中で目を閉じる。そうやって生きていくものなのだ、女ってやつは。 

 「はー、面倒くさ」 

 私は思わず呟いた。 

 「何言ってるの。そこがいいんじゃない」 

 孝子はそう言って笑っている。何が可笑しいのかわからないけど、すごく楽しそうに、笑っている。 

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