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山深き最果ての地を歩く〜熊野古道・小辺路

こんにちは!
相変わらずカメの歩みのような投稿ですが、いつもスキをありがとうございます!
なかなかリアクションできませんが、皆さまの記事、しっかり読み込ませていただいていますので〜

今日は熊野古道のもう一つの巡礼の道「小辺路こへち」について書きたいと思います。

この道を歩いたのは、かれこれ7-8年前のこと。
最初は自分自身で、次はお客様をお連れしたので、2回ほど味合わせていただきました。


小辺路は紀伊半島の中央部分を北から南へと縦断する、約70kmの道。
高野山を出発し、途中には標高1,000m以上の山々を越え、熊野本宮大社を目指す最も険しい道と言われています(修験者の歩く「大峯奥駆道おおみねおくがけみち」は別として)。

よく「伊勢路と小辺路ってどう違うんですか?」とか、「小辺路で印象的だったのは、どんなことですか?」と聞かれるのですが、ひとことで言うと。

「小辺路の山深さは、歩いて体感しないと絶対にわかりません」

です。

今では標高900m弱の高野山まで、電車で行けるので、スタート地点からすでに標高を稼いでいるわけですが、その後の「山の奥深さ」と言ったら半端じゃありません。

この中を、ドーンと歩いて抜けていきます

とにかく延々と続く山並みの中を、越えてはまた登りを繰り返していきます。
ちなみに「伊勢路」は海が近いので、峠を越えるとそこには人の営みがしっかり根付き、その昔は繁栄していたんだろうなぁと感じるものがありました。

しかし「小辺路」は最果ての地とでも言うのでしょうか…
現代でもこんなところによくぞ集落が!
と感動的でもありました。


民家の先に続く「小辺路」
東洋のマチュピチュ?とも言われる
果無集落はてなししゅうらく

それだけでも感動するのに、昭和の初め頃まで旅籠があったり、往来の人々を見守ってくれる観音堂やお地蔵さまが、現在も息づいています。

優しいお顔ですね!
昭和9年まで人が住んでいた「旅籠・上西家跡」
高野から伯母子峠を越えて十津川村まで、馬が米や魚を運んでいたそう

その中でも印象的だったことが一つあります。

小辺路で一番高い山である伯母子岳おばこだけ(1344m)を越えると、十津川村の五百瀬いもせ集落に到着します。
農家民宿「政所」さんに宿泊したのですが、その時にご主人がこう教えてくれました。

「2011年に、ここいらは大水害に襲われ、大きな音を立てて山が崩れたのさ。
当時、恐ろしいほど水を含んだ山は大きく膨れ上がり、オラたちは崩れるのがわかったから皆逃げたよ」

9月に発生した台風で発生した災害は、歴史的大規模土砂災害とも言われているそうで、私が訪れた2014年も、まだ大規模な復旧工事が行われていました。


崩れ落ちた山の姿は、いまだに痛々しい

紀伊半島を縦断する「熊野古道・小辺路」と呼ばれる道。
高野山と神域・熊野を結ぶ二代聖地を結ぶその道を歩くことは、人々の願いを込めた巡礼でした。

それは確かに尊いことです。
しかし歩いてみて心に響いてきたことは、その土地に暮らし、巡礼の人々を迎え送り出している営みがあり、それが今もなお脈々と受け継がれていることだと感じました。

伊勢路ももちろん素晴らしいです。
けど、機会がありましたらあまり知られていない「小辺路」を、ぜひ味わっていただきたいです!



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