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今日ここであなたに譲れてよかったな、いつも空けてた地下鉄の席

緊急事態宣言も3回目ともなると、朝も夜も地下鉄の空き具合には大して影響はない気がする。

今朝のタイムラインで「緊急事態宣言が解除されるとテレワークの実施率が2~3割下がる」なんてニュースを見たけれど、かくいう私も、緊急事態宣言下ではリモートワークが許可されるものの、そうじゃなければ毎日地下鉄に揺られて通勤している。



不幸中の幸いとでも言えばいいのか、私が地下鉄に乗っている時間は大して長くない。
ターミナル駅にある職場から、最寄駅までの乗車時間は10分にもならない。

何駅かの通過駅はぜんぶ乗り換えありの主要駅で、停車のたびに人がたくさん乗り降りするけれど、「まあもうすぐ降りるしな」と我慢できる範囲だ。




そして大した時間を乗っているわけでもないから、私はたとえ空席があろうと、目の前が空こうと、だいたい座席には座らない。


乗り込んできた誰かや今立っている誰かが座れるように、空いた座席から離れる。車内の中の方とか次に開かないドアの方へ、忍者のような気持ちでスッと移動する。


最初は混雑した車内でのベストポジションがわからなかった。
学生時代はずっと自転車通学だったし、働き出してからもしばらくはローカル路線で通勤していたから、最初はドアが開くたびに人並みに流されてばかりだった。

毎日少しずつ人の動きを見て、ラッシュ時の地下鉄の車内でもスムーズに振る舞えるようになったのは、ここ数年のことだ。



主要路線で、普段から乗っているわけではない方も多いから、昔の私みたいに慣れてないんだろうなぁという人は毎日たくさん見る。

乗り慣れていそうでも「なにがなんでも空いた席があれば座りたい」ムーブの方はしょっちゅう見かけるし、次に開くドアの目の前に立ち続けておいて、ドアが開いても降りるでも車内に退くでもなく仁王像のごとく一歩も動かない人も1週間に1回は遭遇する。

あとはドアが開こうとたくさんの人が乗り込んでこようと、スマホに夢中で定位置から動かない人は星の数ほどいる(まぁ、疲れてて周りのことまで頭まわんないし、ドアのすぐ近くでもなければ仕方ないのかなとも思う)。




通勤電車なんて、「出社したくないなぁ」とか「仕事疲れたなぁ、もうこんな時間だ」とか、あとは空腹だとかでトゲトゲした気持ちで乗っていることがほとんどで。

そんな通勤の時間に、さらに気持ちがざらっとなる方を見るたび「なるほど反面教師にしてスマートに通勤しよう」なんて思ってきた。



すぐに降りる私は別に座らなくていいから、乗り込んできた誰かや、今立っている他の誰かが座れるように。

別に誰も見てないし褒めてくれるわけでもないけど、私が気持ち悪くなりたくないからそうしてきた。




今日も、職場の最寄から次の駅で目の前の席が空いた。

左斜め前のドアが開いて、目の前に座っていた方が立てるように、少し左うしろに避けて。

そのままその席は空いて誰かに座ってもらえるように、座席からさらに半歩離れようとした時だった。



「前の席、座ってもいいですか?」
私のすこし右隣に立っていたお姉さんの声だった。

席を立ったり座ったり譲ったりする時なんて、無言でみんなスッスッと動くことしかなかったから、丁寧な問いかけに私は0.5秒くらい固まってしまってぱちくりした。


0.5秒経って思考が追いついて、会釈しながら「どうぞ」って言ったつもりだったけど、声っていきなりだとうまく出ないから、たぶんマスクの中で口をはくはくとしただけで、声にはなってなかったと思う。



とりあえず会釈と席から離れる行動で、OKの意思を示した私に、お姉さんは同じように会釈で返すでもなくにっこり笑って「ありがとうございます」と言ってから座席に座った。

