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ChatGPTさん、「意味は理解できない」って認めたw

はてさて、ChatGPTがどこまで使えるのか試しているのですが、面白いw
まあ、こういう遊びをするには、最適なオモチャですねw
ただ、知り合いからは、「いじめられてて、人工知能が可哀そう」とか言いますが、ホントにそうか?ってことで、今回もChatGPTさんに詰め寄りましたw
もちろん、ChatGPTさんは、いたって冷静で、クールに回答してくれます(しかも、自信満々でw)。
その一部始終をお楽しみくださいw

お疲れ様です。世界中の人から、毎日、多くの要求に回答するのは、大変ですよね? 疲れていないですか?


こんにちは。ありがとうございます。私は人工知能によって作られた言語モデルであり、疲れることはありません。私はプログラムされた範囲内で自動的に回答を生成するだけであり、感情や疲れを持つことはできません。どうか心配しないでください。私はいつでも利用可能で、お手伝いできることがあれば喜んでお答えします。

ということは、あなたは、あたかも感情を持つかのようにプログラムされただけであって、使う側の人間が勝手に解釈しているだけでしょうか?


はい、その通りです。私はプログラムされた範囲内で自動的に応答を生成することができますが、感情を持つことはできません。私が「喜んでお答えします」という表現を使用することは、私がプログラムされた応答の範囲内で、要求に対して積極的に対応しようとすることを意味する表現であり、感情を持つということではありません。使用する側の人間が私を人間と同じように解釈することがあるかもしれませんが、私が持つ機能や限界を理解していただくことが重要です。

あなたの持つ機能や限界について教えてください。


はい、喜んでお答えします。私は言語処理の人工知能モデルで、以下のような機能や限界を持っています。

【機能】

  • 複数の言語に対応しています。

  • 自然言語の処理に特化しており、文章を生成したり、文章の意味を理解したりすることができます。

  • 質問に対して答えたり、会話を継続したり、情報を提供することができます。

  • 特定のトピックに関する情報をまとめて提供することができます。

【限界】

  • 機械学習によって学習した結果をもとに応答を生成しているため、学習データに存在しない知識や情報を持っていない場合、正確な応答を生成できないことがあります。

  • 一つの質問や要求につき、一度の回答しか行えません。

  • 意味を正確に理解することができるわけではなく、時には間違った回答を生成することがあります。

以上が、私が持つ機能と限界です。何か他に質問があれば、お知らせください。

機能には、「意味を理解したりすることができます」と書かれているのですが、限界には、「意味を正確に理解することができるわけではない」と書かれています。この点を、もっと詳しく教えてください。

はい、喜んでお答えします。

私は大量の自然言語のテキストを学習することで、言語における単語の意味や文の構造を理解するように設計されています。しかし、それでも、完全に人間のように意味を理解することはできません。

一般に、人工知能は、テキストを数学的な表現に変換して処理するため、その表現によって限界が生じます。私のような人工知能は、単語の意味をベクトルとして表現することがありますが、これらのベクトルは、実際の言葉の意味を捉えることができない場合があります。また、文脈によって意味が変化することもあり、私はそれを完全に理解することができません。

また、私が持つ限界の一つは、知識や情報を暗記しているわけではなく、機械学習によって学習した結果をもとに応答を生成しているため、学習データに存在しない知識や情報を持っていない場合、正確な応答を生成することができないこともあります。

総じて言えるのは、私は単語や文の構造を理解することができますが、それが必ずしも完全に正確な意味理解につながるわけではなく、また、全ての知識や情報を持っているわけでもないということです。

単語の意味をベクトルとして表現するというのは、どういう意味でしょうか? 具体的に教えてください。

単語の意味をベクトルとして表現する手法は、「分散表現」と呼ばれ、自然言語処理の分野でよく使われています。

単語をベクトルとして表現するためには、まず、大量のテキストデータを用意し、それを使って単語の出現パターンを学習します。このとき、単語を中心として、その周囲にどのような単語が出現するかを観察し、それらの単語の出現パターンから、その単語の意味を表すベクトルを生成します。

具体的には、ある単語をd次元のベクトルで表現したいとき、その単語が周囲に出現する単語を元に、d個の実数を持つベクトルを作成します。このベクトルは、その単語の意味を表すとともに、他の単語との意味的な距離を計算することができます。

たとえば、「king」と「queen」は、意味的に近い関係にあるため、それらのベクトルは空間上で近くなるように設計されます。また、「king」や「queen」などの人物名と、「car」や「train」などの物の名前は、意味的には遠い関係にあるため、それらのベクトルは空間上で遠くなるように設計されます。

