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もしもコモンビートのミュージカルがない世界になるなら。

「Yesterday」という映画を知ってますか?世界が12秒間停電して、再び電気が戻ったら、世界から「ビートルズ」が消えていた、という面白い設定の映画だ。映画は映画でとてもおすすめなので観てみて欲しい。

この設定がなんだか今に当てはまる。

「12秒の停電=新型コロナ感染拡大」、「ビートルズ=コモンビートのミュージカル」と、してみるとどうだろか。

つまり、ストーリーとしては、「新型コロナウイルスが終息したら、コモンビートのミュージカルがない世界になっていた。」となるわけだ(笑)。

やべぇ、そうなったらどうしよう!!笑い事じゃない!と、焦る自分もいるけど、そんなコモンビートも見てみたいと思う自分もいる。

コモンビートのミュージカルは「多様な価値観を認め合える社会の実現」というゴール向かうための手段である。だから、もしミュージカルが消えちゃったとしても、他の手段でゴールを目指すだけだ。

その手段はなんでもいいかというと、究極目指す社会の実現のためならなんでもいいのだが、「表現活動」が実現のために良い方法だという想いがある。歌や踊り、自分を表現することは心が動き、とても人を幸せにすると思う。

実際には、このコロナ禍でコモンビートのミュージカルプログラムを実施するには「3密」の壁が大きく立ちはだかる。年内のミュージカルプログラムは全て中止となってしまった。感染拡大が終息に向かえば、段階的に再開していくこともできるだろうし、願っているけど、こればっかりは今後どうなるかわからない。

コモンビートのミュージカルがない世界が本当に来るとしたら、私たちはどんな活動でビジョンの実現を目指すのだろうか。この大きな問いにどう答えるか、みんなで考えいかなくてはいけない。

映画の中では「ビートルズ」は消えてしまったけど、一人だけビートルズの曲を覚えていたミュージシャンがいて、あの名曲たちを歌い続ける。同じように、コモンビートのミュージカルがなくなっても、きっとみんなで全く違う方法を生みだして、活動が続いていくはずだ。

コロナ終息は待ち遠しい。それでミュージカルが再開できるなら、それはとても嬉しいこと。だけど、目指す社会を実現する手段が2つにも3つにもなることも素晴らしいことだ。

もちろんコモンビートのミュージカルはなくなって欲しくないが、なくなったとしてもなくしてはいけないのが「表現活動」そのものだ。それさえ残れば、究極、団体の枠がなくたって個人個人で多様な価値観を認め合える社会を目指せばいい。

結局のところ、ミュージカルやりたいし、なくしたくたい。でも、一回ミュージカルのことを頭から外して、新しいこともたくさん生み出したい。

ちょっと欲張りになってきたな。
たまにはいいか。


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