【長期工事中】文化国粋主義思想について

ここに掲げるのは一三年以上前にぼくが書いた文章である。
後から成形するつもりで、いったん以前書いていたものを掲げる。そのままでは読みにくいのでさみだれ式に改編する。
見返してみると、今の性格とはずいぶん違っていたと思う。現在のぼくの中にもこういう狂気がまだ潜んでいるかもしれない。これから、その側面をもっと引き出さなければならない。

完成予定は今のところ未定。

■■総括
■本論
〇一、現代を、文化混合が進展した望ましからざる時代と捉え、
〇二、民族の純粋性を求める意志のもとに、
〇三、風習・論理と独自美術とからなる民族独自文化を、発展させる目的を持ち、
〇四、技術が普遍的であることを認め、
〇五、民族独自文化の万物諸事の基点を、諸外国の影響の無い伝説時代に求め、
〇六、今日の万物が出来上がった現実の過程から、諸外国の影響が全い状態が連続した過程、つまり、単に技術的な水準が上がる過程を想定し、現代の技術段階における、万物の適切なあり方を想定し、
〇七、これを万物の、現代における本来のあり方と認識し、現実の万物をそのように改める。
■補足一
〇八、社会のありとあらゆる事象を族粋化することを目的にするため、
〇九、現代の美術文化における民族性の回復を優先し、
一〇、より大衆の意識や大規模情報媒体に近づく努力をする。
■補足二
一一、民族の共存共栄を志向するため、
一二、また相対的視点の確保のために、
一三、他民族にも同調を促す。
■補足三
一四、民族の共存共栄を志向するため、
一五、本来あるべき国際関係は族際関係であるという認識を持ち、
一六、文化的に完全に中立、つまり、民族や文化圏独自文化によらない事象を、本来族際関係に望ましい事象とみなし、現実の国際関係において、その実現を志向するため、
一七、西ローマ文化が、国際関係社会に深く取り入ったことと、それにより、世界で西ローマ文化が圧倒的優位を保っている状況を反省し、
一八、各民族は連帯し、国際関係社会から民族・文化圏独自文化の影響の駆逐に努める。
■補足四
一九、民族の共存共栄を志向するため、
二〇、ある民族の他者への影響を制限する必要を認識し、
二一、植民地をこの最大の、障害と考え、
二二、なるべく秩序ある形で、これを世界から駆逐する意志を持つ。

■■解説
■本論
 現代を、文化混合の躍進した望ましからざる時代と捉え、民族の純粋性を求める意志のもとに、風習・論理と独自美術とからなる民族独自文化を、発展させる目的を持ち、技術が普遍的であることを認め、民族独自文化の万物諸事の基点を諸外国の影響の無い伝説時代に求め、今日の万物が出来上がった現実の過程から、諸外国の影響が全い状態が連続した過程、つまり、単に技術的な水準が上がる過程を想定し、現代の技術段階における、万物の適切なあり方を想定し、これを万物の現代における本来のあり方と認識し、現実の万物をそのように改める。

 文化国粋主義思想では、人造物たるすべての文化や個物を次の要素と側面に分解してとらえる。
 ●三つの要素の結合
  美術要素…意匠や様式など。五感に直接感覚できる。
  思想要素…目的や倫理など。個物や全体を取り巻く論理の体系。
  技術要素…能力や美観など。生存と快楽の効率を重視する。
 ●二つの側面
  普遍側面…人間の生理現象を基礎とする技術主体の普遍文化の側面。絶対値である。
  族色側面…一個の民族に固有の、美術と思想主体の民族独自文化の側面。相対的である。
 全部の民族が、各々の文化の普遍側面の絶対値を上げつつ、族色側面の独自性を保ち続ける思想。

■補足一
 社会のありとあらゆる事象を、民族独自化することを目的にするため、現代の美術文化における、民族性の回復を優先し、より大衆の意識や大規模情報媒体に近づく努力をする。

■補足二
 民族の共存共栄を志向するため、また相対的視点の確保のために、他民族にも同調を促す。

■補足三
 民族の共存共栄を志向するため、本来の国際関係は族際関係であるという認識を持ち、文化的に完全に中立即ち民族独自文化によらない事象を、本来族際関係に望ましい事象とみなし、現実の国際関係において、その実現を志向するため、西ローマ文化が国際関係社会に深く取り入ったことと、それにより、世界で西ローマ文化が圧倒的優位を保っている状況を反省し、各民族は連帯し、国際関係社会から民族独自文化の影響の駆逐に努める。

■■
■本論

 今回からようやく、私の考えを詳細に解説する段階に入ることができる。前回私の考えを大枠で明らかにしたが、今回からは一つ一つに解説を施し、理論の完成につとめなければならない。第一回は、この考えである。

 〇一、現代を、文化混合の躍進した望ましからざる時代と捉え、

 近世以前から、日本は西ローマの文化の影響を被ってきた。イベリア半島の国家が率いる諸民族が日本を訪れ始めた当初、多くの技術、或いは美術は、むしろ日本のほうが進んでいたものが多くあったという。彼らは、発見した東の二大陸から搾取した膨大な富を欧州大陸に持ち込み、それらは欧州の諸国家に分配されると、やがて革命的な技術の発達と、美術や哲学の発展を結んだ。
 しかして、いまさら西ローマの成功について多く述べる必要もあるまい。だがこのくだりには、どうしても注目する必要がある。何故といえば、我々は技術で成功した彼らに圧倒され続けて、屈辱の百年を過ごし続けているからである。

 これまで私は、彼らの文化的影響を多く告発してきた。しかし、それはつまり現状を直視せよというに過ぎないのであって、しかもそれは我々を蝕む精神的な何かである以前に、非常に外面的で、現実的で明白な視覚的或いはその他の物理的感覚によるところである。端的に言って、以下のことでしかない。
 目の前を見よ。あたりを見まわせ。町へ出よ。遠く出でよ。見知らぬ土地を訪ねよ。さて、どれだけ日本的なものがあるのだ?
 巷の若者は、人の昔にアダムとイヴを思い起こし、英語の国際性を快く美術の手段として受け入れ、果ては欧州の言葉で子に名づける親が増えつつある。今はそれも特異な例としてあげれるのに留まるが、いつそれが普通となってしまうものか、知れたものではない。服装、髪型、歌曲、嗜好、建築、絵画、漫画やアニメ文化に至るまで、およそ美意識に関わるもので、西ローマの文化或いはそうと捉えられるものを規範としないものは無い。つまり、我々の社会は、もはや西ローマ文化無しには成り立たない。西ローマ文化がファッションの規範として定着したからには、新たな世代に属する者で、西ローマの影響を被らないものはほんの特例である。

 もちろん思想界では、欧米の思想があたかも普遍的思想であるかのように受け入れられ、全ての学問の基礎となっている。思想、芸風、規範意識、国際関係など、西ローマ風というものは日本のみならず世界中に浸透しきっている。これに関しては、だいたいに及ぶ反論は聞かない。これほど具体的なことも、そう多くあるまい。

 また、現代において支配的な潮流には、西ローマに及ぶものではないものの、見過ごせないものとしてもう一つ大きなものがある。「国際化」あるいは「グローバル化」というものの一部であり、民族や国家の垣根を、あえて取り去ろうとする文化のことである。この多くは、全然西ローマ的で、西ローマを基準とするにもかかわらず、この種をそのほかのいくつかの文化に結びつけることで、文化間の協調が得られたと満足する発想と慨することができる。この百年ほど、「和洋折衷」が「新たな文化の形態」としてもてはやされ続けてきたが、その類をいう。また、西ローマのものが無い場合にも、和と中華の融合なり、和と韓の融合なりという形で、とにかく異質なものどうしを結びつける。かかる運動の結果、この世に純然な和という物はなくなったのである。

 さて、我々には日本人或いは日本という立場があって、これは自らを非西ローマとして捉えてきた。純然たる我々の立場は、西ローマとは相容れない何かであることは間違いない。されば、我々は内なる他者に埋め尽くされようとしているのだ。
 この状況を放置すれば、ある日西ローマ以外の我々という立場が完全に消滅したところで、何も不思議はないといわなければならない。それが天皇であれ、皇室であれ、或いは一応の独立国日本であれ、または日本民族であっても、アジア主義的立場であってもおかしくは無い。私は、これらの点について、保守主義的な立場の楽観論とは一切距離を置いている。彼らは、少なくともある種類の日本文化が既に消滅したことを捉え切れていず、だからこそその脅威を把握できていないのである。

 我々は規範意識から他者を排除する意識を持つべきであり、また同時に、そこに民族意識を取り戻すという意志をも抱かなくてはならない。少なくとも、現実において不可能なときでさえ、それらの影響を排除し、古来の日本的な文化に戻すという意識が最も望ましい。しかも、この点はもっと具体的に、民族という立場を押さなければならない。我々は一先ずオーヤシマ民族であり、西ローマを構成するいかなる民族とも異なる文化を本来の姿として持つ。ゆえに、我々の民族文化は危篤であるとしなければならないのである。民族主義の観点では、当然の問題意識である。

 しかしながらこの問題意識は、現状に留まるのみならず、更に進化させられることが明らかとなる。この点は非常に大きな問題であるといえる。
 それというのも、確かに情報技術の躍進しきった現代において、外国の影響が今までなかったほど強くなっていることは否めない。だが、本当に外国の影響というものは、現代に始まったのだろうかという疑問である。その結論は明らかである。わが民族に対する他者からの文化混合は、実は現代特有の事象ではないのである。

 この問題は、我々の考えが必然的に求めるところからなっている。すなわち、我々民族の原点である。
 もし、歴史の中で、明白なる他者の文化が、これまでに受け入れられているのであれば、実は我々が守ろうと考える日本文化も、所詮は文化混合の産物に他ならず、ひいてはその文化が更に他の文化と混合することを避けるべき由など見当たらず、結果として、それまでになかった物でも受け入れなければならないのではなかろうかという恐ろしい疑念がぬぐいきれないとき、我々は同時に次のような葛藤にある。我々が戻るべき、真の姿というものが果たしてあるのかないのか、そして、あったとしたら、それは一体どのようなものなのかということである。
 もし文化には真の姿などなく、ひいてはその主体性など問うても空しいのだとすれば、たちまち民族主義は、なにか歴史を通じて変わらぬものを守る思想でなく、時を経てどんどん変わっていくなんでもないものを一時的に守るに過ぎないという論理を暴き出すに陥る。

 このような思考の赴くところ、我々は現代で失った本来の基準というものに対して、嫌でも掘り下げて考えなければならなくなる。
 現代までに伝えられてきた「古来の伝統」のなかには、果たして我々のような民族主義的立場が守らなければならないものばかりであるか否か。そして、我々は、一体何を取り戻さなければならず、また何を排していかなければならないのだろうか。

 その問答の際、実は現代という時代は、その葛藤に多くの資料を提供してくれるのである。具体的には、世界の全体像の把握であり、歴史の資料が手に取りやすいことであり、また社会的な現象が目耳に触れやすくなったということである。
 現代は、その発展した技術ゆえに、ありとあらゆる情報が離れた他者に伝わりやすい。それは民族の境界と政治範囲を判然とさせ、世界全体を我々に伝える役を果たしている。情報化社会をもたらした現代は、現状では確かに我々民族主義を貶める最大の障害である。しかし考えようによっては、情報が伝わりやすい今の状況は、逆に我々に、歴史を省みる機会を与えてくれているのではなかろうか。そして、情報媒体は、これまで我々を攻め続けてきたのだが、やり方を変えれば我々でも、攻めに転ずることができるのではなかろうか。この視点をもっと端的に提示して、この章を終えたい。

 我々は、危機的な現状を打破するための大規模な文化回復運動を期すに臨み、今だからこそ伝統文化の問題点を、本質的な視点から大々的に反省することができるのである。

 〇二、民族の純粋性を求める意志のもとに、

 前章から受けた問題をここに引き継がなければならない。すなわち、西ローマ文化以前にもあった文化的な侵食を省み、また更に歴史を遡れば、我が国において文化とは、なべて外国の、異民族の影響を受けているものであるという認識であり、その延長には、実は我々の文化というものは、その純粋なる姿、或いは本来の姿など存在しないのではないかと疑うところがある。だが、この章ではその結論を導くには至らない。その前に、まだ考えなければならないことが残っているのである。