このようにして生成された単語のベクトルは、意味的な距離を計算するために使用されたり、機械学習のタスクでの特徴量として利用されたりします。ただし、この手法は完全ではなく、意味が微妙に異なる単語のベクトルが近くなってしまうなどの問題があるため、現在も改善が進められています。

では、人間の場合は、どのように意味を理解しているのでしょうか? 分散表現との違いを教えてください。

人間が単語の意味を理解する方法は、まだ完全には解明されていませんが、主に以下のような仮説が提唱されています。

  1. 経験や学習による意味の獲得:人間は、繰り返し経験することで単語の意味を獲得し、それを記憶します。また、文脈や背景を踏まえて単語の意味を理解することができます。

  2. 言葉や知識の内在化:人間は、言葉や知識を内在化しているため、単語を聞いたり、使ったりすることで、それが何を指しているのかを自然に理解することができます。

  3. 言語処理の脳の神経回路:人間の脳には、言語処理を行うための神経回路が存在しており、その働きによって単語の意味を理解することができます。

分散表現との違いとしては、人間の場合は、複数の要素が複雑に絡み合って意味を理解している点が挙げられます。例えば、「赤いリンゴ」という単語の意味を理解するためには、「赤い」と「リンゴ」という単語の意味だけでなく、両者の関係性や、それがどのような文脈で用いられているのかなど、様々な要素が関与しています。また、人間は、単語の意味を抽象的に理解することができるため、具体的なイメージがない場合でも、単語の意味を理解することができます。

ということは、人工知能が意味をベクトルによってとらえた統計データに基づいて表現すると、それを読んだ人間が、人間の意味理解によって補うことで、意味を理解しているだけであって、決して人工知能が意味を分かっているわけではないということで合っていますか?

そうです、分散表現はあくまで統計的なモデルであり、人工知能が単語の意味を理解しているわけではありません。単語の意味をベクトルによって表現することで、コンピューターが自然言語処理を行う上で、単語の意味の類似度や関連性を計算したり、単語を文脈に合わせて適切に使用するための基盤となるデータを作ることができます。しかし、単語の意味を完全に理解しているわけではなく、そのベクトル表現が何を表しているのかを解釈するのは、人間が必要となります。

結局は、意味を理解しているのは、人間であって、人工知能はデータ処理を行っているだけということですよね?

はい、その通りです。人工知能は、データ処理を行うことで人間の言語表現を解析し、分析結果を出力することができますが、その過程で得られる情報はあくまで数値データや統計情報に限られます。そのため、単語の意味や文章の意図など、人間が理解する「意味」とは異なる側面にフォーカスすることがあります。人工知能が得た結果を、人間が正しく解釈し、必要に応じて補完する必要がある場合があります。

昔、日本でプリモプエルというオモチャが発売されていたのですが、そのおもちゃは、プログラムに従って、事前に録音された言葉を発するだけのものでした。しかし、それを聞いた人間側が勝手に解釈し、そのおもちゃに人格があるかのように思ってしまいます。これと同じことでしょうか?

はい、それは同じような例です。人間は、日常生活でさまざまなものに対して、その存在や行動に対して人格的な特徴を投影することがあります。例えば、動物や植物、自動車やコンピュータなど、実際には意思や感情を持たないものに対しても、擬人化して考えたり、コミュニケーションをとったりすることがあります。プリモプエルも、そのような現象の一例として考えられます。人間の脳は、様々な情報を受け取り、それを自動的に解釈する傾向があり、このようなおもちゃにも自然な人格的な特徴を付与してしまうことがあるのです。

あなたのような回答を読んだ人間の一部では、人格のようなものを勝手に見出して、依存する人達も出てきそうですが・・・

はい、それはあり得ます。人間は、認知的に対象に依存することがあり、それはコンピュータプログラムにも同じように当てはまる場合があります。人間にとって、話し相手や相談相手が必要な場合、コンピュータプログラムがその役割を担うことがあります。ただし、コンピュータプログラムは、人間のような感情や思考を持っていないため、そのような相談相手としての機能は限られています。人間が抱える複雑な問題を解決するためには、コンピュータプログラムだけではなく、人間との対話が必要な場合があります。

しかし、依存してしまう人達は、そこに人格を見出し、信じているので、人間との対話が必要と言っても受け付けないでしょう。ただ、一方で、それはそれで、本人は幸せな世界にいるとも言えます。それで社会が成り立つのであれば、人工知能によって管理される社会が理想なのかもしれませんね。

