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DAOとコミュニティと車座

毎週日曜日の朝に開催されているクラブハウスの「創業100年以上の方々を応援する部屋」で、コミュニティというテーマでテレビチャンピオン文房具王の石津さんが話をされていました。そこで、いろいろ面白い刺激を受けたので、まとめてみます。

SNSやオンラインサロン、さらには、web3でのDAOなど、コミュニティをどのように運営するのか、コミュニティの価値をどのように高めるのか、コミュニティの人数を増やすにはどうするのか、そして、コミュニティ運営とビジネスをどうつなげるのかなど、この辺の悩みを解決するヒントになるかと思います。

人間関係が決まる日本語

いきなり、日本語の話からします。え?って思うかもしれませんが、ここを分かってないと、海外のコミュニティの話を持ってきても、うまくいかないのです。

とは言え、日本語や文化論の専門家ではないので、話半分で読んでくださいw

さて、日本語の面白い特徴の一つとして、上下関係が決まる言葉になるという特徴があります。

謙譲語とか丁寧語とか尊敬語とか、なんともややこしい言葉が多いのですが、これらの言葉があることによって「主語」を省略しても上下関係が分かります。

高校の古文の授業で、「んー・・・ これ、誰の事?」ってなるし、テストでは、「これは誰が誰に対して行ったことでしょうか?」という出題が定番です。


この特徴って、英語にはなくて、英語は、主語がめちゃくちゃ重要になります。特に代名詞の「he」、「she」、「They」の区別がすごく重要で、推理小説にもよく出てくる定番。

「足跡から、犯人は、窓から飛び降りたのですが、見てないですか?」

「暗かったので、彼らの顔は分かりませんでした」

「今、『彼ら』って言いましたよね?
 私は複数犯とは言ってませんよ?
 なぜ、複数犯だと思ったのですか?」

「・・・・」

日本語で書くと、なんか不自然な翻訳になってしまうのですが、主語が略せない英語と、主語を略すのが当たり前の日本語では、この辺の推理小説ネタ、なかなか翻訳者泣かせですw

話がそれてきたので戻すと、日本語はどうしても上下関係が決まっていく言葉になっているので、無意識に上下関係を気にします。

ビジネスマナーでも、上座とか下座とかすごく意識しますよね。


会議室、接待の会食、車の座席・・・・

こういう文化があるので、コミュニティ運営でも、なぜか上下関係のようなこを気にしてしまって、運営側=情報提供、参加者=情報受信と考えがち。

ついつい、このように考えてしまうので、運営側は、ずーーーーーっと情報発信や企画をし続けないといけなくなるので、めちゃくちゃ疲れていきます。

確かに、中には情報発信したり、イベント企画するのが大好きな人もいるので、それはそれでいいのですが、ほとんどの人は、数か月は続くけどネタに尽きて疲れ果てることになります(私も何度も経験してます 苦笑)。

運営側は、「ぜひ、参加者の方々も、遠慮なく、イベント企画やご意見、出してくださいねー!」って何度も呼びかけていますが、何も出てこない。

これ、コミュニティ運営のあるあるですw(ええ、これも、私は何度も経験しています。インターネット以前のパソコン通信時代から、裏方やら、自分が主催したものやら、いろんなことをやってきたので)。

自分の意見を人前でプレゼンする教育を受けているアメリカ

今更ですが、アメリカなどの教育を見ていると、自分の意見を人前で伝えるというプレゼン教育を受けています。

テーマに対して、「自分は、こう思う」というのを伝えることが重要で、そこには正しいも間違っているもありません。

間違っているとか、正しいとかが重要ではなく、正解がないからこそ、さまざまな意見があることを知る、人前で自分の考え方を伝えるということを学びます。

残念ながら日本の教育は、先生の「持っている答」を当てるクイズになっているように感じます。考えたことを発表しても、「〇」か「×」かで評価されます。

今でも思い出すのですが、小学校の国語の問題で、「作者が伝えたかったことは、次のうちのどれでしょうか?」という問題があり、選択肢が3つ書かれていました。

私は、子どもながら、『作者が考えていたこと? そんなん分かるわけないやん! 自分がどう思ったかしか分からんわ!』って感じてました(笑)。

こういう問題など、自分がどう感じたのかとは関係なく、出題者が用意した答を当てるクイズw。

このような出題でトレーニングされると、「出題者の意図を当てること」=「〇」、「出題者の意図とは違う自分の意見を言うこと」=「×」と刷り込まれるので、人前で自分の意見を言うことができなくなってしまいます。

