良い指導者とは?
久しぶりの投稿です。
考えを整理したいときとか、新しい閃きが欲しいとき、情報と情報を結合させて昇華させたいときに有効な脳内回路としてDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)を使うと良いとされるのですが、その手段として最もシンプルかつ経済的なのが「歩く」という事です。
元々の散歩好きが高じて「これも仕事のうち」と自分を正当化させつつよく訪れるのが駒沢公園です。
オフィスからの距離も絶妙で、(歩くの嫌いな人にはちょっと遠いかも?)公園内で色々な光景を見れるのも魅力の一つです。
何か、爺ちゃんみたいだな 笑
まぁいいとして、
公園内では、様々なスポーツに打ち込んでいる人がいて、その中でも軒並みロードランナーが多い訳です。
ロードランをレクチャーしている指導者らしき人も度々見かけます。
そんな中で指導者をオブザーブしていて感じた事があり、テーマとして面白そうだったんで書こうと思います。
今日綴ってみたいのはタイトルにも書いた、「良い指導者とは?」について自分なりな考察を記していこうかと思います。
まず先に結論からいうと自分が思う良き指導者というのは、「技術を教えない人」です。
一見、矛盾してると思いがちですがこれこそ真理じゃないかなと個人的に思います。
これだけだと説明不足すぎるのでどういう事か解説すると、
教えるのは技術そのものでなく、「どうやれば上手くいくのか?を考えさせる人」なのかなと思います。
正直、答えというか方法論をダイレクトに教えてしまうのは楽です。
時代もどんどんインスタント化された情報に価値があると解釈されているのでいかにお手軽に、大きな変化を与えられるか?を重視しているように思えます。
しかし、状況によっては教わった通りの事をやっても全く上手くいかないといったことも往々にして起こり得ます。
その時人は何をするか?
また新しいノウハウを持った人もの元を訪ねるのです。
晴れて、ジプシーの完成です。
別にこの事自体を否定するつもりはないですが、方法論を探し回るよりも圧倒的にコスパがいい方法があるんじゃないの?って事は言いたいです。
先程挙げた、どうすれば上手くいくのか?を考えさせるためには手間暇かかります。
指導者は何をするのか?
何もしないんです。
この何もしないというのがとてつもなくしんどいんです。
こーやった方が上手くいくよと喉まで出かかっているのを抑えながら、「何で上手くいかなかったと思う?」、「どこに問題があったんだろうね?」と問い続けるのはなかなか根気がいる作業です。
相手に思考させ、気付きを誘導する。
これが指導者の極意ではないでしょうか?
自分も子育てを通じてそのような関わり方をしたいと思う今日この頃です。
被指導側は「考え方」が脳内にインストールされる訳です。
そうすると、変則的な事態にも応用が効くようになります。
何故か?
それは、前提認識が変わるからです。
方法論だけを教わった人は、上手くいかなかった時の思考回路は大抵は「教わった通りにやったのに何故?」です。
物事に不測の事態は起こらないことが前提認識となっています。
だからいざ上手くいかないと混乱してしまう。
考え方を教わった人は「この場合は、どうするのがベストかな?」と考えます。
つまり、場面毎に振る舞いを変えるというのが前提認識となっています。
時代はVUCA時代だと取り沙汰して世の中の見通しがつかないと不安を煽ります。
直近でいうと、コロナはいつ収束するのか?などの議論もその一つかと思います。
誰の言葉か忘れてしまいましたが、こんな格言があります。
「この世で唯一変わらない事は変わるという事実だけだ」
深いですねー。
つまり、「変わりゆく」という自然法則のみが唯一絶対的なものだという事です。
そしてそれ以外に絶対はないという事なんでしょう。
状況に応じた柔軟な対応を心がけたいですね。
そのときに自分の脳内である「敵」が姿を表します。
その敵が何なのか?についてはまた別の機会に。
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