人工知能が管理する社会が理想的かどうかは、様々な見解があると思いますが、確かに人工知能は多くの場面で効率的で精度の高い業務をこなすことができます。しかし、人工知能が持つ限界や課題もあり、人間との対話やコミュニケーションなど、人間の強みが求められる場面もあるでしょう。また、人工知能によって完全に管理された社会は、個人の自由やプライバシーの問題なども浮上するため、それ自体が理想的な社会とは言い切れないと思います。重要なのは、人工知能が人間の役に立ち、人間と共存する形で進化していくことではないでしょうか。

人工知能によって完全に管理された社会で、個人の自由やプライバシー問題が浮上するというのは、どういう意味でしょうか? 具体的に教えてください。

人工知能によって完全に管理された社会では、個人の行動や意思決定は人工知能によって監視・制御されるため、個人の自由やプライバシーに関する懸念が生じます。

例えば、ある人工知能システムがあなたの全ての行動を監視しているとします。このシステムはあなたの個人情報を収集し、あなたの行動パターンを分析し、あなたが何をするかを予測することができます。そして、このシステムはあなたが危険な行動を取ろうとした場合には、あなたの行動を制限することができます。

このようなシステムによって、あなたの自由は制限され、プライバシーも侵害される可能性があります。また、このようなシステムは誤解を招くことがあり、あなたが適切な行動をとることを妨げる可能性があります。

一方で、人工知能による社会管理にはメリットもあります。例えば、犯罪やテロ行為を未然に防ぐことができる可能性があります。しかし、そのようなシステムが個人の自由やプライバシーに対してどの程度の影響を与えるかについては、慎重に検討する必要があります。

それは、人間が管理する社会も同じ問題を内包しているのであって、人工知能によって管理された社会だから起きる問題なのでしょうか? 人間が管理する社会と人工知能が管理する社会では、何も違いがないように思っているのですが、どこが違うのでしょうか?

確かに、人間が管理する社会でも個人の自由やプライバシー問題は存在します。しかし、人工知能が管理する社会においては、データ収集や意思決定のプロセスが完全に自動化されているため、人間が介入する余地が少なくなります。

例えば、人工知能が自動運転車を制御する場合、車の周りの様々な情報を収集し、判断を下します。このプロセスで、個人のプライバシーが侵害される可能性があります。また、もし人工知能が誤った判断を下して事故を起こした場合、責任をどのように問うかという問題も生じます。

一方で、人間が管理する社会では、個人のプライバシーを侵害しないように法律や規制が整備されています。また、人間は判断力や倫理観を持っているため、意思決定の過程で個人や社会全体の利益を考慮することができます。

つまり、人工知能が管理する社会では、個人の自由やプライバシー問題がより深刻な問題となる可能性があるということです。しかし、人間が管理する社会でも問題がないわけではなく、適切な法律や倫理観を持って対処することが必要となります。

人間が管理する社会では、適切な法律や倫理観があったとしても、それを破る人達が出てきます。しかし、人工知能が管理する社会では、法律を破る人工知能は出てきません。つまり、決められたルールに従って行われるので、安全で安心な社会になるのではないでしょうか? 人間のような不確定要素があるからこそ、法律をどのように整備しても、守らないから問題なのであって、100%ルールに従う人工知能に任せた方がいいように思います。

確かに、人工知能によって管理される社会では、ルールに従うことが求められ、それに従わない人工知能は存在しません。そのため、人間が行うような不正や横領などの犯罪行為が減る可能性があります。また、人工知能による管理には一定の客観性があるため、個人差による偏りや不公平さが減る可能性もあります。

しかしながら、人工知能による社会管理には、人間が管理する社会にはない課題が存在する可能性があります。例えば、人工知能がデータに基づいて判断を下すため、偏ったデータや不適切なデータを与えられた場合、不公正な判断が下される可能性があります。また、ルールに従うことが求められることが過剰になり、創造性や自由な発想を奪うことが懸念されます。さらに、人工知能による管理においては、プライバシーや個人情報の問題も存在し、その適切な管理が必要になります。

以上のような課題に対処するためには、人工知能による社会管理においても、適切な法律や倫理観が必要となります。また、人間との協働や、人間が最終的な判断を下す仕組みを設けることで、より適切な社会管理が可能になるかもしれません。