 いささか慎重さを欠くと思われるだろうが、かかる指摘は我々の指針を具体的に表現するために不可欠と考えなければならない。いわく、現実がたとえどうあれ、我々が目指す志向はそれとは別の形で存在し、しかもそちらのほうが重要であるということである。

 あるかどうかを考える前から、我々はその本来の姿というものを求めるという方向性がある。例えばもし証明できるならば、我が国の文化は古来から純粋な姿を持ち、他の文化から独立していたという事実を明らかにするということを我々は望んでいるのである。
 とすれば、現段階での我々の立場が明らかになる。我々は、我々のうちに文化の純粋性への欲望を認め、それにしたがって、我々民族の本来の文化と他者、異民族のそれとを、どうにかして区別せしめたいのである。少なくとも、理想においてそうとみなせる。

 こうすると、我々の視点はもっと明確な理想を探し始める。新旧にとらわれず、我々は文化の汚染にあっている。これを認めた時、同時にある視点も浮かび上がる。汚染されていない文化が、可能性として考えれれるということである。
 今まで取り入れたものが我々の一部となる場合は確かにあったかもしれないが、常に受け入れやすいものばかりであったのではない。受け入れるという母体が、それを受け入れることによって変化してしまった場合、ここが肝心であって、我々の立場では、この変化を良いこととはみなさない。あくまで母体の元の形を重んじるのだ。

 ここで注意しなければならないことがある。我々が変化を嫌うとはいっても、人が生きて社会を形成すにあたっては、どうしてもさまざまな変化を避けて通るわけには行かないのである。月日は移り行く。我々はその変化を何から何まで嫌っていては、社会を真っ当に機能させることはできなくなってしまう。ところがこういうことになると、それでは移ろい行くに任せて、全て変わってゆくのが文化だというなら、結局文化には新の姿など無いという反論もできるようになる。
 果たして、我々に科せられる思想の焦点は、変化の種類ということになろう。良い変化と悪い変化いうものがあった、そして、良い変化は、文化の真の姿を損なわないのだと言わねばならなくなるのだ。

 さて、ここで、これまでに考えてきたことから歴史を反省しよう。
 我々は、これまで「伝統が大切」だの、「歴史的な価値観が良い」だのといってきた。しかしここに来て問わなければならないのは、そこには良い変化と悪い変化があったのではなかろうか、という見方である。こうした考え方を作り出すことで、我々の思想はもっと躍動する。

 そもそも伝統とは、単に定着したもののことである。私は確信を持って、決してそれ自体価値を持たないと断言いたそう。それには、いくつかの明白な理由がある。
 もし、今後キリスト教が、護憲が、或いはマルクス史観が、ちょうど仏教がしてきたように美術的に優れた作品を多く生み出し、それによって人心を捉え、文化の旗手として完全に定着してしまったとしたらどうだろうか。そしてかつ、それが五百年も経過してみたとすれば、どうか。それらは伝統になったのである。それらは文化として根付いたのであるといえば、その思想がいかに既存の文化を破壊ないし無視していようと、重んじなければならないのが伝統なら、それらは守られなければならなくなる。しかも、その価値観から作り出された多くの美術的な作品が文化として認められるのであれば、それらを慕うという心も我々に当然あることになろう。そうして、例えばマルクス主義的な歴史観が文化的な価値を帯び、世界に躍り出た際、それはまさに「日本的」なる形容詞をともなって各国各民族に受信されるところとなるに違いないし、それがいずれ邦人にも「日本的な価値観」として逆輸入されるに違いないのである。
 そのようにして、文化が根本的に変化する何かであるという視点は、結局「日本的なもの」を、時代において全く異なる規定のものに何度も書き直すことを許してしまうのだ。

 だがもちろん、これに関する我々の見解は既に決まっている。我々は、今までとは違う、全く他者のものを受け入れるのには、断固として反対である。あまつさえ、過去に起こった変化にさえ及ぶ考えでさえもを躊躇しない。今の他者を受け入れる、それが悪い変化を起こすとみなした際、その輸入に我々が気を許すべき時など永遠にやっては来ない。
 こうと例すればご理解いただけようか。我々は共和制を永遠に日本のものとしない。君主を絶対廃止し民衆の実力主義に文化の権威さえもをゆだねるなどという思想を、我が国に許す時効など永久に認めはしないのである。私自身は、たとえ天皇陛下がましまされなくなりたもうても全然共和制の正統性を認めるつもりは無い。このように、我々が現在以降悪い変化と認めるものがあったとき、それを民族文化として受け入れることに、時効がないことは明らかな理を持つことと捉えられることになる。
 だが、過去のこと、それも千年も遡ってしまうと、とたんに歯切れが悪くなってしまうのが既存の思想の構造である。むべなるかな、そうとなれば、それがいかに筋の通らないことであろうと、たとえ無残な妥協の成れの果てに過ぎない何かであろうとも、それが我々の血肉となったと認識されているうちには、それらに対する愛着が起こって当然といえばそうだろう。
 だがそれならば、あなたは未来千年後の若人に語りかけることが可能となったとき、果たしてその時代に天皇などとうの昔にいなくなったとか、或いは我々民族言語の地位が貶められ、日本語など蛮族の言葉と子孫にののしられるの目を見たとき、いかがだろう、あなたは千年後も二千年後も変わらないで欲しい何か、変えてはならない何かという認識を手にするのではなかろうか。
 さればこそ、遂には我々も、千年前の歴史が果たしてどうであったのかを、反省する義務のあることに気づかされるのである。もしも、我々が千年後に残したいと思う気持ちほど強い思いを、実は我々自身が千年前から踏みにじり続けているのであれば、もはや歴史や伝統が価値であるなどという論理は破綻していると断じなければならぬのではないか。

 文化の真の姿は存在する。我々のような立場は、一先ずそのように仮定して、その実態を掘り進めるという方法を採らなければならない。それが上には、我々がしてきた行いを悔いるということもまた、あってしかるべきである。
 もし悪しき変化のあったとき、我々はそれが日本のものになったという認識よりも、日本が本来の姿を失ったという解釈を優先しなければならない。我々の文化は変わらない。仮に変わったのなら、それは既に我々でないとまで私は言い切ることにしよう。

 だからこそ、以下の構えは自ずと重要な態度となる。

 我々は、もし自分が持っていたものが外国のものであったとなれば、それをよろこんで捨てるような覚悟をせねばならない。もしその癒着に気付いて、しかもこれを放ってしまえば、結局民族主義には本来の正統的な、真の理想など存在しないと認めたことになりかねないからである。
 しかし、あまりにも根を深く張った異文化の存在ももちろん考えられる。その引き剥がしを望む限り、我々はそこに、大きな痛みをも覚悟する必要があるのだ。

 〇三、風習・論理と独自美術とからなる民族独自文化を、発展させる目的を持ち、

 今回の考えの前に、これまでの考えをまとめ、一つの結論として前提におく必要がある。
 我々民族主義者は、民族の永続性を求めるゆえに、民族文化の本来の姿、つまり、正体を求める。この真の民族文化は、少なくともある面において、不変と捉えられるものでなくてはならない。そしてその価値の下には、歴史と伝統でさえも単純に重要とはみなせないということである。
 されば、我々は一体何をもってその本来の姿とすることを得ようか。ここまで触れられないできたが、これは当然、我々の関心の最たるところである。今回説明したい考えの核心は、ここにあると思っていただきたい。

 我々の関心をまた、他にも表せる。すなわち、客観的には我々の関心は、純粋なものへの志向であるということが出来る。我々自身にある、この欲求を満足させなければならないのである。
 しかしながら、もう一つ、別の面からも受け継がなければならない問題がある。それとは、民族文化は結局、何らかの圧力から形を変えなければならないということだ。

 我々は、これまで批判的に民族文化の変革というものを参照してきた。しかし実際には私の問題意識は、他の側面も重要なものとして注目していたことを断らなければならない。というのも、一体、文化が改められることを全て否定してしまうというのもいかがだろうかとおもわれたからである。
 さしあたっては、現実に問題が導かれる。歴史上に起こった改革が、全てなかったと想定したとき、例えば、それが明治維新であったとしよう。この時代、我が国は官民一体となって服装を改めたり、町に洋式を取り入れたり、諸外国と交わったり、殖産興業をやって大規模な資本社会を作り出したり、幕藩体制から朝廷と民衆の政治体制に移行させたりした。この時、我々はこれらの複数ある変革の要素を、全て批判するものではない。
 何故といえば、この内いくつかの要素は、まさに国家存亡の危機にあっては行われなければならなかったと見なせるからである。それがなければ、今に日本か、その後身でさえも無かったということも考えられる。まさか、我々は国家民族が植民地とさせられることを望むのではない。存亡の危機という大事において、我々はある種の変革を拒むべきでない。

 そこで、この二つの問題意識を比較し、新たな問題意識の創設をもって、以後の脈絡の助けとしたい。
 すなわち、原点にある文化のいくつかの要素を、我々は未来、完全なる実現に向けて守らなければならぬ。その一方で、国家民族の危機を避けるためには、どうしても変えなければならぬ要素もある。となるから、我々はそれらの定義と区別とをはっきりさせる必要もうまれる。それらの体系的な論理化をこそ、我々の使命と考えなければならない。

 そして、まず今回の項では、守るべきものを規定することにしたい。

 既に述べたように、我々が守るべきは、民族文化の正体・本来の文化である。また、これは何も、現実がそうだという事実によるところではなくて、本来そうであるべき姿という意見が重要である。したがって、これを正統とも表現できる。更に多くを引き合いに出せば、或いは民族文化における純粋、国粋とか、真髄という風にも呼べるだろう。とにかくそれらの概念は、全て同じところをさすのだと覚えられたい。
 それらは民族固有・独自のものであるべきというより、より根源的な理想にして、たとえ他の民族に偶然一致することがあっても、民族に当初からあるか、或いは自然に発生したものである必要がある。だが、この後必要な、文化の起原に関する厳密な論理は別の項に譲ることにしよう。

 ともかく、これまで説明してきた我々の欲求を満足させる方法に関して、我々はまず二つの要素を提案する。一方は民族思想であり、一方は民族美術である。

 まず前者の説明に進む。この要素とは、具体的には民族における風習や論理・理論・精神などを総括するものである。信仰或いは言語文化などの具体例にも置き換えることができる。民族の無形文化とも換言できるかもしれない。これに関しては、私はさまざまに主張を持っている。以下、例としてあげる。

 宗教国粋主義は、日本の本来的な信仰を神道にもとめ、しかもこの原理をもって本来的な民族精神とみなす。よくさまざまな宗教を受け入れて我が国の真の伝統とみなすものがあるが、それは妥協を許し、最後には民族の宗教的統一を雲散霧消させる悪い伝統であるとしなければならない。そもそも人は、死んで黄泉の国に還って、キリストの善きつまとなり、七二人の永遠の処女たちと交わりながら、転生を繰り返しいつしか無になることが絶対にできない。

 言語国粋主義という立場に関しては、我が国の民族言語が本来のあり方でないという問題意識を前に置かなければならない。現代の語に横文字が多いということがよく話題にされるが、しかし古代シナの共通語が我が国の言語的権威であることは全然問題として取り上げられないのは矛盾とみなさなければならない。いつか、日本語の語彙を全部大和言葉に直すという意志が必要である。
 この成功(な)る暁には、歌会(うたより)からエロ本(あでぶみ)まで、国粋化(くにぶらせ)らせられることを願う。これを是非(しいて)もすべきである。例えば、日本(ひのもと)という言葉は普通(ひろ)く漢語(あやことば)で表される。それは本当(ほつま)に正式名称(おおやけのな)として相応しいものかどうか。私はこの名を、例えばひのもとのおおきみのくにとするのが正しいと考える。しかるに、私はパソコン(いかまど)をつかう際(きわ)に、フォルダ(とじさし)の名前を逐一(ことあるごと)に和名(もとなづ)けるくせがある。馬鹿げたことかもしれないが、ある実践(まこと)と覚えられたい。
 突拍子もないことを言い出すようだが、かかる問題意識無しには現状を反省しているとはいえない。また、将来日本語が危機言語となった場合にあっても、我々は日本語の存続と発展を望む。既に諸外国では、侵略や文化的侵食の影響を被って自らの民族言語が話せないものが数多く存在し、そして彼らの主張は、よく民族言語へ志向する。

