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「主人」という言葉

 最近、若い女性が自分の夫について「主人」と呼ぶ場面によくあいます。その言葉には、男性中心社会で差別され、主婦業中心に生きざるを得なかった私たちの世代の母親たちを思わせます。昭和前半に生まれた彼女たちは、憲法で男女同権がうたわれているのにもかかわらず、自由に仕事を選ぶことも難しかった世代です。

 多くの女性が、社会で差別され、若いうちに職場を離れなければならなかったり、子どもを預けることが困難だからと退職していきました。女の子だから、と大学進学を親から許してもらえなかった人もいます。

 夫に経済的に依存せざるを得ず、そのために外出するにも夫の許可を必要とし、買いものも内容によっては夫に相談しなければならなかった。カルチャースクールなどで勉強したいと思ったときでも、夫の許可が必要でした。そんな母親たちを見て育った私や同世代の女性たち。母親たちは、「主人」と夫を呼んでいました。なんでもおうかがいを立てなければならない、従属する人間として夫たちを「主人」と呼んだのです。

アンチ「主人」の世代

 私たちには、女性の権利がわずかずつでも拡大していく時代の中で育ち、男女雇用機会均等法のもとで、同世代の中に男性に伍して働く場を獲得していった仲間がいます。もちろん、私たちの前にも仕事を続けてきた先輩がいて、均等法などの権利は先輩女性たちの奮闘によって獲得されたものです。でも、特別な人ではなく、ふつうの女性たちが塊で男性社会に分け入っていったのは、この時代に働き始めた私たちの世代なのです。

 職場は女性を受け入れると決めたけれど、営業や企画の部署に配属された総合職の女性を、どう扱っていいかわからない男性上司はたくさんいました。まだまだ男性たちの意識も、職場の仕組みも、女性を受け入れる体制が整ったとはいえない。そんな中、女性たちは屈辱を味わいながら男性以上に努力することで、自分たちの居場所を築いていった。

 家庭でも、女性たちの戦いが始まっていました。平松愛理が「部屋とYシャツと私」で歌い上げた、自分の遊ぶ権利をもらうという内容は、女性版関白宣言と言われました。主婦であっても、自分の時間は好きに使う。そんなことから私たちは始めたのです

 本当に、対等な関係を男性との間で築こうと葛藤してきたからこそ、「主人」という言葉に抵抗感を持つ人がいるのです。私もその一人です。

便利な言葉かもしれないけれど

 確かに「主人」という言葉は便利です。私も実のところ、セールスには「主人」という言葉を使います。それは世間的に、妻は夫に従属しているというイメージを逆利用するためです。「私は買い物も自分で決められないので、売り込んでも無駄ですよ」と思わせるために使うのです。

 若い世代の方々が、「主人」と呼ぶのはニュアンスが違うような気がします。どうも、対外的に夫の話をするときの謙譲語のようです。公的な場で、例えば母親のことを「お母さん」ではなく「母」と呼ぶように、夫のことは「主人」と呼ぶ。

 あるいは、芸能人が「主人」とうれしそうに話すのを見て、真似をするのかもしれません。今は結婚するのが難しい時代です。だから、「私は結婚してるんだ♡」と言えるのがうれしくて、芸能人や自分の親が使っている言葉を使いたくなるのかもしれません。

 でも、この言葉はもともと、奴隷に対するもの、使用人が雇い主に対して使うものです。つまり、妻たちが夫を主人と呼ぶとき、自分は家事やセックスを提供するために雇われた人間だと表明することにつながるのです。そんな言葉を使い続けたら、夫婦で家事を分担するとか育児を一緒にすることが難しくなっていきませんか。いつの間にか、立場が下になって「手伝ってもらう」感覚になっていかないでしょうか。そんな風に思ってしまう私は、古い人間かもしれませんが、言葉が持つ力は侮れないものです。

適当な言葉を探して

 公的な場面で若い女性が「主人」と呼ぶのは、もしかすると、他に適当な言葉が定着していないからかもしれません。「相方」「ツレ」「ダーリン」「旦那」なんて言葉が流行りましたが、そんな風に言える相手は、友人など対等な相手に限られてしまいます。職場で、年長者に対して「ツレがこんなこと申しておりまして」とは言いづらいですよね。

 私は、夫を知っている人には苗字呼び捨てを使います。あと、「夫」と言ってしまうこともあります。これ、けっこう使いでがありますよ。くり返しになりますが、言葉には人に魔法をかける言葉があります。うれしい言葉が力をくれるように、批判の言葉が弱らせるように、呼び名も自分たちの関係を決めていく力があるように思います。「夫」、使ってみませんか?


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