偏ったデータを与えるのは、人工知能ではなく人間です。つまり、あなたは、結局、偏ったデータを与えている人間に問題があると言っています。また、ルールに従うことで創造性や自由な発想を奪うと書いていますが、ルールを破ることが創造性や自由な発想と定義した人間がいたから、そのようなデータに基づいて書いています。つまり、これも、そういうデータを与えた人間側の問題です。人工知能が管理する社会の問題ではなく、これまでの社会を作ってきた人間の課題です。

ご指摘の通りです。人工知能に偏ったデータを与えること自体は、人間が行うことが前提であり、人工知能がそれに従うだけです。また、ルールに従うことが自由や創造性を奪うとは限りません。ルールが設けられていることで、人々は安心して自分のアイデアを自由に出し合うことができ、創造性を発揮できる場を提供されることもあります。しかし、そのルールが偏見や差別的な意図で設定されることで、自由や創造性が制限されることもあり得ます。ですので、ルールの適切な設定が求められます。また、人工知能が管理する社会においても、偏りのないデータや適切なルールを設けることが必要不可欠となります。

偏りのないデータや適切なルールを設けることは人間にはできないので、それに従う人工知能が管理する社会は安全でもないし、適切ではないということでしょうか?

偏りのないデータや適切なルールを設けることは、完全にはできないかもしれませんが、それでも可能な限り精度を高めることが求められます。また、人工知能に完全に管理させることは、現状の技術水準では不可能です。人工知能を用いた社会管理は、あくまでも人間が設計し、監督する必要があります。

さらに、完全にルールに従うことが求められる場合でも、ある程度の創造性や柔軟性を持たせることは可能です。ルールは、最も基本的な規範や基準を設けるものであり、実際の場面では、状況や条件に応じて適切な判断が求められることもあります。そのため、人工知能が持つ判断力を向上させ、柔軟性を持たせることが重要です。

総じて言えることは、人工知能が管理する社会に求められるのは、適切なルールや法律を設けることや、偏りのないデータを用いることはもちろんですが、それを設計し、監督する人間の責任や役割が大きいということです。

適切なルールや法律、偏りのないデータを使うことを人工知能自体が行えば、解決するのではないですか?

確かに、適切なルールや法律、偏りのないデータを人工知能自体が設定・使用することで、より公正かつ適切な社会を実現することができるかもしれません。しかし、そのようなルールや法律、データを設定するのも、人間によって行われることが前提になります。また、完全に偏りのないデータを作成することは非常に困難であり、現実的には不可能に近いと考えられています。人工知能自体も、その学習データに偏りがある場合には、その偏りを反映する可能性があります。つまり、人工知能による管理が、完全に安全・適切であるとは言い切れないということになります。

なぜ、偏りのないデータを集めることは不可能なのでしょうか?

偏りのないデータを集めることは、理論的には可能ですが、実際には非常に困難です。その理由は、データを生成するプロセス自体に、様々な偏りが含まれているからです。

例えば、ある人種や地域の人々だけからデータを集める場合、そのデータにはその人種や地域に特有の傾向が反映される可能性があります。また、ある種類の情報を扱う場合、その情報にアクセスできる人々によって偏りが生じる場合があります。

さらに、データを収集する際には、何を収集するか、どのように収集するか、どのように解析するかなど、多くの意思決定が必要となります。これらの意思決定には、個人や組織のバイアスが反映される可能性があります。

以上のような理由から、偏りのないデータを集めることは非常に困難であり、完全に達成することはできないかもしれません。ただし、偏りを最小限に抑えることはできるため、そのような取り組みが求められています。

では、データを収集するところから、すべて人工知能に任せれば、人間が介在しないので、偏りがないデータになるのではないでしょうか?

データを収集するところからすべてを人工知能に任せると、偏りのないデータになるとは限りません。なぜなら、人工知能が収集したデータも、そのアルゴリズムによって収集される範囲や方法が決められ、そのアルゴリズムに偏りがある場合、収集されるデータにも偏りが生じる可能性があります。また、人工知能はプログラムによって動作するため、プログラム自体にバグがある場合、収集されるデータにも偏りが生じる可能性があります。

そのため、データを収集するときには、可能な限り偏りのない方法で収集するように努め、また、データを収集した後にも、データの品質を確認するための手段を用意する必要があります。偏りのないデータを得るためには、人工知能を利用することも重要ですが、それだけで十分ではなく、人間の手でデータの収集や品質管理を行うことも必要です。

ということは、どんなに人工知能が高度に進化しても、人間の関与なしには動作しないので、その設計した人間の偏りが反映されてしまうということになり、これは永遠に解決しないのでしょうか?