 その他、礼儀作法や、ある種の倫理も独自の無形文化に属している。文化の様式は日常を覆い尽くしている。玄関で靴を脱ぐということはまだ当たり前である。なかなか変えられない文化も多くあるのだろうが、危機的な文化のほうが圧倒的であるといわなければならない。太陰暦で民族暦を作ること、例えば尺貫法など、或いは祭典や風習も既に失われたものが多い。
 我々の多くは、国家における独自文化の継承と声を大にしていいながら、自分の家のこととなると家紋や氏神をさえも忘れてしまっている。私もかかる家の伝統には反省が多い。家と国がつながるというのも、わが民族の精神であるにもかかわらずだ。

 また、これらはそれ自体としても重要であるが、まだ手付かずの民族社会に対する規範倫理を探る上で、きわめて大きな意義も持っている。世に経済のあり方は全て西ローマの哲学によっている。また、大学や公的な学術機関の学問の諸体系も、全てローマ帝国の権威をその基礎においている。この問題は、哲学の権威をどこにおくかという命題に突き当たる。それは我々が考えなければならない問題として、最たるものの一つである。

 以上が民族思想の説明である。ついで、民族美術の説明に移りたい。この要素は、実際には必ずしも美意識に留まるものではない。それを支える若干の専門的知識や思想、或いは技術もさることながら、最も重要なのは、具体的な民族美術の作品そのものである。或いは、必ずしも美しくないものでさえこうと呼ぶに際して、及び前者に対して、こちらを有形文化とも称することができよう。

 これに関しては、より単純で具体的な説明で事足りるに違いない。例を挙げれば、民族的建築・民族的絵画・民族的文様・民族的料理・民族的衣装などの諸文化の発展である。つまり、五感に感じられる文化のすべてに関して、民族は独自性を実現しなければならない。視覚的に、ありとあらゆる意匠を民族的にしなければならないし、嗅覚的にも同じようなことがいえる。そしてこれにあぶれた、より観念に近い分野の文化は、民族美術でなく民族思想に取りまとめられれば良い。
 これら美術文化を民族的な要素として総べる意識は、昔から和風と呼ばれてきた。民族独自な美術体系が民族の一要素という見方が古いことは、この「~風」という言葉をあげるだけで十分であろう。だから、その美術体系を一個の民族要素として考え、逆に民族を一個の美術体系にまとめる発想を持つことには、自然の感情が働いているとみなさなければならない。この意識に関しては、既にいくつかの持論を披露いたした。だが、それらの目的は一貫していて、次の簡素な表現で言い表せる。我々は、より大規模でより本質的な形での、国風文化の再来を望む。

 以上の二つの要素を区別するのには、単純な理由がある。これは、我々民族がある事象に対したとき、それに向けるべき二つの態度の区別なのである。一方は、あるものに対する理論或いは思考信仰といったもので、もう一方はそれを具体的な事象に合わせて手を施そうとするときの方法である。逆にも考えられる。まずは具体的な物事に対して我々のなす手が決まっており、それを思考の中で体系としてつなぎ合わせる必要があるとき、その根拠を求めるに、民族純粋の思考体系のほかは望めまい。
 こうして、現実と精神の両方において、我々が独自の文化を実践を志すとき、果たせるかな、そこに生まれるのは知行合一を目指す精神なのである。このように考え、或いは実践することで、我々の民族文化に対する欲求は満足されるところとなろう。

 さて、この二つの文化の総体を、この章の中においてすら一〇にも及ぶ言葉で説明してきた。これらはつながる一つの概念を呼ぶ言葉が分かれ出ているに過ぎないが、一先ずは通称として一つのところに収めたい。
 そしてこの際、あえて推したい言葉がある。「民族独自文化」という。この語をすすめるのにも、おことわりせねばならぬ理由がある。実は以上の文化は、とある要素と対比することによって導き出された。この民族独自文化とは、そのまま民族毎に違っている、或いは違うべきものとしてあがる要素なのである。
 これはつまり、その前提に、反対になるべく民族各々に共有されているべき文化があると考えることに始まっているのだ。これには何をあげられるだろうか。それらの文化は、普遍的であり、また必要上普遍的でなければならないと私は考えている。この説明を次回施したい。
 民族独自文化に対しては、正にこの普遍文化を説明することで、この文化論の全体が完成される予定である。

 〇四、技術が普遍的であることを認め、

 我々の思考は、民族の永続性をその本来の文化に求め、この対象を民族独自文化と呼んだ。だが同時に次のこともことわってあった。他者からの圧力の前には、我々はどうしても身のうちに変えなければならない文化というものを想定しねばならない。前項から引用して換言すれば、我々はある種の変革を拒むべきでない。このことに関しては、もっと掘り下げて説明する必要があるだろう。
 既に説明したことの繰り返しになるが、我々は民族の原点にある文化のいくつかの要素を、その純粋な形を維持したまま、未来完全に実現するという理想に立っている。だから、我々は「神話への回帰」を訴えてきた。然るに、ここでの問題意識はその方法論に差し掛かる。ところが、我々がここで考えなければならないのは、神話時代の社会状況がすべてよかった、そこへ立ち戻るべきと考えるべきかどうかである。この疑問に関して、我々の考えは既に述べたとおり、否である。我々はかの時代にある面では立ち返ることを願うが、同時に重要とみなされなければならないのは、当時と現代には、いくつかの要素がその時代固有の状況を作り出しているということである。つまり、変えてはならない要素と、変えなくてはならない要素とがある、ということに他ならない。

 だから、ここにはある必要が生まれる。回帰させるものを取捨選択するそれである。そのような流れを踏まえて、既に変えてはならない文化ということは説明した。この対象を、「民族独自文化」と仮称した。
 今回お目に触れたいのは、残る課題の処理である。すなわち、我々は一体何を変えなければならないのか。ここで、その対象に仮称したい。「普遍文化」である。

 この普遍文化を説明する前に、一つ説明しなければならないことがある。文化を捉える際の、私の要素意識である。私は以下のような分別を持って、ある文化事象・現象、特に物品にかかわる要素体系を説明する。これは三つある。
 一つには思想である。その用途、所属、概念自体である。
 次に美術である。そのもつ美術様式であり、意匠、技巧、雰囲気、「~風」などの特徴をさしている。
 なお説明の順序が逆転してしまって申しわけないが、この意識は前項の説明にも影響しているとみなされたい。この二つは実際に、我々が守らなければならないものとしてあげた二つの概念の核である。
 今ひとつある。そしてこの説明が、今回の論考には重大な影響をもたらす。すなわち、技術である。

 この三つは、それぞれ密接に関係するところも多いが、それにも関わらず、全然独立した要素であると捉えられる。これらの諸要素に関して、それぞれに民族独自文化であるものと、普遍なものとがある。つまり、民族思想・民族美術・そして民族技術が民族独自文化の全体を成す要素であって、逆に普遍文化も普遍思想・普遍美術・普遍技術の別科から総合して説明できる。民族技術は、多くの場合普遍技術の補助的役割を施すに過ぎないから、あえて注目しなかった。

 そして普遍文化というものにとって、最も重要なのはこのうちの技術である。普遍的技術こそ、全ての民族が追求しなければならない要素であり、変えていかなければならない要素なのである。

 技術とは、物理的な手段それ自体か、その知識の体系・或いは物品そのものであると考えられたい。技術は効率性を求める。技術が発達するというのは、生活を便利にする、或いは快楽化するということである。暮らしが不便より便利が良いのは人類共通のことである。不快や苦痛、苦労の少ない方へ、快い方向へ進むという意志を人は生まれながらに持っている。これは、より根源的には死より生を優先するという意志の延長にあると考えられる。また、技術を高度化させる際、安全性の追求もここに含められる。二つの意志はしばしば実際に矛盾するが、この葛藤に磨かれたものがよりよい技術をまた生み出してゆく。

 さて、かかる技術という要素は、民族を比較する上である種の絶対値となる。技術が進んでいるほうが、技術が遅れている国よりも有利に立つ。ここには、優劣の序列がはっきりと姿を現す。なぜか。実際、例えば戦争において、鉄砲は弓矢より協力であるからである。歩兵だけの軍は、馬という技術を持った集団より弱い。強弱が具体的に現れる状況では、この差は判然とするが、例えば文字という技術を持っていた場合、持たない民族に比べて格段に情報の伝達や保存の効率が上がり、国内統治の体制にも決定的な影響を与える。そのほか、暦法なり、農業、冶金、建築、掘削、陶器、貨幣、医術、数学など、いくらでも民族間の強弱に影響を与える要素が挙げられる。電気ガス水道などの設備、交通設備などの文明的設備無しには、それらを備えた土地からの経済的恩恵を被る諸民族には決して太刀打ちできない。
 また、一部の美術もここに含めて考えることができる。彫刻や、絵画などの技法は、昔我が国にはなかった。後に外国からもたらされたあとで発展し、後に美術的に国粋的なものを表現するに十分なものとなった。漢画の影響が大きいやまと絵は、我々に示唆を与えてくれる重要な例の一つである。それら絵画の技術は、多くがシナに影響されたものであったが、いつしかそれは日本の山河を描くようになり、それは独特の文様美を讃えるに発展したのである。民族独自思想の倫理に許され、民族独自美術の洗礼を受ければ、その技術は国粋的なものとして受け入れることが出来るのである。

 さて、ここに一つ主張したい。まずこの質問が重要である。相手の民族と比べて、我々が技術的に劣っている場合、我々は何をするべきであろうか。我々の見解は決している。一体誰が技術を拒むだろうか。我が民族の美術が発展することをよろこばぬ理由が何かあるだろうか。我々は、相手が技術的に優れている場合、これをよろこんで受け入れなければならない。取り入れることは全然悪いことではない。技術は普遍的なのだから、そのままではどこかの文化に所属しない。どの民族の構成員の手によったところで、擦れたマッチは発火するのである。誰の口に入ったところで、黴菌は病気をもたらすのである。だが、相手の文化全体を奉じたのでは全然本末転倒である。我々は、相手の持つ優れたものに関して、彼らの倫理や美術意識をそぎ落とし、純粋な技術のみを輸入する必要があるのである。
 しかも、普遍技術をそのまま取り入れたのではつまらない。我々は文化国粋主義者である。その取り込んだものを民族独自思想と民族独自美術から、民族的にしなければならない。我々は進んで文化を輸入するが、そこでその文化を我々の価値観と美学の中で再構成するのである。したがって、その形式による限り、文化の輸入は、民族の純粋性には何ら差し障り無いのである。

 この視点が、歴史を糾弾する手法ともなる。我々は技術を取り入れなければならない。取り入れるのは、あくまで技術にとどめられなくてはならなかった。
 我が国において、文字は、最初漢字が取り入れられたという。情報の発展には文字は不可欠であった。文字は技術であった。しかしこの文字は、日本語を書き表すには大変不便で、だんだんにわが先祖は独自の音標文字を形成した。まさしく、独自文化化の過程である。かな文字の発明によって、日本語は自然な形で表記されることとなった。しかしながら、漢字は古代シナ語に由来するそれ特有の読み方を日本語の語彙として輸入した。これを我が国の民族独自文化とはいえない。明らかに違う言語体系の輸入であるからだ。文化国粋主義は、かかる必要以外の輸入を嫌う。その物事の代わりになるものが、既にわが民族にある場合である。漢語はやまと語と同じく一言語体系である。仏教は神道と同じく一宗教体系である。唐画はやまと絵と同じく一絵画体系である。だから、我々はその外国性に関して確信を持って排他的なのである。

 我々は、輸入を拒むものでは全然無い。しかもその輸入が、外国に影響されたことであって全然よいが、あくまでも、その反応には主体性がなければならないのだ。つまり、これらの変革でさえ、我々は民族の外からではなく、本質的には内側から起こる、或いは起こすべき現象としなければならない。こうすることによって、我々の改革は民族文化の二重の影響の下にまとめられるところとなる。優れた普遍技術は、独自思想にもし許されれば、独自美術の装飾を施し、我が国に輸入するべきである。このようにして、過去に清算を求め、未来に意志を強めれば、民族の国粋化は最もよいあり方で進展するに違いない。

 これ以降考えていきたいことは、我々が歴史を想定する手法である。これにはまず、説明を施す必要がある。
 だが、これにも段階を要する。今回はまず、前回までの二つの文化に関して行える注釈を出し尽くしたい。

