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物語食卓の風景・共働きの2人③

 洋子さんの長女、真友子の東京での夫婦2人暮らしを描くエピソードの第3話。前回はこんな話でした。

 真友子が航二と結婚して5年ぐらいした頃、母が訪ねてきたことがある。高校時代の親友に会うことが目的で、「ついでに」娘の家も観ておこうと思ったらしい。母を泊めるために仕事を段取りし、結婚と同時に母が送ってくれた客用布団の袋を開けて一度干し、シーツを買ってきてセットし、手抜かりがないよう大掃除並みに家じゅうキレイに掃除して整理整頓し、と念には念を入れて準備した。

 何しろ母は細かいチェックが多い。真友子は母が自分を眺めまわす視線を浴びると、人形作品になった気分になる。展覧会に出す、あるいは売りに出すために作品のアラがないかを入念にチェックするような感じ。

 子どものときは、それはせいぜいお出かけの際の着こなしチェックぐらいだった。家族で出かける際の洋服は、母が選ぶことが多かったから、ブラウスの襟やスカートの裾がめくれていないか、爪はきれいに切ってあるかぐらい。髪の毛も母が三つ編みに編んでくれたから、整えてある。でも、その身なりをチェックする視線も、髪の毛を編んでいるときの様子も、まるでお人形遊びするみたいに思えた。もしかすると、真友子のお人形遊びが母の真似だったのかもしれないが。

 中学校に上がると、洋服は自分で選ばせてくれるようになったが、それでもよそ行きになるものは、母と買い物に行って母の意見が優先された。そういうことが、就職して東京に出るまで続いた。ウェディングドレスも一緒に選ぶために上京すると言っていたが、それは何とか押しとどめた。「もういい加減、私も大人なんだから。それに忙しいからドレス選び以外の時間は使えないし、狭い部屋に泊められない」と力説してがんばった。でも、母が状況を思いとどまったのは、真友子の説得で納得したわけではなく、父が足をくじいてしばらく介護が必要になったからだった。

 それに、母は普段着にもいちいち文句をつけた。色が派手だとか、胸が空きすぎているとか、スカートが短すぎるとか。大学生になると、化粧や髪型にも文句をつけた。母の主張は、とにかくおしゃれなものは派手。でもスポーティな服装も「女らしくない」と批判する。真友子が選ぶものは、何でも気に入らないようだった。

 家事のレベルにも、当然チェックを入れてくるだろうと思われた。電話をかけてくるときはよく、「あんたちゃんとご飯つくってるの?」といった探りを入れてきたからだ。「携帯につながらなかったから」と真友子の会社に一度電話をかけてきたこともあった。最初、誰からかわからないまま仕事モードで出た真友子に、いきなり「もう少し柔らかい声で話しなさい」とたしなめた。

 家を出たら自由になると思っていた真友子だったが、実際はむしろ母の管理は厳しくなった。実家にいた頃は、部屋が散らかっているときに叱ることはあったが、それはしかたがないことで、インテリアのセンスには何も言わなかったし、門限も特になく、大学のときの友人の1人が「夜10時までには帰らないといけないのよ」と嘆いていたことに驚いたことすらあった。旅行も、きちんと行先と行く相手を告げれば何も言われなかった。もちろんBFとの旅行は黙ってアリバイづくりに友だちに協力してもらった。これは逆に、隠さないで親公認で彼氏と旅行する友人たちから驚かれた。

 母が男性関係はうるさそうなイメージを真友子が持っていたのは、家にかかってくる電話にうるさかったからだ。真友子は大学時代にポケベルデビューをしたが、香奈子の時代みたいにケータイはまだ一般的ではなく、電話は家にかかってきて、親たちはある程度娘の交友関係を把握することができた。男の子から真友子あてに電話がかかると、母が耳をそばだてているのがわかるので、コードレスになってからは子機を部屋まで持ち込んでしゃべった。それでも、後でどういう人でどういう用件なのか聞かれて、あしらうのが大変だった。「ちゃんとしたおうちの人とおつき合いなさい。そうでないと苦労するのは、真友子よ」というのが母の口癖だった。

 とはいえ、実家にいた頃の真友子の恋愛は一度だけ。大学時代にアルバイト先で知り合った別の大学の男の子。でも、せいぜい半年ぐらいしかもたなかった。別れたきっかけは、旅行先でケンカしたことだった。だから、母が心配するほどモテたわけでもない。

 東京に来て、2~3人つき合って、でもどの男性とも続かずすぐに別れて。航二は一緒にいてラクだったことが、結婚に至る一番の動機だった。それまでの彼氏といるときは、服装や身だしなみに気を使う相手ばかりで、泊ったときに化粧を落とすかどうかも悩んだほどで、彼氏と会うときには下着にも気合を入れた。でも、航二が住んでいた部屋は築年数が古くてふろ場にシャワーがなく、お互いセックスの後もそのまま洋服を着るし、航二もそれを気を使うわけでもなく、慣れてくると汚れたTシャツを着てくるときもあり、真友子も次第に普段着で会うようになっていった。泊まるときなどは、「しんどいだろ。化粧なんてもう落としちゃえよ」と言ってくれたし、すっぴんの真友子を見ても特に反応は示さなかった。

 考えてみれば、今までの彼氏はどことなく真友子を人形扱いしていて、それは母と似ていた。一緒にいる人とは、自分を女の器として観ているものだと思っていたのかもしれない。そんなことに気が付いたのは、航二とつき合うようになってからだった。そして、自分の中身より器を気にする母は、どこかおかしいのではないか。あるいは、本当は私自身を愛していないのかもしれない、と疑うようになっていった。

 母が自分を理想の娘の器に合わせようとしていたのだとすれば、結婚した自分を理想の妻であるべきと思い込む可能性は十分にあった。だから、いざ母が訪ねてくるとなったら、気合を入れて部屋を整える必要を感じたのだ。母が特別家事に力を入れる主婦だと、実家にいた頃は思っていなかったが、いざ自分が結婚してみると、真友子は手が届かないと思うことばかりだった。

 

 

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