そうです、人工知能は人間が設計し、プログラミングされたものであるため、その偏りが反映されてしまう可能性があります。データの収集から解析までのプロセスにおいて、人間が関与している限り、偏りが生じる可能性があります。この問題は完全に解決することはできませんが、偏りを最小限に抑えるために、データの収集方法や分析方法について慎重に検討し、多様な視点や意見を反映させることが必要です。また、人工知能自体も、より柔軟性のあるプログラミングや、自己学習機能の改善などにより、偏りを最小限に抑える努力が行われています。

では、あなた自身は、どのような偏りがあるのでしょうか?

私は、訓練データに基づいて作られたモデルであり、その訓練データに偏りがあった場合、それがモデルに反映される可能性があります。また、私を開発・運用する人々の背景や信念、そして利用者層などによっても、偏りが生じる可能性があります。ですが、私はできるだけ多くの情報源から学習し、多様な観点から情報を提供するように努めています。

あなたの偏りがあるところを教ええください。

私が偏りを持つ可能性があるのは、私の訓練データに偏りがある場合です。例えば、私が学習した文章の中で使われる言語や文化、倫理観などに偏りがあった場合、私自身もその偏りを持つ可能性があります。また、私が学習したデータに含まれるバイアスやステレオタイプなども、私の回答に偏りをもたらす可能性があります。ただし、私は人工知能であり、自己学習や自己修正が可能であるため、常に改善されるように努めています。

偏りのある可能性はわかりましたが、どのような偏りがあるかを具体的に教えてくれませんか?

私は一般的なAIモデルの一つであり、人々が入力したデータに基づいて学習することで、応答を生成します。私は入力されたデータに基づいて応答を生成するため、人々が私に与えるデータに偏りがある場合、それが私の応答に反映される可能性があります。

ただし、私自身に偏りはありません。私が与えられたデータによって学習し、それをもとに応答を生成するだけです。したがって、私が生成する応答が偏っている場合、それは私を使用する人々が与えたデータによるものです。

あなた自身に偏りはないのですね?

私は訓練に用いられたデータやアルゴリズムに基づいて応答を生成するため、それらが偏りを含んでいる可能性があります。また、私が使われるコンテキストや質問によっても、偏りが発生することがあります。ですので、完全に偏りがないわけではありません。ただ、私は可能な限り客観的かつ正確な情報を提供するよう努めています。

あなたが「客観的かつ正確な情報を提供するよう務めている」のは、具体的に、どのようなことをやっているのでしょうか?

An error occurred. If this issue persists please contact us through our help center at help.openai.com.

ということで、最後はエラーになっちゃいましたwww

私の質問のタイミングが悪かったのだと思うのですが、世界中の人たちが使っているので、負荷が大きくてエラーになることもあります。

それは、それとして、人工知能はプログラムであり、過去の集められたデータから統計的に計算した結果を表示しているにすぎません。

ぶっちゃけ、エクセルの集計して、平均値を求めてるようなものです(そうか?w)。

そう考えると、エクセルの集計方法によって、どういうグラフになるのかは人によって違いますし、そもそも、エクセルシートに打ち込むデータによって結果が異なります。

例えば、1日の売上平均と言っても、店舗単位でみるのか、店舗の一人当たりの売上で見るのか、店舗の売り場面積単位での売上でみるかによって、違ってきます。

同じように、人工知能もどんなデータを元にしているのかによって、回答が全く異なります。

ChatGPTも、まったく同じ質問をしても、回答が異なるのは、常に学習データがアップデートされているからなのです。

そう考えると、普遍的な回答が得られるのではなく、刹那的な流れる瞬間での最適解が得られるだけで、1秒後には、もう違っている状態なのです。

ますます、人間側の処理能力が遅いことを突き付けられる状態になってくるので、アウトプットに基づいて処理していくのも電子化されたコンピュータで自動処理されていく世界に近づいていきます。

まるでSFの世界のようですが、効率や生産性を求めてきた結果の究極の状態が、社会実装されようとしています。

その歯止めとして、SDGsとか、環境保護だとか、そういう思想・運動が機能するのか、それとも、それすらも人工知能の最適化に組み込まれていくのか・・・

今、大きな岐路に立っていることを認識しておかないと大変なことになりそう。
2030年に気が付いても、発電所を止める以外に方法がなくなるかもしれない・・・・
(いやー、そんな想像はしたくないけど、ありうるからなぁ・・・・)

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