それから、入り口すぐだった座席から離れて車内奥に詰める私に改めてぺこりと会釈をしてくれて、私も会釈を返したのだった。




そうして電車が動き始めていつものポジションに落ち着いて、うわーーーって、なんだか改めて感動してしまった。
育ちがいいって、こういうことを言うのかなぁとしみじみした。


公共交通機関の座席なんて別に誰のものでもないんだから、席が空いていたら早い者勝ちで無言で身を捻じ込んで座っても別に問題なんてない。

そうやっていつも、パズルみたいにぱちぱちと、人の乗り降りのたびに座席が空いては埋まっていくものだった。


もしかしたら私の思い込みかもしれないけど、たぶんだいたいの人が「そんなもんでしょう」と思って地下鉄に乗っていると思う。
空いている席に座るときに、許可なんて誰かに取らない。そんなもんだし、それでいいと思う。




だけどあのお姉さんは、ちゃんと言葉にして会話してくれて、お礼まで言ってくれた。

もはや譲ることが前提の「いいですか?すみませんね」とかでもなくて、「前の席、座っても大丈夫ですか?」と聞いて、反応を見て座ってから笑って「ありがとう」と言ってくれた。


絶対そんな意図なんてないのはわかっているけど、なんだか、今まで地味ーーーに「車内で人の邪魔にならないベストポジション・ベスト動線」を意識して生きてきたのが報われたような気にさえなってしまった。




何より、ちゃんと話しかけてくれたことが嬉しかった。

しょっちゅう顔を合わせる人ばかりの会社内でさえ、すれ違う同僚への挨拶は、きちんとするし向こうからもしてもらえるけど、どうしてもおざなりになりがちだ。

だいたい「おはようございます」を口の中でモゴモゴ言って「おは(モゴモゴ)ざーす」とか、同じく「お疲れ様です」を「おつ(モゴモゴ)ーっす」とかになる。



もちろんそんな声でも、ちゃんと自分を認識して挨拶をしてくれてるんだなーっていうことは嬉しい。無言ですれ違われるよりは断然気持ちいい。

そんな中で耳に届くように整った音の粒ではっきり話しかけてくれる人って、多くはないからやっぱりなんだか嬉しくなる。




だからなおのこと、たぶんきっともう二度と会わない「たまたま同じ電車に乗り合わせただけ」の人が、「何を言ってどう思われたってどうでもいい」はずの私に、きちんと話しかけてくれたなんてすごくすごく嬉しい。


当たり前で普通のことをしただけで、相手がその人じゃなくても同じように動いたんだけど。たぶんその人も、相手が私じゃなくても同じように言ったんだろうけど。

それでも笑って「ありがとう」と言ってもらえると、私のいつものちょっとした気を遣ったつもりの動きは、ちゃんと意味があったんだなぁって嬉しくなれた。

うおーーー、あなたみたいに、私もなりたいです!って思った(急にあんなに綺麗に声出せないから、たぶん私には難しい)。




今はどうしても、電車だとかバスだとかエレベーターだとかでは、飛沫拡散防止のため会話をせず静かに乗りましょうって言われがちだけど。

ちょっとしたコミュニケーションで気遣いやお礼の気持ちを伝えてもらえるのは、やっぱり嬉しいなぁと思った。



ただいつものように、空いた席から離れて自宅最寄で開くドア側に移動しただけだったのに。

私に席を譲らせてくれて、いいことしたような気持ちにさせてくれたお姉さんに私がむしろありがとうと伝えたくなった。



別に、これからも見返りなんてないだろうしそれでいい。でも私もあの人みたいに、少しでも周りを気持ちよくしたいから。

私はこれからも、目の前で空いた通勤電車の座席はそっと無言で誰かに譲ろう。

直接見返りはなくても、あわよくばどこかで誰かが気付いて「いいじゃん」って、自分もあの人みたいになんて思ってくれたらいいなぁなんて思いながら、また明日からも地下鉄に揺られて働きにゆく。


何かを感じていただけたなら嬉しいです。おいしいコーヒーをいただきながら、また張り切って記事を書くなどしたいです。