 民族独自文化と普遍文化については、既にお目に触れた次第である。そして、ここではこれらの概念についてことわらなければならない。
 我が国の文化のうち、例えばある事象を取り出すとする。この際、私の考えでは、物品或いは事象それ自体が我が国にとって普遍であるか民族独自であるのかを問うものではない。更には、民族独自文化の純粋なものを形にして見出そうとすれば、ある部分に関してはそうとはいえまいが、その特例を除いてほとんど不可能と考えている。このような考え方自体、誤りであるといわなければならない。

 では、どのように考えることが正しいといえるだろうか。私の考えはこうである。ある事物は基本的に、普遍文化的側面と、民族独自的文化の側面の両方を備えているのである。

 我が民族の歴史上、文字は輸入されたのであるといわれる。この際、輸入された漢字と、その派生物である仮名文字について考えたい。両者とも、この普遍文化の側面では、ひとまず同一の項目にあるといってよい。ここには若干の含みを持たせておくが、これは今は取り上げない。文字というものは、つまり表記の手段で、この有無は情報の伝達や保存の能力に絶対的影響を与える。
 そして、同時にその二つは民族独自文化の面で異なった所属関係にある。漢字はその字のとおり支那文字のことである。一方、それとは全く異なった言語体系の下に組み込まれた仮名文字は、つまりやまとことば専属の表記体系として定着した文字である。よく仮名文字は、漢字の草書から生まれたといわれるが、それはあくまで文字の歴史上の親子関係であって、派生して別個にある以上違う文字体系である。これは言語の相対主義的な立場であるが、異なった言語体系を表記していれば、全く同じ形の、そして全く同じ意味或いは発音の文字でも、違う文字とみなせる。例えば、誰かが「ふく」と書いても、それが日本語の筆記体系とみなされる限り、もとは「不」と「久」の草書の連続であるこの文字列を、そうとはみなさない。したがってこれを、「フキュウ」とか「ヒサシカラズ」等とは全然読まない。この状態は、つまり仮名文字は、日本語に所属するということを示すのである。

 民族独自文化とは、多くの場合そのように、普遍文化の核を覆う付属的な要素である。


 ところで、順序が逆転したが、以下のことを心に留めて置かれたい。ここで、なぜ民族独自文化と普遍文化とは、かくも明確に区別されなければならないのかを説明いたしたい。
 じつは普遍文化とは、あらゆる民族が、その保持を歴史上いつかに予定されている、文化的項目のこととみなせるからである。

 回りくどい説明となるかもしれないが、私は、普遍文化とは、万人が何かを成しうるために、どうしても、しなければならないことであり、ほとんど技術ということであると説いている。例えば、生きていくのに食料と水がなければならないのは、民族間の違いなど存在せず、したがって人口をある程度恣意的に統制しようと思えば、農業や牧畜ということはどうしても必要なことである。
 ここで重要なのは、この農業というものは、環境的な要因、或いは熾烈な民族間の闘争があったとき、この有無が決定的な優劣を生み出すことになるということである。

 そして、我々はこのように考えなければならない。農業はやがて、世界に広まることが約束されているのである。
 これは、例に挙げたのが農業であったというだけであって、この考え方は他の全ての普遍技術に当てはまると考えなければならない。なぜかといえば、普遍的なものを獲得したある民族が有力になったとすれば、その影響が近隣に及び、その範囲が徐々に拡大してゆき、しまいには世界中に浸透しきるのは時間の問題であるといえるからである。もしこれを受け入れない民族が出れば、彼らはいずれ淘汰される。つまり、存在の継続を期する限りにおいて、そのような技術の重大なる必要性は、万邦共通である。

 ここまでは仮想的な分析であるが、ここから先は主張である。世界には、滅んでも良い民族など存在しない。とすれば、技術は全ての民族が取り入れなければならないことになる。だから、私の考えでは、後々取り入れるべき、存在効率をあげる要素たる文化があれば、なんとしてもこれを取り入れなければならないということになるのである。
 普遍文化とは、そのような宿命を背負った文化的要素である。我々はもはや、普遍文化に属する全ての文化的項目について、その有無によって民族の優劣を論うことを悪しとしない。技術的に劣っている民族は劣っているのだ。したがって、全ての民族は、普遍文化の側面から見て同等の段階あるいは水準にある必要がある。技術は、絶対軸なのである。
 しかし民族において、技術の優劣を論うとき、これを価値観とはしない。技術自体に価値はない。技術水準によって民族の価値や存在の意義が争われてはならない。技術を取り入れるのは必然であって、今持たざる民族は将来必ずこれをもたなければならないのである。それは予定されている。全ての民族にそれが等しいから、全ての民族は、技術的に同じ条件にたっている。

 一方、独自文化とは、争えない文化のことといってよいだろう。民族的とみなされる美術的指向は、或いは伝説は、そして言語は、その体系自体に価値があり、この該当する範囲がそのまま民族独自文化であるとみなすべきなのである。
 民族はそれぞれ、その独自な、文化の軸を持っていて、それらは絶対的な価値がある。そして、それらは各々のうちにおいて、平等である見なさなければならないと考える。

 前回、我々が歴史を想定する手法を説明したいといった。
 前回は民族独自文化と普遍文化について踏み込んだが、もう一つ、重要な説明の必要が残されている。それは、歴史を想定する手法自体は、何の必要性を持つのかということである。今回は、その説明を終えなければならない。

 我々は前回、このように考えた。普遍文化は、生存に必要な技術を中心としたもので、あらゆる民族が保持を予定されているから、その有無で民族の価値や意義が争われてはならない。一方、民族独自文化は生存に直接必要ないものを中心としており、それらの体系としての民族は平等で絶対的な価値がある。
 今回の思想も、この結論から始めなければならない。

 上記の要点を、もっと簡素にまとめることができる。それはほとんど次のようなことである。つまり、民族というものを見るとき、技術は必要で争われるが価値とはならず、文化は必要でなく争われないが価値となると説いている。この説明こそが、まさにこの思想の根幹なのである。この主張が説明されたからには、我々はまた、当初の目的を想起せねばならない。

 一体、我々に迫られた必要というものとは、「〇二、民族の純粋性を求める意志のもとに、」という項で説明したとおりである。これを振り返ってみようではないか。我々はその思考から、かかる結論を導き出したのである。すなわち、我々は、文化の真の姿があるとして、その実態を探る。偽の文化、つまり異文化を包摂した事実を発見次第、その要素は排除する。そういうことであった。

 ついで、「〇三、風習・論理と独自美術とからなる民族独自文化を、発展させる目的を持ち、」という項では、真の文化とは、民族独自文化のことであるという規定をした。

 そして、「〇四、技術が普遍的であることを認め、」では、我々にとって望ましいのは、高度で純粋な普遍文化を、民族独自文化を保ちつつ、受け入れる体制であるといった。

 このように見ると、次第に、我々は進むべき方向が決められることになる。我々には以下のような歴史観が許されるのではなかろうか。そもそも我々は、民族を一貫する真の文化を求めてきた。歴史上起こされてきた多くの文化汚染は、後々の世にも、我々のように、それを嘆く声が出ることは予定されていた。しかれば、歴史の始めからそのような思想・価値観があればよかったと考える。そして、他者の強制にも会うことなくすごせて来れれば最もよかったのであって、民族に文化的汚染のある限り、どのような経緯を踏もうと、最終的に民族主義者がそのように考えるのは、当然である。

 また、歴史上一度も他者からの強制がなかった、或いは自主的に文化汚染したということがなかった民族は、どのような歴史であっても、おそらくほとんどありえない。されば、このような思想はつまり予定されていたのであって、我々の見解では、この思想全体を普遍思想の一種であると捉えられる。文化国粋主義は、どのような歴史であろうと社会状況であろうとも、いずれ世界に登場したと、我々自身が捉えることができる。文化国粋思想は、一種の普遍文化である。

 もし我々民族が、当初から民族の純粋性を守る志向であったと仮定し、しかもその考え方でうまく歴史してきたということになれば、いかがだろうか。果たして、それより民族主義を万全にあらしむる状況が他に考えうるだろうか。全ての民族が全ての民族に影響してきた歴史は、いつの日か、必ず文化国粋主義的に価値判断される秋が来るのだ。我々にそれが始まる。その主体が民族を相対的に捕らえる限り、全ての民族が志向するのは一つの方向でしかないのだ。
 文化国粋主義は、歴史を反省する。民族が汚染された現実よりも、汚染されなかった歴史仮想のほうが価値があるとみなされる。そのように全く新しい思想が、現実に影響しようとする意志が生まれる。それが、場合によっては殆ど捏造であったとしても、我々は真実に幻滅させられるより、よほど良い世界観を手にしたと実感することになるだろう。

 〇五、民族独自文化の万物諸事の基点を、諸外国の影響の無い伝説時代に求め、

 ここに来て、一つの肝心に触れなければならない。民族独自文化とは、歴史上どこにその純粋な姿を見出せるのか。その説明がまだである。民族独自文化の具体的な姿について言及するには、そもそもの姿が一体何であって、どこに見て取れるかという議論は欠かせない。今回は、民族独自文化の基点の設定を思考する。

 民族独自文化は、これまで説明してきたとおり、民族の独自なる文化そのものではない。外来の美術或いは倫理などの文化に起源するものは、結局我が民族のものでないと説いた。我々は自らのうちに、頑固な排他性を認める必要がある。
 しかしながら、この考察全体を始めるにあたって、我々には輸入に頼った文化しか持たないのではないかという疑念のあることを述べた。これらに対する反論を確たるものとするためには、民族独自文化の説明は、遂には補完されなければならない。

 きわめて簡素な議論により、以下のことは自明ととらえられる。すなわち、民族独自文化の基点とは、その純粋な姿による。それは自立的にまず純粋であり、すなわち他の民族の影響を受けない。文化国粋主義の理想にとって、この条件は正当たる。
 もしある時代において、その社会の凡そ全てが純粋なものであるということがあるとすれば、我々の理想はかの時代に対して惜しみない憧憬の感情を抱かなければならない。そしてそのある時代とは、道理からして言えば、他の民族文化の影響を受けない、あるいは微々たる波及しかない時代ということになる。

 然るに、事物を個別に見るうえでは、この際我々のとるべき手法は次のごとくなる。つまり、現存のある事物を、普遍文化として見て、その歴史をたどるという過程である。最初に遡って、一体どういうものであったかを究めた上で、民族独自文化としての純粋な姿を割り出す方法とするべきである。

 ところで、ここではある事物に関して、普遍文化としての面と、民族所属文化としての面をとらえなくてはならない。この説明の折、前者を普遍枠、後者を民族態としたい。民族態の民族独自文化としての真の姿は何かを、ここで規定するのである。

 さて、その思考の上で重要なのは、我々の歴史認識である。我々が選ぶべき歴史に関して、重要な補足が二つある。一つには、科学という思想体系の認識を全然否定すること。二つめに、民族に数ある伝説的歴史のうち、我々が採るのは唯一つ、正統な神話、つまり、民族の権威の頂点たる伝説の認識であることだ。

 一般的にいう科学的或いは客観的な認識の体系をたどれば、進化論或いは唯物論の諸理論によって歴史を解釈しなければなるまいが、そのようにすれば根源的には我々には原点とするべき姿が、人間でなかったころに遡るのであって、民族独自文化どころではない。そのような歴史観或いは歴史は抹消されなければならない。

 本来、歴史はさまざまな説があり、歴史観も一定ではなかった。科学以外の認識を引き合いに出すことになったが、科学は数ある見解のうち一つにすぎず、他の認識が全て神話伝説と表現されているにもかかわらず、相互に全く異なる。
 このさまざまな見解とは、例えば創唱宗教の世界観や世界像であり、或いはその影響を被る前の各民族のそれである。

