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言葉の海に溺れる贅沢さ

小沢健二、松山千春、井上陽水。元号が変わろうとしている今、少し古めの歌が気になって気になってしょうがない。とにかく歌詞がいい。

カラオケに行きたくなるのは、大声を出したいからじゃない。素敵な歌詞をなぞりたいから。自分で歌詞を歌い、自分でそれを聴きたいから。素敵な歌詞で心は浄化される。

いつの間にか、言葉に敏感になっていた。僕自身が伝えたいことがあるから? 伝えたい人がいるから? それだけじゃない。
時間を感じられる言葉、鮮やかな色が浮かぶ言葉、蒸篭から漂う匂い、踏切が鳴る音、1年前に出会ったときの情景、を想像したいから。

それは、目の前で見るよりも艶やかで色っぽい。

艶やかで色っぽくて、でもどこか辛そうで泣いてしまいそうな、そういう文章に出会ったから、言葉を敏感に、細かなところまで感じてみようと思った。

言葉は記号でしかない。書き手のあの人が感じたことを翻訳して「文字」にしてくれる。少しばかりの想いがのった「文字」を受け取った僕は、頭の中で映像や音、匂いや温度に翻訳する。

あの人と同じ解像度で見たいから、自分のレベルをあげなきゃ、と焦る。それを嘲笑うかのように、あの人はどんどん遠ざかっていってしまう。

同じものを見たいのに、同じ気持ちになりたいのに。「赤」って書いてあるけれど、どんな赤だろう。「石油ストーブの匂い」ってどんな感じだろう。どうしてひらがなで書いてあるのだろう。

言葉を紡ぐ時間、感じたことを形にする時間、それを受け取る時間、頭の中でじっくりと翻訳する時間、その経験を積む時間、あの人のことを考える時間、2回目を読む時間、3回目を読む時間。

言葉を楽しむ時間、言葉の海に溺れている時間。そんな贅沢な時間を過ごすために、noteのエッセイを読んだり、小沢健二を聴いたりしている。

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