マテリアルガールの断髪式
I was a Material Girl.
青山の美容室でショートヘアにした。マテリアルワールドのマテリアルガールはもういない。これまでの思い出や執念を、全て綺麗に清算できた気がした。
獅子座流星群くらい、あっという間の5年間だった。最期は銀座のホステスとして、その使命を終えた。
夜の仕事はビジュアルの印象を著しく変えると給与減額の対象になることもあるため、中々思い切って髪を切ることができなかった。その呪縛から解き放たれた今、「断髪式」という儀式で私にこれまでにない開放感を与えたのだ。解放感か開放感かどっちか分からないけど、この際どっちでもいい。とりあえず、自由になれたのだから。
最初はミディアムボブくらいだったけど、最終的にはショートボブまで短くした。切る前より、優に30cm以上は違う。人の髪が伸びる平均的なスピードは1ヶ月に1cmらしいが、その2年半近くの月日に思いを馳せると少しばかり切なくなる。
翌日の本命とのデートに備え入念にヘアケアをしたと思えば、過労日には髪も顔も身体も洗わずそのまま寝てしまったことが幾度もある。私の髪は、そんな純真さや頑張りに素直に向き合ってくれたんだな。ありがとう。また、ロングにしたいと思った時はよろしくね。
新人の頃はバービー人形のように着飾るのが好きで、ヘアメイクやドレスを毎日のように変えていた。良いように囃し立てられると、私の変身欲求は更に刺激され、それに伴って自分を纏う人格も変わっていた。おめかしが大好きなバービー人形から、全身全霊で戦うジャンヌ・ダルクに変貌していたのだ。身につけている物がパーティードレスから、戦場の甲冑に変わった瞬間でもあった。
クローゼットには、まだ20着以上のドレスが残っている。自分を5年もの間、護ってくれた甲冑を到底捨てる気にはまだなれない。その甲冑毎に色んな思い出があり、私の柔さと頑丈さを上手く調和させ、心血を注ぐように護ってくれていた。また着たいけど、きっともう着ることはないんだろうな。でも、やっぱり捨てるのはまだまだ先になりそう。それを受け入れてくれる真っさらで純一無雑なトラッシュ缶が現れるまで、私は待とうと思う。
そんなジャンヌ・ダルクに変貌した私は、自分を護るために色んな刃を振りかざしたり、時には力いっぱい盾を取ったりした。大いなる自信と実績を得た私の心は、どんな諸刃の剣も破り得ることができないくらい強固な物になったのだ。
常に他者と競い合い、そして劣等感をぶち破り、どんな結果に対しても全力の感情で向き合うことができた。そんな剥き出しの感情があるからこそ、未来の自分に更なる障壁や褒美を与えることができるのだと悟った。
自信がついてからは、良くも悪くも色んな欲に塗れてしまった。生きるモチベーションや仕事に対する向上心が上がったのは確か。でも、5年間でどのくらいのお金を使ってもらったか、またどのくらいのお金を散財したのかは分からない。若い時に、ザ・マテリアルワールドを思う存分楽しめたのかだから、悪くはなかったのかもしれない。30代を過ぎてからの自称「マテリアルガール」は、さすがに恥ずかしい気がする。いくつになっても、そんな総称で呼んでいいのは、本家本元のマドンナ大先生だけである。
そして、大先生さながら顔も変わった。当初は、美容整形をすることで、これまでの自分の片鱗が何一つなくなってしまうのではないかと不安でいっぱいだった。自分が自分でなくなる気がして怖かったし、顔を全て変えることは、家族や先祖たちのDNAを真っ向から否定することになり兼ねないと考えていた。
でも、悪いことは何一つなかった。仕事の成績も更に上がったし、恋愛では自分の好みの男性に好まれるようになった。何よりも、母親が53歳にしてタトゥーデビューをしていたことに安心した。肩の荷が下りたっていうか、それらの行為は自身や家族を傷付ける行為ではないと知らずに教えてくれた気がしたのだ。単に、私の考えすぎだった。ジェラードンのかみちぃ扮する、タカコの威勢の良さいくらいにツッコミたかった。