 では、我々の遡るべき歴史とは、いかにして選ばれるべきだろうか。
 ここに我々の目的を省みれば、すなわち我々の純粋性と独立性であった。我々は、価値認識を含める全ての文化体系が、他者のそれから独立して純粋な姿でいることを望むのである。
 しかれば、選択の指針は明らかである。こう考えていただきたい。それを信じることによって、我が民族の絶対的価値意識の体系を含める、全ての普遍文化以外の文化体系が、全く他の民族から独立しているということになるもののみが、我々を満足させるのである。
 キリスト教では唯一神は、つまりヘブライ民族を創りそれを未来助けると約束した存在のことであるが、わが民族に価値を与えなかった存在を、我々は認知しない。イスラームでは、同じ神がアラブ人の言葉を選んだとされるが、なお我々には関係ない。また、輪廻からの解脱を説いた神々が仮面をかぶり、我が国の神として天地を作ったという本地垂迹論などもあるが、つまり主体はガウタマ・シッダールタと同じ価値認識の体系に属する存在であるという考え方であって、わが民族はその付属物に過ぎないことになる。

 正統な神話、つまり、民族の権威の頂点たる伝説の認識は、以上の思考を以て導かれる。我々は、わが民族と最初から密接に関わりあう神々を選ぶ。しかも、その神々が民族の純粋な姿を決定したと考える。わが民族の神話は、こうして、わが民族の正統として迎え入れられなければならない。

 ここで、我々の立場が明らかになった。わが民族の世界像は、神話に基づく。そして、神に作られ、外国の影響を被らなかった時代にあったものが、第一義的には民族独自文化の基点なのである。平たく言えば、あるものにとって、神代にあったものが、その純粋な姿であるということである。これらは普遍文化としては拙かった筈である。だがこの改善を期しても、その民族態に関しては、やはり価値があるとしなければならない。

 なお、これをどの資料から採るかということに関して断るが、外国の影響を被る前に、この世界像の純粋な姿を伝える古典があれば、わが民族の純粋はまさにそこにあるといってよい。だが、残念ながら我が国の権威には、今のところ大いに外国の影響あるものしか残されていないとされる。記紀は、支那朝鮮やそのほかの文化を被っている。だが、権威に伝えられるところでは、これ以上遡れるものはない。つまり、これらはわかっている現段階での仮定にしか過ぎないのであって、わが民族の正統なる基点は、最も純粋なる記録が発見されるに至るまで、真相は定かとはいえない。
 しかしながら、神話はそれ以上遡ることはない。この時代に起点さえ設定できれば、その具体的容姿はともあれ、その技術枠がわが民族の純粋としてあったのは間違いない。

 もう二つ規定がなければならない。まずは、先行する民族態の優先である。

 その普遍枠が、民族の始原からあったのであれば、その民族態は純粋なものといってよいのに対し、後に外国から来たものであったとき、どうしても外国の影響を免れないという可能性もある。ある普遍枠を考えるとき、以前これを取り込むのは自明と説いたが、外国伝来の民族態に先行して、我が国にもともと民族態のあったとき、そちらが民族独自文化にとってより純粋、より正統と設定されるべきである。
 具体的には、もし我が民族言語を示す、漢字かそれ由来以外の文字がそれ以前の遺物から発見された場合、仮名文字の民族態と比較して、かの文字のほうが断然純粋な民族態となる。しかも、神話にそれがあったことになれば、相対的に比較するより、まず絶対的に純粋であるという規定がともなうこととなる。神話に起源すると言うことは、そのような論理から重要である。

 もう一つには、神話によらずとも、あとから民族内に生まれたものである。その場合、それがまさに民族独自なものであることによって、その価値を認めることができるのである。願わくばその民族態が、これまでの体系に属するものとしてあることである。しかればその技術枠は、完全に民族独自文化となってわが民族に迎えられることになるのである。

前回までの要点として、ここでは以下のことを取り上げる。文化国粋主義は、民族が汚染された現実よりも、汚染されなかったとする歴史仮想のほうが価値があるとみなされる。そのように全く新しい思想が、現実に影響しようとする意志をもつ。そして、我々は正統なる神話に起源し、万事万物の民族態は、その最も純粋な姿をその時代に求めることができると説いた。

 かかる流れを引き継いで、果たして次の段階で問わなくてはならないこととは、この純粋なる民族態の本質をそのままに、いかにして技術枠のみの更新を期することができるかということである。この意志こそが、保守或いは革新といった、既存の単純な思想分類に対して、独立した立場と見解を保持しうる所以である。

 〇六、今日の万物が出来上がった現実の過程から、諸外国の影響が全い状態が連続した過程、つまり、単に技術的な水準が上がる過程を想定し、現代の技術段階における、万物の適切なあり方を想定し、

 普遍文化とは、大体効率をあげる手段としての技術が主体であるといえる。これは普遍文化とし、しかもその存在は各民族に予定されているのだと説いた。そして、我々は具体的な技術の形式を普遍枠という単位でとらえた。ある事物は、この基盤に民族態を当てはめることによって成り立っている。

 以下に続く我々の主張では、端的には次の認識がその核心となっている。つまり普遍枠は更新される。
 技術的に高度な水準・諸業の効率化を追求するという人類普遍の志向を考えると、事物は常に改良・革新が試みられるという想定ができる。民族態は、その民族固有のものであることによって、少なくとも概念上、根源まで続く正統の道程を経て今を重ねるのである。ゆえにこれは、容姿はどうあれ不変である。ところが普遍枠は、常に改良されている方が望ましいといわなければならない。技術的格差を避けるためには、民族は、他者と一定の競争を行わなくてはならない。したがって少なくとも社会の政治的中心は、認知しうる諸外国の程度にあわせて技術的に高度な水準を絶えず追求する必要がある。そのような発想が確立されていることが望ましい。

 さて、最初我々の志向は、歴史の誤りを正すということをも視野に入れた。それはまさに、この論理を歴史観とするに至る伏線であったことを打ち明けたい。

 我々は、もはや守るべきものと受け入れるものとを抽象的に分類することに成功したつもりでいる。大体において、これは輸入の方法であるといえる。あえて言及するなら、歴史はこのように運行しなければならなかった。
 すなわち、わが民族に関する事物一つ一つは、一貫してわが民族の民族態を保持していなければならなかったのであって、一方ではそれらは、普遍枠としては技術的に暫時改良されていなければならないのであった。

 例えば言語に関して、それが守られていればどうであったろうか。遠く古代においては民族に独自に文字があったれば、また現代においては、わが民族の言語を基礎とした電気信号の言語体系が規格化されていたということになるのである。

 歴史の根源にある神話や、その他の我々の目的意識は絶対であるとした。ゆえに、例えば我々は外来宗教をことごとく邪教としなければならない。だが、わが宗教は死後の世界や世界観を仏教や儒教ほどには詳細に思考した形跡が残っていないため、必然として世界観の大きい異教にあいまいな形で取り込まれてしまう目にもあっていた。神学は当時、もっと重要とみなされなければならなかったのである。これも普遍枠の更新に類するとみなせる。

 また外来の技術枠を、わが民族の民族態と結び付けられれば、ある程度の輸入の原則とすることができる。美術においては意匠、和風にすることを尊ぶ。明治維新は、西ローマ諸外国から彼のさまざまな民族態を取り入れ、しかもそれが西ローマという統一されたそれと受け止められ、わが民族態が無視されるという事態に及んだ。いくつかの意味において、これは反省しなければならない。実際には、理想は技術枠のみの輸入であり、民族態による再解釈であったのだ。

 あるいは、現在外国から寄せられた事物の技術枠に当たる何かがなかったとしても、過去に遡って当てはめられる例は見過ごされるべきでない。この際、先行する民族の技術枠とするには、直接その形をしていなくとも、その一段階前のものも有効である。
 個々には、そのように輸入の際に心がける必要がある。だが、留意されなくてはならない件もある。その先にも思索を進めたい。

 我々の美術或いは精神的に純粋なものが、輸入の際にそうして徹底される必要があった。とはいっても、現に輸入が必要となるものは、我が国の技術枠の現状に比してかなり進んだものとしてとらえられることが多い。加えて民族態を当てはめようとする際、技術枠が似ている何かであれば、選択に差しさわりが少なくなることを考慮する上では、一見しただけでは全然前例がなさそうなものもある。
 その際、思考の手助けとするために、以下の指針は重要とみなされたい。相手の事物をその初期にまで遡って、原型を探ればよいのである。彼にわが民族態の体系から掘り下げた具体的な姿を当てはめる必要である。

 西ローマの宮廷音楽が我が国に入るや否や、その愛好家は電光石火の勢いでわが民族に増していった。結果として、我が国のそれまでの音楽や楽器が全く省みられることなく、我が国の音楽の新たな基点として彼らが定着してしまっているのは、文化国粋主義の立場からはきわめて遺憾であるといわねばなるまい。あまりにも大きな技術格差を目の当たりにすると、それは何か絶対的な差であるかのように感じられることはよくあることである。ところが、例えば管楽器は凡そ牛や羊の角をくりぬいた単純な祖形を復元でき、しかも我が民族は伝統的にほら貝や笛を嘯いていたのであったから、彼我の差は発想の有無という絶大なところには至っていなかったのである。
 ピアノは縦琴が原型になっている。そのため、これを後に模した大正琴のような楽器が生まれていることからも、この発展の可能性はまだあると見なければならない。それらの意見や発想の強調に、我々は取り組む必要がある。

 つまりは、このような方法で事物は輸入されなくてはならない。わが民族にあった何かが独自に技術的に進展した際に、それがいかにして生まれたかという想像である。そのような構想を、彼に当てはめることによって、その普遍枠の、わが民族のうちにおける装いが想定できるのである。

 〇七、これを万物の、現代における本来のあり方と認識し、現実の万物をそのように改める。

 以上によって、我々は、わが民族の正統なる民族態と普遍枠の向上とをはかったとする仮想世界を想定し、これを過去・現代・未来における本来のあり方と見て、現実をそこに近づけることを目的とする。

 つまり、我々はもう一つの世界を作り上げる必要がある。例えば、それはこのような世界である。

 もしも仏教や儒教が参考にされて、神道に重大な神学的発展がなされていたらどうであったか。
 或いは、我が国に、記紀以前の、遡っては漢字以前の固有な文字体系による純粋なる古典が存在したらいかがであったか。これが我々の理想であった。我々はかかる思考を、今わが民族に関係するあらゆる文化に当てはめなければならない。

 産業革命が西ローマに先行して本邦に起こっていたら。また、遡って大航海時代が、本邦の諸藩によって起こされていたら。
 我々は西ローマ帝国文化圏に取り囲まれ、それを気にとめようともしない。それらが全て技術的な革新、つまり普遍文化の更新を飛躍させた彼らの偶発的な成功にすぎないのだとすれば、今日我々が、彼らの服装で全然違和感を感じないのと同じように、彼らが我々の服装を発展させてファッション文化をにぎわせていたとしても何の不思議でもなかったはずである。

 歴史など偶然の積み重なりに過ぎない。そこには経緯があっただけであって、決して意義があったのではない。
 然り、我々が西ローマ帝国内の伝統を国際法として受け継ぎ、ヘブライ神話の焼き直しに起こる権威平等思想を仰ぎ、フランク人その他の民族衣装を以て服装の淵源としなければならない意義など、どこにもありはしない。もしそれらが全てわが民族のうちにおいて行われていたとしたら、それに勝る正統性が、すなわち意義が、果たしてあっただろうか。

 これらは空しい、虚構によった仮想にすぎないかもしれない。だが、もし我々が成功するとき、それは現実のほうが大切であるとする全ての人々に、我々の理想を遂行させることになるのである。

 以上で、基礎となる主義の論理は完成したとする。これまでご覧くださった方には篤く御礼申し上げます。
 なお次回以降は、この主義思想の補足的な事項をお送りする次第である。


■■補足一

 補足一についての説明は、実に我々の目的と、そしてある程度の手段への言及とが主たるものとなる。だから、この論旨に至る前には、どうしても事実関係の基礎的な見解について触れておかなければならない。

 これまでに、我々の文化国粋派伝統主義的な立場を説明するに当たって、以下のことを説いた。すなわち、わが民族に関する事物のことごとくを、わが民族態に当てはめよという主張である。すなわちこれはこの立場の根幹的主張であって、その中にあっては国家国体は、守らなければならない民族固有文化の一部でしかない。ここから、この議論を始めようと思う。

 わがオオヤシマ民族は、現在までに独立した民族主体的な経済及び政治的基盤を維持しえており、多少の少数民族を含む社会全体を、外見上ほとんど単一民族にみえるまでの画一化と平均化に成功している。具体的には、オオヤシマ民族の正統な領地とオオヤシマ化された植民地とを合わせた領域が、全く日本語圏と合致し、国家権力が民兵組織や宗教団体によって阻害される地域がなく、通貨は一元的で、情報は全土に共有され、目だった民族闘争が無い。社会的にかなり統合され均質である。

