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DAOは日本の昔からある村社会と同じダオ!

拙著「だれにでもわかるNFTの解説書」徳力さんに送り付けて喜んでいる 足立明穂です(笑)。

さて、最近話題のDAO(ダオと読みます)ですが、なかなか概念が理解しにくいことで、これまでの会社組織の考え方にしがみついていると何がなんだか分からなくなってしまいます。

NFTの本を書くぐらいだから、DAOのことも知ってるだろうって質問されて、私は「日本の昔からある村と同じダオ!」って答えています。

昨日、Yama-ヤマ(@yamamoto_junya)さん主催のTwitterのスペースでバリバリのDAOな話があり、新井 モノ(@araimonokaiy)さんやikesukeさん(@ikisukeke)さんも参加して、めちゃくちゃ面白い話でした。そのときに、「日本の昔からある村と同じダオ!」(しつこいなぁ! ^^;)という説明をしたら、新井 モノさんから、めちゃくちゃいい例えだと褒められたので、気を良くしてここにも書いておきますw

※実は、3部作になってますw
 2部「なぜDAO的な村社会は、「お金」によってDAO離脱したのか?」
 3部「DAOは、村社会の労力と「お金」の価値交換をテクノロジーで実装することで、都市から村への再帰ともいえるよね!」

日本の昔の村社会って、労働の貸し借りをしていたんダオ

「ぼうや~ よいこだ、ねんねしな~」って、まんが日本昔話の曲が流れてきそうな村を想像してください。(あ、そんなアニメ知らないって?w 令和だねぇ~w 

それは、さておき、村の中では何が起きるのかというと、多くの人の労力を借りなければならないイベントが発生します。

例えば、茅葺屋根の葺き替え。

茅葺屋根って、傷んでくるので数十年毎に葺き替える必要があります。とても一人ではできません。村の人達のチカラを借りて行います。このとき、誰が手伝ったとか、何をしたとかは「記憶」に残ります。そして、別の家で葺き替えをやることになれば、手伝ってもらった人は労力を返しに行きます。
そうやって、人々の「記憶」によって労力の貸し借りの帳簿が延々と続いていきます。

村社会であれば、顔見知りの中での行為であり、せいぜい100軒とか150軒程度の範囲なので、「記憶」でも十分機能します。

あ、余談ですが、イギリスの人類学者であるロビン・ダンバーによって、人が社会を安定的に運営できるのは、150人程度だそうです。この150ってのをダンパー数という言い方もしますね。なんとなーく、日本の昔の村社会ってのもこれぐらいかと・・・(統計を見てないので、知らんけどw)。

オンラインでは相手がどこの誰だかなんて関係なくなったんダオ!

さて、今の社会では、ネット経由で知り合う人も多くなり、顔も分からなければ住んでいる場所も本名も知らない人間関係が出てきています。知り合うだけでなく、そこからプロジェクトが始まったり、仕事を一緒に行うことも。

そうなってくると、労力の貸し借りを「記憶」では無理になってきます。特にオンラインのコミュニティになると、誰がどんな仕事をしているのかさえ見えにくくなるので、何らかの形で帳簿を付ける必要があります。

BC(ビフォー・コロナ)時代の会社やコミュニティは、物理に1か所に集まって行うことが多く、お互いになんとなく見えていて帳簿を付けている人も誰かはっきりしていました。そう、「ピラミッド型の組織」が存在して権力や責任などによる上下関係があったのですよね。そして、それぞれの人の労働力の提供に応じて評価され、その結果として、報酬が支払われます。ただ、それを決定するのが組織のトップであり、経営者です。

AC(アフター・コロナ)時代になってくると、テレワークなど離れていても作業を行う、社員として雇うようになってきました。これまでと違って、部長や課長は部下の仕事の様子が見えず、どうやって人事評価すればいいのか悩んでいる人も少なくありません。「そんなの結果がすべてじゃないか!」というのは簡単なのですが、評価制度を明確に数値化していない会社が多く、そもそも上司からの仕事の指示に対して何を評価として提示すればいいのかが明確ではないので、「なんとなーく」で評価していることが多かったのではないでしょうか。

オンラインで離れた場所に住んでいる人、海外にいる人ともコミュニティを形成していくと、記憶に頼って「労力の貸し借り」を記録するのは無理があります。どこかに記録しなければならないのですが、従来の会社のように部長や課長が帳簿管理するにしても、そもそもその部長や課長だって会ったこともない人の労力を記録するなんて不可能でしょう。

ブロックチェーンは労力を記録できる帳簿なんダオ!

ここに登場するのがブロックチェーン。インターネット上に存在し、改ざんが理論上不可能で、スマートコントラクトというプログラムを利用すると、人が介在しなくても自動実行されて記録することが可能になります。言い換えれば、誰がやっても同じように記録されていくという公平性が保たれるのですよね。ブロックチェーンを使うことで、ネット経由で知り合った人達が強力してプロジェクトを進めることができるようになり、誰が何に貢献したのかといったことを記録することができるのです。(だから、ブロックチェーンは帳簿なのです)こうやってできてきた組織がDAOと呼ばれるようになりました。部長や課長、あるいは、経営者といった人たちがいなくても(権力を持った人達がいなくても)労力の提供や貸し借りができるような組織になっています。

日本の村社会に似ているというのは、分かっていただけたでしょうか?

日本の村社会の労力の貸し借りということから、会社組織のようにリーダーが決まって、その指示に従うような構造に変化していくという過程が高度成長期から起きてきました。ここは、DAOとは関係ない(というか、知っておくと、よりDAOが理解できるかも)のですが、面白い仮説(あ、私の仮説ですけどねw)があるので、それについては、別のところで書きますw

あえてのWeb3.0環境に書いたので、ここをクリック

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