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河野氏の公約「年末調整廃止」の意味するもの

河野太郎氏が自民党総裁選の出馬会見で発した「年末調整の廃止」がネット上はおろかマスコミでも大いにバズっている。バスると言うよりも炎上と言ってもいいかも知れない。実際私も、テレビのニュースで初めて聞いた際には唐突感を覚えたものだ。ニュースなので年調廃止という言葉だけ切り取られたのかもしれないが、あまりに説明が足りな過ぎると感じたのは私だけではないだろう。そこで、年調廃止は意味するものについて、私なりの解説を加えたい。

年末調整は戦後の公務員不足から生まれた窮余の策であった

まず歴史的に見れば、年末調整という制度は戦後の深刻な公務員不足を補うために昭和22年(1947年)にできた仕組みである。つまり、雇用主がその雇用者の税務上の申告を肩代わりして行うことで企業単位にまとめて申告がなされるため、税務署員の負担を軽くできるために設けた仕組みである。ただし、当初この制度は公務員不足が解消されるまでの時限的な仕組みのはずだった。現に年末調整に協力してくれる企業には一定の手数料まで支払われていたようである。それが、いつの間にか当たり前の制度のように定着したに過ぎない(もちろん企業への手数料もいつしか忘れ去られた)。
さらに、年末調整を長く続けることで国民の納税意識、ひいては政治・行政への参加意識をそいでしまうのではないかといった懸念が、この当時には国内だけでなく米国側からももたらされていた。すなわち、税金には ①財源調達機能、②  所得再分配機能、③経済安定化機能という三原則に加え、納税者が納税を通じてこれら国家運営上の機能を支えているという自覚を持つという意味があるが、年調を導入することによってそうした意識が薄れてしまうのではないかという懸念である。胸に手を当てると、これは会社員を長く送った私自身にも当てはまり、納税実感が全くないまま退職するまで過ごしてきた気がすしている。

年末調整にかかる負担は甚大なものがある

20年近く前に、年末調整にかかる業務処理を調査したことがある。その時にまとめた業務フローは下図の通りである。

年末調整の実態に関する実態調査(2008年 EABuS)

もちろん、20年近くを経て上図で示した手作業の部分はかなり機械化によって改善されてはいるが、従業員個々の給与支払い報告に加え、扶養者状況や住宅ローン、保険料などの各種還付金を収集して報告する人事部門の負担は今でも生じている。同時に、課税庁や自治体も年末調整とその後の確定申告で提出された納税額を精査し、納税額を確定するまでのプロセスにはかなりの人員が割かれている。自治体が翌年の住民税を決定し、各世帯に決定通知書が送られるのは5月ごろになっているのが実情である。つまり、約半年もの間税務処理に関わっていることになる。
また、昨今の労働環境では兼業を認める企業が増えつつあり、従来のような”個人は一つの企業に属するもの”といった原則は崩れつつある。兼業を行っている個人は、年末調整と確定申告の双方を行うことが求められ、事実上
12月の年末調整と翌2月から3月にかけての確定申告という、年2回の税務申告を行うといったケースが増えているのも実情である。

年末調整廃止に欠かせない要件

河野氏の出馬表明発言の報道でなぜか見過ごされているのは、確定申告の簡便化施策であろう。彼は、年末調整を廃止する上での前提として「確定申告の簡便化」を挙げているが、これは海外の多くの国で取り入れられている記入済み税務申告制度を指している。
所得や控除・還付に関わる正確な情報は課税庁が集約することが可能である。万一、情報の集約がいい加減では納税申告額の精査すら覚束なくなるため、かなり慎重に情報の収集に努めている。記入済み税務申告とは、こうした課税庁が収集した情報を納税者が申告を行う際に開示し、「これで正しいですか?過不足があれば申し出てください」という制度のことである。つまり、課税庁から提示された情報が正しければ承認するだけで税務申告は終了することになる。
今日のわが国の税務申告制度は試験問題のように思えてならない。なぜなら、課税当局はすでに正しい回答を持っており、納税者には白紙の用紙に記入させ、その答えに対して〇✖を付けているように感じられてならない。顕著な✖があれば、数年後に重加算税という重いペナルティが課せられる。
もっとも、記入済み税務申告は肝心の課税庁がその気にならないと実現はできない。今のマイナンバー法では、課税庁(国税庁長官)の義務は番号の利用に限定されており、記入済み税務申告に必要な情報提供義務は存在しない。そのため、法改正は必要となるが、おそらく河野氏はそうした改正も見据えて”年末調整の廃止”を公約として加えたのだろう。事実、この条文さえクリアできれば記入済み税務申告制度の導入はかなり現実味を帯びる。

年末調整の廃止がもたらす社会的意義

年末調整を廃止することで、還付金の受け取りが確定申告後の年度末にずれ込むのではといった懸念もあるようだが、これも実に的外れな指摘である。もともと税務申告とは暦年(1月から12月)を対象にしている。そのため、年末に確定申告が済めば、それに見合った還付金は即座に入金される。
マイナンバーカードを使ってeTAXによる確定申告を行った経験がある方はお分かりだが、必要事項を記入して申告ボタンを押せば、その場で還付金が計算されて表示される仕組みはすでに出来上がっている。今日のように差額を給与に反映して還付金を受け取る必要もなくなり、それに伴う企業側の負担も格段に軽減されることになる。
また、先にも触れたが”個人は一企業に属するもの”といった昭和の高度成長期から培われた労働環境を大きく転換させる契機にもなると思う。言い換えれば、「企業(組織)に属する個人」から「個人」への脱皮を促す契機とも言えるのではなかろうか。少々誇大化していえば、企業(組織)というフィルターを通して国と関わってきた時代から、個人そのものが国と直接関われる時代が到来したと表現することもできよう。戦後の公務員不足から年末調整を企業に委ねる際に、国内外から懸念された国民の国と関わる意識の低下といった問題が払拭されることにもつながると感じている。
言うまでもなく国家は国民によって成り立っており、納税という行為によって社会的な保障が約束される。言い換えれば、憲法における主権在民という民主主義に必須な権利義務は、納税という行為によって保証されている。年末調整を廃止することは、こうした原則を改めて国民に呼び覚ますきっかけにもなるのではないだろうか。

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