2020年6月26日にプラスチック成形加工メーカーである天馬(7958)の株主総会が開かれ、株主提案されていた取締役候補は全員否決された一方、会社提案の取締役候補も8名中3名が否決される結果となりました。

アクティビストに縁のある会社

天馬は2007~2008年頃にも当時隆盛を誇っていたスティール・パートナーズの関連企業と言われたリバティ・スクエア・アセット・マネジメントに一時10%を超える株式を保有され、足元でもダルトン・インベストメンツに13%超の株式を保有されるなど、つくづくアクティビストに縁がある企業と言えます。

ただ、今回の株主提案者はアクティビストではなく、創業家かつ元名誉会長ということで、まさかの内紛的展開だった訳です。その過程でも監査当委員会が会社側取締役候補者のうち3人が「不適切」である旨の意見を出し、監査当委員会の意見陳述権(会社法342条の2第4項)が上場企業で行使された初の事例ということで、会社法的な意味でも注目を集めました。

プラスチック製造を手掛ける天馬の監査等委員会は2日、会社側が6月の定時株主総会に提出する取締役選任議案に「不適切」との意見を出すと発表した。取締役会が決めた議案に対して監査等委員会が意見を出すのは上場企業で初とみられる。総会では現取締役会の刷新を求める株主提案も提出されており、委員会の意見は株主の賛否判断に影響しそうだ。

会社側は大株主であるダルトンの代表取締役 林史郎氏を取締役候補者として擁立しダルトン側の賛成票を取り込みにいき、創業家側はダルトンに対して質問状を発出するなど、会社・創業家・ファンドの3者を巻き込んだ戦いとなった訳ですが、本総会の結果により、一旦は少なくとも創業家側の敗北という結果ということになります。
(林氏の選任議案は可決)

各関係者の主張などは下記日経の記事に譲りたいと思いますが、企業統治・監査当委員会の位置付けなどについて考えられる、興味深い事例です。

元名誉会長(86歳)サイドはHPやtwitterを駆使

株主提案を実施した元名誉会長である司治氏サイドは、主張を自ら発信するべく、専用のHPやtwitterアカウントを立ち上げるなど、かなり精力的に情報発信を行っていました。
もちろん、元名誉会長ご本人が直接対応している訳ではないでしょうが、twitterまで使うのは中々先進的な取り組みです。

https://twitter.com/tsukasanews1

東芝機械(現・芝浦機械。6401)への敵対的TOBにおいて、村上ファンドも同様の対応を実施していましたが、今後はtwitterもアクティビストが活用するツールになっていきそうですね。

【余談】天馬行空

ところで、今回の記事のタイトルである「天馬行空」というのは、「思想や行動などが自由なこと。また、文章などがのびのびとしているさま」を表す四字熟語です。
かつて、とある上場企業の経営者が、このタイトルの自伝マンガを自社HPに掲載していました。

その名は大島健伸氏。ノンバンクである商工ファンド(後にSFCGに社名変更)を一代で立ち上げ、世界長者番付にもランクインされるなど、華々しい経歴だったのですが、その後、リーマンショックに伴いSFCGは破綻。その際に資産隠しなどの容疑で逮捕されました。

そんな大島氏の会社設立からの成り上がりを描いた漫画が「天馬行空」。今でも「天馬行空 マンガ」などで検索すると当該マンガが掲載されているサイトがあります(著作権者なんでしょうか…?)。
その第16話でSFCGのグループ会社であるT・ZONEホールディングスの社長として、吉田直樹氏という方が出てきます。
T・ZONEホールディングスは2000年代前半~半ばにかけて、市場で株を買い集める等の形で、日本管財や大田花き、理研ビタミン、佐藤食品工業などの株式を20%を超える水準まで取得(会計上は持分法適用)するなど、アクティビスト的な動きをしていました。
リーマンショック⇒SFCG破産の流れの中で、売却や借入先の担保権行使などにより当該保有株式は散逸していくのですが、現在であればこういう会社がどのような見られ方をするのか、気になるところです。
※ 佐藤食品工業株式はその後、日本振興銀行(破綻して日本初のペイオフ発動事例に)⇒日産アセット(日産コンツェルン末裔で、杉田かおるの元夫である鮎川純太氏の経営する会社)と、転々としていくことになり、数奇な運命を辿ります

さて、このT・ZONEホールディングス社長の吉田氏ですが、実はこの方、ドン・キホーテを運営するパン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(7532)の代表取締役社長を現在務める吉田直樹氏です。
PPIHの有報によると、2007年にドンキホーテの米国法人社長に就任(この当時はまだT・ZONEの社長だったはずですが…)、2012年にはドン・キホーテ本体の取締役となり、2019年に社長へと駆け上がっています。その優秀な経営手腕が創業者の安田隆夫氏に高く評価されたのでしょう。

人に歴史ありですね。