 さて、この社会にあって、我々伝統主義或いは民族主義的な政治的立場はどうであったろうか。それに答える私の認知が、以下のごとくである。
 まず主張に至らない、庶民的感覚として、戦前までに基礎的な教育を終えた世代は、我々の政治理念に近いものが多い。そして、戦後教育を受けた世代を皮切りに、新世代をたどるにつれ、だんだん感覚的に反対派が多くなっている。今日、二十歳代の青年層の一般的な意見では、体系化した思想として社会問題への関心や政治理念を持っている者は極めて少なく、感覚的な形で、天皇や国家への否定的な見方が意見としてよく聞かれる。
 主張としての伝統主義或いは国家・民族主義に関しては、世代を通じて一般とは異なる社会を形成してきた。つまり、我々のごときいわゆるウヨクは、一貫して独自社会への形成に邁進し、冷戦構造の社会規模でのイデオロギー的対立において、一定の力を持っていたが、社会が政治理念そのものに関心を持たなくなり、また感覚的に反権力志向になるにつれて、次第に社会全体への影響力を失った。

 一方、我々との対立を顕著にしていた、共産主義、市民社会派、或いは個人主義派といういわゆるサヨク勢力のイデオローグたちは、これとは正反対の道をたどっている。我々の政治意見に対する関心が、新世代を中心に社会からほぼ完全に除外されるに至るまでに、彼らはその層の関心を一手に担い、今日に至っている。

 彼われの差について、私は以下のような見解を持っている。
 一点めに、彼らは冷戦構造が始まる以前から、世界中の学術界の権威を手にしており、我が国もその例に漏れなかった。そればかりか、我が国では占領軍の政策により我々伝統派の学者を学会から締め出したため、この傾向が顕著である。現在ではサヨク的学説及びそれにともなう風潮は断然圧倒的である。我々は、その間民間に広く知れ渡った著名人としてはほとんどが実業家や政治家しか輩出できず、最も権威と捕らえられやすい学術界を手付かずの領域として残していた。
 二点目に、彼らは新世代を中心とした民衆の政治的無関心を認識し、民衆に対して明確に政治的な主張を控え、感覚的な刷り込みを試みた。これは成功を奏し、民衆の大部分を感覚的にサヨク的な志向にせしめている。一方我々の主流派は、民衆の政治的無関心を認知せず、また直接的行動と街頭演説などを続けた。これは人員の補充に暫時成功を収め、ウヨクという社会を今日に至るまで維持しえている。

 以上を換言するに、つまり現在までにサヨクは、権威と情報媒体とを駆使して社会の大部分を感覚的に自分たちの政治思想に取り込み、一方我々は、一貫して政治的主張のもとに反感覚的な少数派の社会を独自に形成し、我々の政治的主張をその社会の中で維持するシステムを作り上げたのである。
 すなわち、同じものを社会一般の視点からみれば、前者の情報媒体におけるさまざまな宣伝は、社会一般の感覚の高尚な次元における発露である。彼らは社会全体の一部として認識される。それに対して、後者の街宣活動は、異様で反社会的な何かであり、若年層から見れば高尚なことを語っている近寄りがたい集団であり、更に年齢が上になれば、やくざと関係している近寄りがたい集団か何かである。
 つまるところ、政治的及び感覚的なサヨクは社会全体であり、政治的及び感覚的なウヨクは社会のごく少数である。

 この二つは、その目的において当初から違っていたとみなさなくてはならない。彼らは、おそらくお互いに成功した結果である。一方は社会の大多数に媚び、操作しようとした結果であり、一方は社会一般よりも上にあって、素質ある者を説得しようと望んだ結果である。

 これらの認識が、これから説明する論理の前提となる。

 我々は、文化国粋主義の理想について、次のように考える。

 〇八、社会のありとあらゆる事象を族粋化することを目的にするため、

 すなわち、私は民族の構成員あるいは事物全体を余すところなく文化国粋的立場にせしむることを望んでいる。大隈から陸奥まで、大君から物の怪まで、学術書からエロ本まで、言語から動作まで。最終的にはそのように、我々民族の社会にありうるものは、基本的に全てがわが民族の民族態を表現できなければならない。

 これは何しろ、社会の全体を回帰の対象にしようとする点で、既存の伝統主義的な立場とは全く違っている。既存の活動は、その目的にしては天皇と国体の死守であり、社会体制と一部の信仰とそれに近い文化に限られていたと思われる。だが、これを完璧にする意図をもってさえ、文化全体の民族主義はなお重要であるとみなされるべきである。我々は宗教を侵され、服装を異国風に改め、町を作り変え、この妥協を許すというのであれば、いずれは言語、やがては帝政も危うくなるのも時間の問題であるように感じられるからである。

 天皇を最後の牙城とした三島氏の文化防衛論は、その名の通り専守防衛の思想に過ぎない。我々が想定するような、感覚的で民族的な文化は流動を常態とするから、文化の保守は再生産であり続けなければならないのだが、その裾野が全部取り払われてしまったとき、果たして最後の牙城は強大な敵の目前に立ち向かわなければならなくなるのである。いったい、そこに至るまで何故ほうっておく必要があるのだろうか。

 また、私は社会秩序一般に関してそのような了解を得たいのではなくて、民族が参加するもの全てを有機的に民族的にしたいと欲している。学校教育で許されて、反学校組織的集団の間では許されないというのでは、善悪の体系を手中に収めたとはいえない。我々はあくまで全体を望む。

 社会全体をこのように変えることで、そうでないことを異端とできれば、我々の志向は社会全体の共通規範となるだろう。われわれは、全体を普通足らしめるのである。

 前回明らかにした我々の国粋化の目的と対象は、実に社会の全てであると言った。例えば大隈から陸奥まで、大君から物の怪まで、学術書からエロ本まで、言語から動作までと表した。
 これは簡潔にして、最も本質的革新的な表現であり、これに変えられる程端的な換言は他に望めまいと感じる。
 しかしながら、これは既存の主流路線とはあまりにも遠くかけ離れたものであり、実際には、部分要素の似た全く新しい思想であるといっても差し支えないとさえ自負するところがある。この説明を兼ね、この方法論全体の十分な情報に勤めるべく、話を進めたい。
 今回すすめたい話の中心は、昨今の青少年の天皇観についてである。

 先に述べておきたいことがある。文化国粋主義は、天皇に対して積極的であるが、もしこれを切り捨てたとしても、思想の大概は成り立つものである。
 不敬を表明しているのだといわれればそれも肯う。しかしそうより、これは警告であるとみなされたい。

 別の項から述べた現実社会の認識について、ここに改めて協調したいことがある。現在の二十歳代の青年層の一般的な意見では、体系化した思想として社会問題への関心や政治理念を持っている者は極めて少なく、しかし感覚的な形で、天皇や国家への否定的な見方が意見としてよく聞かれる。かろうじてそのような認識を口にする機会があるのはもっぱら男性に限られるが、青年も少年も天皇を何か社会的な必要悪であるか、それとも腫れ物であるかのような言いぐさをする。少なくとも、ペテン師やこっけいな何かであるという言説がはばかることなく話題に上がるなか、結局彼らの中で、その畏敬を共鳴させるような会話はきわめて不自然となった。

 まず、これは都市部の特徴であるが、都市部以外の人口は微々たるし、無視して差し支えない。それから政治的な思想ではないといったが、この感情は、しかし政治的に関心の赴くところはもはや決定しているため、どこを境にするべきかは決めかねる次第である。さらに、最近これ以降の世代で、国防やある種の文化論などの外面的な愛国志向が高ぶっているのは実感あるところであるが、例えば天皇に対しての評価が高まったかというと、それは頗る怪しいとみなさなくてはならない。呼ぶに応えた反朝反支の浅はかな排外主義の赴くところ、縁を示して友好を唱えた陛下のお言葉に罵倒したという者などは、おそらく氷山の一角にすぎない。

 この思想は、いわゆる伝統系の思想の中でも、もっとも天皇主義的要素の薄い類に入るものと考える。しかし、卑しくも天皇主義に対して誠意を持つものだから、以下のような認識は適切と主張したい。
 もし彼らが、そのまま政治意志を持つことがあれば、我々は、国民の大半が天皇主義的であるなどという甘い夢に限界があったことを思い知らされよう。仮にそれが現実的な懸念でないと考えられるときでさえ、我々はそのような心配と予防とを心がけなければならない。

 この認識にもっと踏み込めば、都市部の青年少年の社会は、天皇制に反対するという感情を少なからず共有しているように感じる。
私自身経験のあるところであるが、この世代にはある程度、王制に反対する感情と、共和制を賛美する感情とが共有されている。つまり、これは宗教への嫌悪或いは嘲笑と、その信奉者的な王が特権的ブルジョワ階級にしか映らないという知識の欠如とが入り混じった志向である。そして、彼らの目に祖国が映りだしたにもかかわらず、そこには天皇など登場しない。歴史には彼らが何をし、何を考えたのかが載っていない。歴史上の諸人物が、皇室をどう目していたのかもわからない。国体など聞いたこともない。日本が帝国であったなど、嘘としか思えない。ちょうど、戦争をしていた人々が、どう思い、何故死んでいったのか考えたこともないように、彼らは日本が天皇と一心同体であるなどという伝統派の主流の考えが、面白くない冗談のようにしか聞こえないのである。

 もう一方、彼らには郷土が無い。視覚的・感覚的に自分のふるさととして感慨にふけられるような場所は、きわめて個人的な単位にしか残されていない。
 パトリオッティズムがナショナリズムの基礎にすえられなければ政治的均衡感覚は失われるという指摘は鋭いが、いささか遅い。既にその傾向は如実である。都市部一般に暮らす人々には、とくに、未成年の都民、区民などには、共同体はとうに失われている。血縁をたどってどこに家系が行き着くか、考えたことがあればいいほうだろう。そしてその事実を知り、その地の歴史を知り、その地の出身として誇りを持つ段にいたって、凡そそのような逸材は皆無という見当がつく。
 そして、彼らには自然が見えない。どこまでも平坦にコンクリート化が進んだ、無機質で人工的で単色で画一的で平均的な平面空間のなかで、彼らは育ってきた。外で遊ぶといっても、平坦で広大な住宅地の中にある公園には、彼らが冒険できるほど不透明な自然は残されていない。彼らには、純粋な意味で、既存の郷土愛などありえない。

 さて、そんな彼らにあって、テレビや漫画やゲームやパソコンなどのメディアは絶対的な影響力を持つことはいうまでもない。現実が絶望的に無機質でつまらない以上、彼らの関心は、そこにしか向けられなくなるのだ。

 いわゆるオタクは、時代が進むにつれて元来の少数精鋭的な蒐集家ではなく、徐々に家に引きこもりがちで、社交性を持たない多数の青少年たちを指す言葉となった。彼らは趣味を、家の中で全てまかなえるようにした。画一的に、彼らはアニメや漫画、小説その他のとりことなった。一方残りのたくさんの人は、家にいるだけでは収まりきらない、ただし画一的な文化的欲求と性衝動と冒険意欲とをもって、絶対的文化の中心地に繰り出し、帰らない者まででてくる始末である。

 彼らのほとんどは、メディアに動かされている。一朝一夕では世論は生まれないが、それでもメディアが毎日反戦平和を五十年も唱え続けた結果、軍隊がなければ戦争は起こらないという非常識が常識としてまかり通るに至った。これとあわせて、子供たちが教えを受ける教育機関がどのような状態であったかをいまさら書くまでもなかろうが、それではその教えを受けた多くの子供たちがどうなったかはあまり触れられなかったところである。彼らが無神論打倒ブルジョワジーを唱えるマルクス主義的な意思を持って結託し、協力して反天皇を社会的多数にのし上げてきたのであれば、小学生さえ反天皇思想を持つものが多いこの状況も全く頷けるものでしかない。

 挙句、唯一天皇を積極的に唱えるものが、街頭で人に避けられるのをものともせず四六時中わめいている異集団であるとなれば、彼らの志向はもはや決定されたも同然である。彼らが頭を抱える愛国的な反天皇論という問題は、実は彼ら自身その生産体制に組み込まれているということは語るに避けられない。彼らは天皇がいなければ死ぬという者ばかりだろうから、私にはそれが自殺行為にしか見えないといったら果たして言い過ぎかどうか。

