本当のギバーは見返りはなくて当然



本当のギバーは見返りはなくて当然

これはお食事100万円をおごってその後、連絡をとらないような人間が
本当のギバーと思えます。

私達はなにかしたらお礼や次回の見返りなどを無意識に期待しています。

しかし本当に他人に与えるということは、相手への利益を与えてなに食わぬ顔で
忘れ去ってしまう状態といえます。

なかなかできることではありません。

お食事をおごったら、手伝って欲しい、助けて欲しい、次回はおごって欲しいなどの欲がでています。
それは、見返りを期待しないギバーではありません。

そんなことをしたら損をするからしないというのは人間だと思います。

そして本当に与える人が与えられるのであれば見返りを期待しないでおごった人はあたえられるはずです。

それはおごった人からの見返りがあたえられるのではなく、
自分の心や精神事態が磨かれるというのが本当かもしれません。

与えた人は、与えた分の経験や考え方が与えられるということです。

私は与えた人から与えられると思い込んでいました。
しかしそうではなく与えた人はその行動から、考え方や物の見方が与えられる
見えない力を与えられているということだと思います。

よく寄付する人は幸福度が高いといいます。
他人のためにお金を使うことの方が自分にお金を使うよりももっと幸福度が高いらしいです。

これは自分が他人に使うことで他人を幸福にしたという自己満足を満たしてくれるということになっています。

マズローの五段階欲求があります。
安全の欲求、生理的欲求、所属の欲求、承認欲求、自己実現欲求です。


このうちの、承認欲求が一番とも言えます。
相手によくみられている欲求が幸福度を高めていると言えます。

わたしも他人と他人を出会う機会を与えたことがあります。
これはその他人から与えられたというよりは、そのノウハウや考え方、
接し方、人間のエゴを学びました。

他人は主催者への感謝よりも自分の出会いを優先に考えています。
自分のことしか考えていません。
そのなかでも感謝できる人は1%くらいでしょう。
その人を集めるというのも、行動機会の多さが比例していくこともあります。

行動をたくさん起こして発起回数を増やすことで他人もついて来ます。

このように他人に与えることから与えた行動によって自分に学びをもたらします。
当然他人に与える人事態が少ないのでその少数派の希少な考え方をもつことができます。

そしてその少数派の考え方こそが多数派から必要とされる人間になっていくことから
与える人こそが貴重な考え方や行動力を与えられると言えます。

しかしわからないのは、戦国時代などは農民は納税で年貢を納めていましたが、
相当つらい思いをして御上に年貢を与えました。

それでも農民はなにかあたえられたかというと
それがなにかはわかならないです。

たくさん働いて自分の食べる米もないのに与えたのに農民たちは、幸福だったのでしょうか。
一生懸命頑張ってもつらいおもいだけだったのであればギバーになっていたので
なにもあたえられていないのではないかと思います。

誰かこのなぞに答えがわかる方がいればご教示ください。

当時の農民が天国で幸福、そして生まれ変わって幸福になっているのであれば
それで良いのですが。

いずれにせよ、一般的なのは与える人が与えられるというのがあるので
いまから、できる範囲で他人にメリットを与えてみましょう。
それは自分の考え方や行動力を与えられるからでもあります。

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