こうなると、「運営側と違う意見を言うと恥ずかしい」という無意識の壁ができてしまって、コミュニティでの発言が少なくなってしまいます。

私のように、遠慮なく発言して、強制退会させられるということもありますけど(「屈託ないご意見を!」って言われたので、屈託なく発言したら、運営側に思いっきり嫌われた。 ^^;)。

このような違いがあるので、海外の事例や海外のコミュニティ運営手法を参考にしても、うまくいかないことがあります。

日本ならではの「車座」

日本は、言葉で上下関係が作られてしまうので、自由な意見交換というのがむずかしくなります。

では、24時間365日、ずっとそんなことを意識して生活してるのかというと、重圧を感じて苦しくなって、ストレス満載(?)になってしまいます。

そこで、日本には、「車座」という素晴らしい場が用意されているのです!!

と、いきなり力が入りましたが、車座は、どこが上座とかどこが下座とか決まらない状態。

車座になると、上下関係がなくなるので、みなが対等に話ができる場として運営されるのです。

よく、自治体の長が、地域の人たちと「座談会」を行うのも、役所の人たちを通してではなく、直接、地域の人たちの意見を聞く場として、上下関係をなくして話をする場として開催しています。

座談会といいながら、講演会のような配置でやっているところがありますが、それじゃ、上下関係を作っているので、意見など出ないですけどね(笑)。

この「車座」の感覚、ものすごく大事なことで、コミュニティ運営でも重要視したいポイント。

いつも運営側から発信するのではなく、「車座」になるように意識して、「自由に発言していいんだ」って思ってもらえると、コミュニティが活性化するし、運営が気合をいれなくてもワイワイと続いていきます。

とは、言っても、それをどうやって具体的にやればいいのか、悩みますよね・・・・

特に、オンラインのコミュニティでは顔が見えないだけに、何をどうしていいのか分からなくなってしまいます。

「魚を与える」より「魚の釣り方を教える」、さらに大事な「釣り方の教え方を教える」!!

ビジネスでよく言われる話として、お腹が空いている人に、魚をあげるのも大事だけど、魚の釣り方を教えてあげないと、次にお腹が空いたときに何もできなくなるという話があります。

しかし、コミュニティ運営では、その一歩先の「魚の釣り方の教え方を教える」ということが非常に重要になります。

あなたが、コミュニティを立ち上げて、魚の釣り方を教えていると、すぐに限界がくるでしょう。

釣り方を教えてもらった人が、「あそこに行けば、釣り方を教えてくれるよ!」ってことで、どんどん人が集まってきたら、もうパニック!

教えられるのは、あなただけなので、忙殺されます。

そして、時間に追われるために教え方が雑になってきて、「なんか、不愛想な人だ」とか、「分からないことを質問できそうな雰囲気じゃない」ってなことになってしまいます。

そして、あっというまに崩壊・・・・

だからこそ、コミュニティの最初の段階で、「釣り方の教え方を教える」ことが重要になります。

そうすれば、「釣り方を教える人」が10人できるだけで、その人たちがそれぞれ10人に教えるとなると、一気に100人に釣りを教えることができます。

人数が増えても対応できるようになるのです!

そう、最初のコミュニティを立ち上げたときに、人数を増やすことにこだわるのではなく、最初は5人や10人ぐらいで、とにかく何度も何度も、コミュニティの運営方法や、何を提供するのか、どんなコミュニティを目指すのかを「車座」になって話し合い、価値観を共有します。

そうすれば、最初のコアになるメンバーが、ブレることなく運営していけるので、トラブルも少なくなるのです。

ここをすっ飛ばして、ネット広告やSNSで拡散していくと、急激に増える人数に対応できなくなってしまいます。

コミュニティの最初は、「車座」になって、何度も話をして、お互いに意見を出して、「核となるコミュニティの在り方や目指すところ」を確認する作業を繰り返す必要があります。

これって、日本文化の重要な「道」みたいなものでは??

勘のいい人は気が付いたかと思いますが、茶道や華道、柔道や剣道などの仕組みと非常によく似ています。

師範について、価値観や作法などを学び、だんだん階級が上がっていって、師範となって教える立場になります。

そうやって、コミュニティを拡大しつつも、同じ価値観を共有しつづける。

日本という島国だからこそ、他国から侵略されるといったこともなく、文化が育まれたことによって生み出された「道」というものは、まさに、DAOにも通じるところがあり、参考にするというか、その価値観は沁み込んでいるので、これからのweb3時代においては、案外、日本は意識しなくてもシフトしていくのかもしれません。

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