 ところが、反天皇にせよ愛国論というものが一部の青少年に盛んになっているのは、彼らがそれを可能と見ることによっている。皇室絶対派の伝統論者は、彼らの思考を拒絶し、理解しようとしないが、その実態は、以下のごときものである。それとは、一つ目に朝支その他に対する反発を本質とするものであり、外交問題、国防問題への積極的関心である。そしてもう一方には、わが民族の文化を主張する傾向も無視できない。つまり、さまざまな美術的要素の和風な側面である。文化国粋主義も、その傾向がある。その多くには、多かれ少なかれ、純粋なる古代という文化意識と、しかも自然との調和というエコロジズムを持っている。

 その目指す原像はどこにあるのだろうか。実は、ここが重要な点なのである。というのも、この日本人的な文化・古代の文化という理想を広めたものは、明らかに漫画・アニメの伝えた世界だからである。
 縄文文化・弥生文化や多民族の古代日本なる空想の考古学学説が、あたかも真理であるかのように捉えられ、そこに天皇が入っていない歴史が情報化され、拡大され、再生産され、また情報化される。そしていつしか、子供たちが目にするアニメや漫画は、ある時代にほとんど統一的な想像世界を共有することになった。そしてその理想世界に触れた少年少女は、いつしかその空想に日本の原風景を覚えるようになるのである。これが陰謀であるとしても、おかしくはない。だがその状態が固定化した以上、もはや陰謀の有無など関係ないのだ。これ以降、アニメの影響はある政治的方向を生じることになる。

 社会全体を教育するなら、最若年を教育すれば良い。いつか社会は、全て彼らに取って代わる。さらに願わくば、彼らがそれを自発的に取り入れるような娯楽的ななにかでなければならない。このようにして現代美術は、おそらくは左派の手によって、我が民族から天皇というものの意義を忘れさせようとしているのである。和風と縄文風は、あくまで美術的要素であって、天皇という政治的な何かがなくても可能な民族主義なのである。
 そのような方向性が徐々に成り立ちつつあることを、我々は気付かなくてはならない。

 さて、ここで社会一般の目から、伝統派社会自体にも注目したい。
 折に触れたとおり、守旧的な民族派や伝統派は、今日社会一般の日常とは完全に異なったところにある。それらは一般の世間から離れた一つの社会を形成している。少数者の、反動的なこの変態集団は、社会一般から嫌われるために物々しい格好をし、大衆の意見と乖離するために演説し、嫌悪の衆目と社会的無視とを省みない。大衆にはそのようにしか映らないし、実際のところ、これは彼ら自身の視点もふくめた客観的認識に他ならない。

 その上重要なことに、これらの異集団が主張する物事は、もちろん彼らとともに悪く見られている。賢いものは彼らと彼らの主張は別のところにあると識別するが、皆が賢者ではもちろんない。社会一般の視野で考えれば、民族派の視点は、まさしく民族派の行動と努力により、社会一般に悪いものとみなされるに至った。当人らの意志はどうあれ、これは核心派・左翼の作り上げたサヨク的な一般社会の中では、戦後民主主義を社会に規範付けるための仮想的として、巨大な社会装置の一環としての機能を十分に発揮しており、自ら少数派を自認するという彼らの反動的行動、反動的言論は、まさに一般社会の支配者の思う壺であったに違いない。

 おそらく彼らは、共同体という社会構造が根付かない都市社会というものを冷静に眺めてみたことがない。多分に考えられるのは、彼ら自身現代的な都市社会の一般意識や多数派の規範を他者のものと感じていることである。村落共同体の出身者は、まれに都市的社会出身者の社会規範を受け入れないことがある。何か頑なな信念があった場合、つまるところ、それが信仰であったり、都市的社会になじまない体質であったり、或いは都市に繰り出した強固な目的であったりした場合、彼が冷静に都市的社会の衆目を省みないのは当然のことである。単純に社会の意識から、都市社会と村落共同体は区別できる。
 すなわち、視野である。商売にせよ宗教活動にせよ、或いは別の何かを働きかけるときも、前者が名も知らぬ顔も知らぬ個人でない大勢の大衆に働きかけることを考えるのに対し、後者は名前と顔を明らかにできる特定の個人を対称に考える分、人数的に制限がある。前者は少数者や彼の特別な事例など省略して考える。後者は一人の聴衆の感化に勤めるが、残り九九人は相互に無視することを許すのである。
 英雄にも政治にも歴史にも国家にも興味を持たない、なんら社会に積極的な問題意識を持たない都市社会の住人が一般化する中で、演説という手段が多数の人をひきつけることはまずありえない。だがこれは都市社会で育った新世代の常識であって、その他少数には認知されなかったのだ。結果として、そのような少数派が演説し、そのような少数派がこれを立って聞くという状況が発生する。これが小社会を形成する循環となる。

 個人には制約がある。指導者は個人とみなされるが、彼が有名になるためには無名で無数の多数が必要になる。
 都市社会には、大衆への宣伝という方法論が確立される。メディアである。メディアが流した情報を疑うのは人口の半数はいまいし、大々的に宣伝されたことが嘘であると気付くものはほとんどいない。
 そして、何よりも直接的行動・身体的積極性を嫌う都市の若者にあっては、彼が社会思想に関心を持ったとき、まず考えるのはこのメディアの影響力である。これは直接に個人に働きかけることなく、個人のいない大衆を一挙に獲得することを常に問題とし、あくまで冷静に、熱狂を嫌う多くのものの支持を集めることができる。

 都市社会固有の人々が、熱狂や共同体主義的な傾向を嫌うのは、村落共同体のものには理解できないかもしれない。だが、彼らに個人的に対話することなく、メディアを通じて理性と感情に思想を呼びかけた小林よしのり氏の成功は、まさにこの点にあるといって良いだろう。彼は個人への呼びかけをしたのではない。読者諸君への呼びかけをしたのである。その結果、冷静な思想を好む都市部の社会問題意識者の支持は彼に集まることとなった。
 そして、都市社会の若年層には潜在的に、彼の支持者が一分いてもおかしくなかろう。だが、彼らが既存路線のウヨクの行動を芳しく思っていないことは明らかである。なんとなれば、現実的に都市社会において我々の主張を貶めるのは、彼らの行動によるところが大きいからである。少なくとも新世代において天皇主義がさんざんないわれようであることに関して、彼らは事態の悪化にしかつとめていない。

 伝統主義者全体にいえることがある。もはや、彼らのような反動派と、我々社会一般への浸透を目指す志向の持ち主とは同じではいられない。どうしたら、この社会を変えていくことができるだろうか。この単純な疑問さえ、守旧的な国体派は今まで考えられなかったのである。
 結局我々は、そもそもがこの視点にたどり着く前に思想的に頓挫している。まさか我々は、社会的に孤立した異集団を養うために、天皇論なり国体論なりを起こしてきたのであろうか。そうではない。守旧派を含め、社会全体を問題意識の対象として、何らかの影響を持ちたいと考えるものは、今や守旧派とは別の立場であることを社会に向けて表明せざるを得ないのだ。

 我々は、社会一般を目指し、都市社会全体を目指し、新世代への浸透を目指し、冷静な思想を目指し、メディアを目指す。それ以外、この閉塞的な状況を打破できる道はないと考える。

 〇九、現代の美術文化における民族性の回復を優先し、

 これまでには、我々伝統主義者が社会的に孤立している状況を説明し、以下の結論を生むに至った。すなわち我々は、社会一般、都市社会、新世代、そして将来的にはメディアの掌握を視野に入れなければならない。

 この方針が定まったところで、もう少し理想的な社会浸透の方法を考えたい。とはいっても、社会構造について説明が大分なされているこの折、われわれは具体的な指針を明らかにして説明を加えることができる。
 その方法は二つである。この社会の権威ととられられる、政治や学術などの体制からの浸透と、民衆の文化的源流である美術的、娯楽的な文化からの浸透である。

 政治と学術に関して、この二つは明確に異なった領域ではあるが、両者は社会的に高尚な権威を持ち合わせており、加えて、過程はどうあれ、この二つの見解は最終的に一致する性質を持っている。もしこの分野に関して我々が影響力を直接行使できるのならば、すなわち社会運動の中枢に我々が入っていけるのであれば、その可能性はきわめて重大な意義を持つ。我々は、まさに社会そのものを我々の政策の俎上に上げることが可能となるからである。
 既存路線は、この分野をほぼ完全に放棄してきた。反対に反伝統主義者はこの分野に逸材を送り込み続けた。今や政策は、文化交雑主義と体制破壊主義を貫く国家解体運動の体系と化した。或いはこれに反対する学者さえ、格差社会を創製する放任経済論者のみである。
 ここに関しては、伝統派は彼らの権威を凌ぐ程の学問的な注目を集めなかったことに関して、反省が要とされる。

 しかしながら、ここでそれよりも強調したいのは、もう一つの権威と中枢である。
 というのも、学術は論理体系を論うが、大衆一般はそのような世界をまた異社会と認識し、関心を強く持たない。そればかりか、一般的にこれらは民衆の意識と乖離し、若年層にいたっては反発さえ見られる。これに対して、より大衆的で民心に近い権威の中枢がある。それが美術や娯楽なのである。
 その主体は流行文化の直接の創造家である。ポップミュージックアーティスト、漫画家、アニメイター、クリエイター、作家、デザイナーなどを例としてあげなければならない。

 もし新たな文化運動が社会全体に定着し容認されるとすれば、それは若年世代からの浸透と定着を経なければならない。反戦平和がどのようにして公的意見となったかを見れば、その過程はある程度まで見当がつくはずである。それは宣伝されると同時に、その再生産の基盤をメディアと視聴者社会に固定したのである。
 しかる考えの後には、我々はその若年層への宣伝と、彼らの口を通じての媒体の拡大と再生産とに努めることが重要となってくるのである。
 我々の世界観を若年層に広めるには、彼らが進んで接するような文化に影響していなければならない。

 更に無視してはならないのは、視覚聴覚の直接的な形態である。例えば新たなる和服は、言葉と読み書きやそのほかのいかなる宣伝を差し置いて、実際に流行になってしかその流行を再生産する基盤を生むことはできない。我々は視覚の影響力を重視する以上、現実に物を作ることを目標としなければならない。我々は漸次流行の感覚を身につけ、彼らの発信者となるか、彼らを見方につける必要があるのだ。

 したがって、次のことはその前提となる。すなわち、我々の思想宣伝のほぼ唯一であろう自然な形式は、我々の理想を視覚的に体現した仮想現実ということになる。
 アニメ、漫画、ゲームなどの物語は、若年世代の誰もが眼にしている。少なくとも我々は、この影響力を過小評価することは許されない。この平和時にあってさえ、これらが、今までにいかに反戦平和思想の宣伝媒体となっていたか、我々は知っているはずである。多数の媒体から好意的に同一の世界を伝えることで、子供たちの目に焼き付けることで、彼らにその理想を自分たちのものとさせることができるのである。
 これには、複数の作品を我々の世界観のなかで実現しなければならないが、もし実現しても、この思想はそれに耐えうるだけの包容力を持っている。

 若干話がそれるが、若年世代については特筆に価すべきことがある。少なくとも現在の若者にとって、ここに書いた流行創造者こそ、目指されるに値する唯一の英雄であることだ。
 というのも、学術的或いは政治的な分野においてカリスマ性を持った者は、反体制的傾向を持った若年世代にとっては、悪い意味においての真面目な何かでしかない。おそるべことに、彼らは真面目さを評価しない。真面目なものに逆らうというのが、現在の若年層の流行の規範となっていると考えられるのである。
 この倒錯した現状は、しかしながら一朝一夕に改めなおせる風ではないことを認識しなければならない。畢竟、我々は学術とはまた違った権威というものに取り入る必要は免れる希望を持つことができないのだ。仮に彼らの考えを正そうと思えば、我々はまず、下からの転向をしなければならない。