そして、恐怖心は全くなくなり、美容整形を繰り返すようになった。そこには心理的な依存や自分の容姿を卑下する気持ちは一切ない。いわゆる、「醜形恐怖症」のような類の病は持ち合わせていない。「可愛くない」からするのではなく、「もっと可愛くなりたい」という気持ちで今も美容整形を繰り返している。
そんな何事にも強い心を持って飛び込む勇気が、人生の大きな財産になったかもしれない。20代という限られた時間でしか体験し得ないことは、世の中にはたくさんある。仮に30代で全く同じ整形をしても、色んな面で「オトク」になるバロメーターの振り幅は狭くなると思う。経済的なオトク、感情的なオトク、性的なオトク、エトセトラ…。そのバロメーターの振り幅が年齢と比例してしまうことは、言うまでもない。「あの時の選択は決して間違えてなかった」と思えた時、初めてそれ以上の価値を得ることができると思う。
だから夜の仕事は、自分の天職だと思っていた。それなのに、なぜ辞めたか。辞めたというより、辞めざるを得なかった。いつも以上に張り切っていた、銀座でのある夜。急性アルコール中毒が原因で救急車で運ばれてしまった。本当に死んでしまうんじゃないかと思った。急性アルコール中毒の致死率は40%らしいから、助かったのは本当に奇跡。アルコールアレルギーの私の身体がついに限界を迎えたのだ。
アルコールアレルギーなのに5年間も続けられたのは、自分の存在を肯定し続けることができる世界だったから。自分は凄いって、覚醒し続けられる世界だった。でも、その覚醒が切れてしまったと同時に自分の居場所や夢を無くしてしまい、空虚感でいっぱいになった。これから何に従事して生きていけばいいのか、またあの時のようにアドレナリンをフルリリースできるような天職に出逢えるのか、不安でいっぱいだった。自分の意に反して、運命が私に指図しているようで物凄く悔しかった。こうなるはずじゃなかったのにって。
でも、今は違った幸せがあってなんとか持ち堪えている。新卒ぶりにお昼の仕事(営業職)に就き、思ったよりもストレスのない生活だ。朝早く起きてカフェに行くとか、仕事終わりに友人とご飯に行くとか、当たり前のことなのに幸せに感じる。夜の仕事の時は、その世界でしか人間関係を築けなかったから、常にどう立ち回れば物事が上手く進むのだろうと頭の中が迷路になっていた。それは時にストレスになることもあったけど、今は人生で初めてゆっくりできることを覚えたようでなんだかとても嬉しい。ダウニーの柔軟剤が香るシーツに寝転び、羽毛100%の布団に包まって寝落ちする瞬間のような、心地良いムーヴが続いてる。この心地良さが自分の中で、もっと充満していけばいいな。
夜の戦場で働いていた時は、男性からの愛の尺度を全てお金で測っていた。大金を使っても変に執着してこない、その場限りのイリュージョンな関係で事を終えてくれる男性が好みだった。正に、マテリアルガールと言った感じ。そして、マテリアルワールドから脱出した今は、もう真のマテリアルガールでもバービー人形でもない。
正確に言えば、今もマテリアリズムを感じることはあるけど、かつてのようなギラギラした感じではない。パートナーのお金には全く興味はなく、自分で努力して得たお金にマテリアリズムを感じる。バービー人形からマテリアルガール、そしてジャンヌ・ダルクに。職場という戦場が変わっても、戦士の心は忘れないようにしたい。
そうやって幾度となく変容できた事実は、これからも私を鼓舞し続けるだろう。そして、柔く頑丈に戦う心を忘れなければ、更に素晴らしい世界に連れて行ってくれるチャリオットが何度でも現れるはず。