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じっくり煮る意味

 昨夜、トップの写真の栗と鶏の煮ものをつくったときに、気がついたことがあります。それは、時間をかけてつくる煮込みのおいしさです。

 この料理は、『小林カツ代と栗原はるみ 料理研究家とその時代』(新潮新書)を書いたときに、昭和の時代に和食を教えた代表的料理研究家、土井勝さんの本から、つくってみた料理です。自分でつくりやすいようアレンジしていますが、栗のおかげでほっこりする味が気に入り、わが家のレパートリーに加わりました。

 たまたま昨夜は残り物がいろいろあり、これ以外の料理をほとんど作る必要がなかったので、栗の皮むきがめんどうだったほかは、楽でした。そして調理時間がたっぷりあったので、いつもなら、野菜に火が通ったら火を止めてしまうのに、鍋を放置して30~40分も煮込んだのです。レンコンは火が通りやすいですし、鶏と栗は炒めていて半分火が通っているので、今まではこの料理、それほどじっくり煮込んだことがありませんでした。

 でも本当は長い時間煮込むべき料理なのです。

 昨夜、口にしたとき驚きました。まるでお店の煮込みや、駅弁の煮物みたいに、鶏肉がホロホロと崩れるのです。

 そうか。煮込みを十分に込む意味はそこにあったのか。柔らかくてすぐに溶けるような煮込み料理は、気持ちが温かくなるような、ホッとするような味わいになります。それはこの料理を導入したときと同じ頃、高山なおみさんのレシピで塩豚の味噌煮込みをつくったときも感じました。長時間に込むその料理は、まるでおばあちゃんの料理みたいにホッとしたのです。

 時間がつくり出す味というものがあります。煮込みはまさにそんな料理です。でも、私は今までそれを知らなかったのです。これを食べたとき、気が付いたことがもう一つあります。それは来週また書きますね。

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