職人の話Vol.2 株式会社福澤製作所 福澤直幸さん
足立区の工場で働いている人に日々のお仕事から暮らしまで作り手の人柄にスポットを当てた「職人の話」。
第二回目は、株式会社福澤製作所の福澤直幸さんです。
他でアルバイトするくらいなら、ここでやれって親父に言われてはじめただけなんだよね。
祖父は家具職人をやってたんだけど、江戸っ子に憧れた長野県民なんだよ。
親父はここで旋盤でカメラの部品をつくってた。ほとんど何やってたかはよく知らないんだよね。話さないから、そういうこと。でも研究熱心で、普通そうやって使わないよっていう機械の使い方をしたりとか、レーザー加工機を突然導入したりして。自分はいじれないから、アイデアは出すけど機械やパソコンの操作は人任せで。
もともと設計のことを勉強したことないんだよね。
他でアルバイトするくらいなら、ここでやれって親父に言われて。営業先を周って打ち合わせしたものを上から見て、横から見て、こうだなって確認して。作ってみないとわからないのは今も同じ。だからすごいサンプルあるでしょ。
自動販売機の修理屋で働いてたんだけどね。兄貴が戻ってくるっていうからお前も戻ってこいって言われて戻ったら、兄貴はアメリカに行っちゃって帰ってこなかった(笑)
継いだという感じはないんだけどね。親父の代と作っているものは違うし、機械は引き継いでるけど。
工場の隣でずっと育ってきたけど、それが影響してるかっていうと特になにも(笑)
親父は絵を描くのも好きで。それで兄貴も描いてたから、僕も小学生の時は漫画ばっかり描いてた。ゲゲゲの鬼太郎とか藤子不二雄とかね。姉貴も服飾関係なので、そういう家庭の影響はあるかもしれない。
まずは作ってみる。できないことも説明できるようにね。
これはね、角Rがすぐわかるツール。こっちは金属の板厚を曲げたときの内径と外径がどのくらいかわかるようにしたもの。
こういうのを作って、取引先に配ってたんだよね。口でできないっていうより、見たほうが早いでしょ。
でも、できないと思っていても、それがダメならこれ、またそれがダメならこれって繰り返しているうちにできたりとかね。
だめだと思っていても、取引先がこだわっている所がそこじゃなかったりする場合があるんだよね。図面通りじゃなくても雰囲気があってればいいとか。
特注家具だからそういうこともたまにある。
相談に答え続けている感じはあるかなぁ。蓄積されている実感はないけど(笑) 仕事が仕事を生んで人づてでここまでやっているかな。 足立区イコー会(足立区の製造業の企業が多く集まる経営に特化した、足立区で最も歴史がある異業種交流グループ)でも同じ金属加工業でも皆やれることが違うしね。 そっちでできない?って話があったり、逆もあったりして。
不便なことがあったら自分でつくってみたりはしてるかな。椅子とか、コピー用紙の裏紙を置いておくやつとか。足立道具店のサンプルもたくさんつくったから、日本一ドアフック使ってるかも。
かまくらとスキーだけかなぁ。誘われるから行くんだけど、それ以外はずっと西新井にいるよ。
もう20年くらいになるかな?毎年かまくらづくりしてるんだよね。
元はと言えば齋藤さん(カブ・デザイン代表)の旦那さんがはじめたことなんだけど。
人が20人くらい入る巨大なかまくらを1日半かけて作るんだよ。中で米沢のもつ煮とお酒を飲みたいがために。
僕は行ける時に行くだけだけど、楽をしたいから自分でかまくらをつくるための治具を金属で作って、それを持って行ってる。(笑)
こんなに続くとは思わなかったよね。でも1回目失敗したから、次はここを直してって言うのを繰り返して20年…(笑)
今はそれと、志賀高原のスキーに行くこと。それも最初は先輩から誘われてスキーをはじめて。その二つくらいしか行ってなくてあとはずっと西新井にいる。生まれも西新井だし、初めて3日以上離れたのが盲腸で入院した時くらいじゃないかな。最近は上野とかも遠いって思っちゃう(笑)
なんでも自然と受け入れているのは末っ子だからかな
工場もやりたいと思ったわけじゃないし、スキーもかまくらも、誘われたからやってる。カブ・デザインが事務所としてここを使うようになったのもね、自然と受け入れてますし(笑)
モノづくりも同じで、僕はやれることをできるだけやるだけ。できないと思ったとしても、できないことを説明するためのサンプルをつくったりしているから、そうすると話が次に進んだりね。
まずは口だけじゃなくて、やってみてカタチにするという所を信頼してもらえてるのかなとは思います。
取材・文・写真(12.17.18枚目を除く) きさらちさと