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じっくり煮る意味・その5

 前回は、本を書きながら、料理研究家たちの料理に対する真摯な姿勢から学んだ話を書きました。

 それに対して、自分がそれまでどうだったのかを今回は書きます。私は、専業主婦の母親に、「勉強しなさい」と言われながら育ちました。「あんたはいいから」という言葉が先につくこともありました。それは、「お手伝いなんかいいから」的な意味です。わが家は割と、子どものお手伝いはさせようという方針の家ではありましたが、それでも、言葉のニュアンスとして、お手伝いより勉強が大事、という含みは聞き取れました。

 そして、私が育ったのは昭和後期で、世の中が安定しており、郊外のサラリーマン家庭に囲まれた環境の中では、将来は大学→企業でサラリーマンになる→結婚→出産、というコースを生きるべきで、それができなかったら落ちこぼれ、という一本の線しか人生コースがないように感じながら育ちました。女性の場合は、結婚や出産との仕事の両立は困難な道だと、思っていましたが。

 仕事をしてお給料を持って帰るお父さんは、家で家事と子育てだけしているお母さんより偉い。勉強は家事より大切なこと。親たちはそんな風に口にはしませんが、そんな価値観は娘にも伝わります。そして、お母さんは家事が仕事なのだから、子どもはお手伝いをしてもあまり深入りしてはいけない。変な話ですが、私は母が得意とする和食領域には踏み込んではいけない気がして、味噌汁ぐらいしか覚えませんでした。和食の作り方は家庭科で習ったこと以外は皆、一人暮らしを始めてレシピ本から学びました。

家事は仕事より下なのか?

 仕事や学業が家事より上、という感覚はずっと私を支配していました。だから、結婚して家事をシェアしようとなったとき、他にやってくれる人がいるなら私は家事をあまりしたくないと思い、仕事が忙しいときでも、2人の生活のペースを守るために家事を優先すべきときがあることに、気が付きませんでした。

 一人暮らしのときは、仕事がのってくると食事時間をずらすことがよくありました。新婚時代はそのペースで「もうちょっと待って」と言って、時間がどんどん経ち、料理を作ってくれていた夫を怒らせることがありました。冷めてしまうし、夫だってお腹を空かせているのです。怒られて当たり前なんですが、私はお母さんにご飯を作ってもらう子供みたいにわがままを言っていたのです。お恥ずかしい。

 そして、仕事をしていれば家事をしなくて済む、家事なんてお金にならないし社会的にも評価してもらえないんだから、と下に観ていたように思うのです。それは私が母と関係が悪く、主婦を軽蔑していたところがあったのではないかと思うのです。年齢が上がるにつれ住む世界が広がっていくと、母がだんだん小さく、モノを知らない人のように見えていく。もちろん、それは何より関係が悪いことが大きい。母を見下ろして勝ちたい気持ちがあるからです。

 私が家事を軽く見ていた理由はですから、二つあります。稼ぐことが家事より偉いという刷り込み。母より上に行きたいという娘の欲望。皆さんは、家事を仕事と比べて上下関係を作っていませんか? お母さんとの関係は悪くありませんか? 自分の中での家事の位置を考えてみると、自分の家事に関するストレスの背後に何があるか見えてくるかもしれませんよ。

 家事と仕事の関係については、前も書いたかもしれませんが、これらの見解を踏まえてもうちょっと深堀してみたいので、次回また書きますね。


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