 今や、この宣伝論についての重要な考察は、総括されなければならない。それにはまず、以下の結論を明かさなければならない。

 一〇、より大衆の意識や大規模情報媒体に近づく努力をする。

 我々は、民族の構成員あるいは事物全体を、余すところなく文化国粋的立場にせしむることを望む。
 大隈から陸奥まで、大君から物の怪まで、学術書からエロ本まで、言語から動作まで。最終的にはそのように、我々民族の社会にありうるものは、基本的に全てがわが民族の民族態を表現できなければならない。

 戦後日本の社会において、既存路線のウヨク、すなわち政治的及び感覚的な民族主義かそれに関わる政治的立場の者は、社会一般よりも上にあって、素質ある者を説得しようと望んだ結果、全体から見てごく少数の人数からなる反社会的な孤立社会を形成し、一般社会、とりわけ青少年層と徹底的に乖離し、全体からほとんど無視される状態を現在までに維持している。
 彼らは、今日社会一般の日常とは完全に異なったところにある。少数者の、反動的なこの変態集団は、社会一般から嫌われるために物々しい格好をし、大衆の意見と乖離するために演説し、嫌悪の衆目と社会的無視とを省みない。大衆にはそのようにしか映らないし、実際のところ、これは彼ら自身の視点もふくめた客観的認識に他ならない。

 一方は共産主義者や個人主義、マルチカルチャリストなどの立場からなるサヨクは、青少年層に影響し、情報を恣意的に操作して発信する行動を続けてきた結果、彼らは今や一般社会全体の倫理的規範としての地位を手にし、つまり社会全体となった。
 実は、サヨクはそのように、社会全体を個人化させることを望み、そしてしかるべき手段を身につけ、社会全体をその影響下におくことに成功したのである。

 もはや、我々は社会一般への浸透を目指す以上、彼らのような社会反動派と同じではいられない。
 我々は、社会一般を目指し、都市社会全体を目指し、新世代への浸透を目指し、冷静な思想を目指し、メディアを目指す。それ以外、この閉塞的な状況を打破できる道はない。

 したがって、我々は現代の美術文化における民族性の回復を優先しなければならない。すなわち、美術や音楽、服飾、そのほかの娯楽である。
 これは、もう一つの社会的権威である学術よりも、より積極的に新世代に浸透する。つまり、この発信者は、流行文化の直接の創造家である。ポップミュージックアーティスト、漫画家、アニメイター、クリエイター、作家、デザイナーなどが例としてあげられる。

 我々はその若年層への宣伝と、彼らの口を通じての媒体の拡大と再生産とに努めなければならない。我々の世界観を若年層に広めるには、彼らが進んで接するような文化に影響していなければならないのだ。またそのためには、視覚聴覚の直接的、具体的な形態を実現しなければならない。流行の感覚を身につけ、彼らの発信者となるか、彼らを味方につける必要がある。

 そして、我々の思想宣伝のほぼ唯一であろう自然な形式は、我々の世界観と理想を視覚的に体現した仮想現実の普及である。
 すなわち、アニメ、漫画、ゲームなどの物語の影響力を行使することが望ましい。幾多の思想が同じような宣伝を経て普及したように、我々も多数の媒体から好意的に同一の世界を伝えることで、子供たちの目に焼き付け、彼らにその理想を自分たちのものとさせるのが望ましい。

 都市社会に生まれ育つ新世代は、おそらく情報媒体を通じての宣伝に弱い。彼らは共同体の崩壊から生まれた、個人のいない大衆の典型である。然るに、我々は彼らに最も浸透しやすい宣伝で、彼ら一般社会の担い手を取り込む準備をする必要がある。

■補足二

 これまでに本論は総括され、その宣伝の指向もこれまでに明らかにした。だが、本論についで重要な補足事項がまだ二つ残っている。しかもこれらの補足は、全体を構成する論理にとって、決定的に重要な視点であることを強調せねばならない。然るに、これらの説明に尽くしたいと思う次第である。

 これ以降、我々は世界に目を向けなければならない。不遜な言い方かもしれないが、私はこの思想を、ある種の普遍思想に類させられるものと信じるからである。それという理論は、この理想による。

 一一、民族の共存共栄を志向するため、

 この思想は、明らかに現代社会の常識に反抗する性質を持っている。
 
 国際化、近年より一層肯定的に捉えられるようになったこの考え方は、今や国家或いは民族の持つ文化を否定するための手段と化してしまった。
 最近ますます盛んとなった、移民をおしすすめようとする一連の流れは、おそらく経済的な諸問題と文化的諸問題を民族国家に押し付けることで、経済的諸問題を解決しようとする流れと同じものであるという考えについて、私は二重に納得する。すなわち、二つの立場からの一致した意志が、マルチカルチャリズムと呼ばれる現代の支配的潮流を形成しているに違いなかろうというかんがえである。この語について、汎文化主義というのは誤訳で、汎集団文化主義がよりただしいものと思われる。
 彼らの狙いは、本質的に的外れであるとみなさなければならない。彼らは、集団を規定する文化とは、破壊すればそのままになると考えている。彼らの盲目は、その欲求が実際の生活に起源する必要性しか存在しないと考える点にある。彼らは民族を、経済的な諸要素が構成する一時的な社会現象に過ぎないと考える。この点に関しては、詳細に触れる機会がまたあることと思う。

 だがいずれにしても、我々を含める民族集団とは、このマルチカルチャリズムによって打撃を受けることになることは間違いない。我々がそれを希求しないことも、更には明らかにされなければならない。
 我々は、遂にはこのような理想からは脱却しなけばならない。かくのごとき、民族の独自文化を混合し、居住地域を雲散霧消させ、集団の自己規定の根拠を取り去ろうとする画策には、我々は断固反対の念があることを突きつけなければならない。

 とすれば、我々の理想とは何であろうか。我々は、当初からこの問題にどう解答するかが至上の命題であった。だが残念なことに今日に至るまで、我々の考えの中からは、マルチカルチャリズムに対抗するための、論理を創製することができなかった。

 しかるに、ここに一つの答えを用意したい。それとは、文化国粋主義による、世界大での民族主義の連帯である。そこにあって我々の指向は、最低限次のようなところをさす。すなわち、全ての民族の生存権である。我々は、多数の民族の共存共栄をめざさなければならない。
 つまり、全民族の生存権を、確保するべく行動する必要がある。汎集団文化社会に反対するからには、そのような具体的な理想を同時に提出しなければならない。我々は、当初からそのような考えに行き着かなければならなかったのではなかろうか。そもそも、民族主義が他の民族主義に多少同情的であることは珍しいことではない。国際的な融和とは、実際にはこのような民族の関係を強調する傾向にある。
 しかも、世界から民族を消そうとしているものに対抗するためには、他に手段はないものと考えるべきである。

 ここから先は、本来的な意味における民族主義者の関するところではないかもしれない。彼とは、他の民族に対しての自民族の優越性を、本質的な価値として奉ずる者のことである。
 少なくとも私はそのような考えに反対する。そのよるところの差異は、単に感情の差異であるとも考えられる。しかしながら、私は他者を見捨ててまで、自民族に大義を信じることは絶対できない。

 過去に我々の帝国は、諸民族の解放のために立ち上がった。我々はそのことを誇りとしていたはずだった。しかしながら今日、少なくとも目下の現状に鑑みるところでは、我々は明らかに、民族解放の大義を奉じた彼らに対して顔向けできるなどと考えるべきでない。我々が世界に主体性を持たなかったことで、理想を捨てたことで、世界は今暗澹たる未来を築こうとしているのである。

 我々は彼らの大義を継ぐ意思を持たなければならない。それは、彼らの意志というものが独自な価値を帯びるからではない。その考えが、あくまで普遍的に正しかったと考えることによるのだ。

 一二、また相対的視点の確保のために、

 ここに来て、我々は自問の必要を訴える。しかるに、次のように設問する。
 もし偏狭な民族主義者がいるとして、それも、彼がまさに自民族のほかには要らないと考えることによるものであったとする。我々は、彼のようなものを最も軽蔑すべきである。しかしながら、一体我々は何故彼の主張を誤りとみなせるのだろうか。こうした問題に関しては、実際明確に言及してこなかった。

 しかしながら、我々にはこれに回答の用意がある。まずこの設問自体を、逆に考えていただきたい。
 すなわち、なぜ我々は、多くの民族を守ることを善とするのだろうかという問いである。我々は、直接的にはこちらの設問に答えることとなる。抽象的にすぎる説明かもしれないが、以下のように応える。
 そもそも民族というものは、単にそれ自身が本質をもって規定されているといいうるものではない。
 文化国粋主義は、次のような考えを持つ。ある民族の規定は、明らかに、自己と他者の二つの規定によっている。

 これについては、少し具体的な例を交えて、説明の必要があると見る。

 まず、民族の自己の規定とは何であろうか。それとは民族が、論理としてもつ、集団を形成するための目的を含む思想を表している。多くの場合、それは神話やその類の物語である。これを失ったとき、民族は精神や倫理或いは論理に独自性の根拠を同時に失うことになる。だから端的に言って、同じ神話を信じることで、彼我が違っているべき根拠はなくなってしまう。根本的な目的論理には、少なくとも存在しなくなるのである。

 また一方では、民族とはある意味で、より客観的な視点から分別されることがよくある。それは、現実の文化的な差異があることによっているのだ。同じ神話を信仰しているところで、民族の差異は強調される。形質や服装、その他の可視的・可感覚的な文化が相互に比較できる状態であれば、彼らはそこに自己と他者を見出すことができる。そして、実はこのことこそが最重要事項である。

 この説明をもっと展開すれば、民族は外見の違いが重要であることになる。外見の相違が決定的であった場合、彼らは文化的な他者を認識する。逆にこのことは、文化的な外見がなんら変わらない人々と接している場合には、彼らが同一のものとされることを示し、しかもそこに他者を覚えないから、それに対比した自己を覚えないという論理を導き出す。

 しかれば、この先の可能性についての論考は安易である。もし世界中で、言語や服装や、そのほか外見にまつわるあらゆる差異がなくなったとき、果たしてどの民族が自己を「民族」と認識できるかという問題が我々の脳裏をかすめると同時に、次の結論は正当であるとみなされる。民族は複数なければ、自己規定、ひいては存在ができないという結論である。

 我々は内面の自己規定を求めるのであれば、確かに民族などというものは要らないかもしれない。しかし、他者との違いとその多様性とを奉ずる以上は、たとえ優越性を求めた場合でさえ、他者の存在は必要とみなされなければならない。民族は、他の民族の存在を希求するのだと表現しても、差し支えないと考える所存である。
 前二回分の提言は、いまや総括の運びとなる。それを以下に記すことにする。

 我々は、まずある民族の規定が、自己内部と他者との二つの規定によっていると説いた。前者とは、民族が論理としてもつ、集団を形成するための目的を含む思想を表す。精神や倫理或いは論理における、独自性の根拠である。
 だが、もう一方には、より客観的な視点からの分別がある。つまり、内面の論理に対して、外面の現実の文化的な差異という事実や、現象である。実は、一般にこちらのほうが寄り民族間を隔てる効果が大きい。現実の差異は、明らかに民族の規定に、そしてその意識に多大な影響力を持っている。したがって、そのような文化的差異は複数の体系がなければ、民族は自己規定、ひいては存在ができない。

 これは畢竟、次のように結論する。すなわち民族は、他の民族の存在を希求する。

 このような考えを深化させれば、民族はできうる限り多い状態を求める性質があることになる。
 諸民族は、それが運命共同体であると考えることが可能になるとき、初めて悪意に満ちた民族混合主義や、民族という存在を無視する国際的慣習に対して、一石を投じることができるようになるのである。換言すれば、諸民族が共同して民族を重要なものとみなすことで歩調をあわせれば、そこに始めて統一された論理のもとに、民族の共存が行われる可能性が開かれるのである。そのように考えなければならないし、そのように考えるのが理想的である。

 我々はまず暫定的に、民族に最大の価値をおく。それは然るに相対の必然があって、全ての民族は等しく最高の価値を持つということになる。(民族の境界は断固分けられるべきであり、それには民族の体系と、その根拠となる内面論理規定の正統なる権威という論理を明かされたい。)民族解放は、世界の普遍的な願いであった。しかしながらその論理的具体性については、現在までほとんど提起されたことがなかった。我々の考えでは、この試論は、その思想を補完する役割を満たしうる。

 しかし、我々はもう一つ重要な視点を持つ。
 これまでに私は、民族の物質的差異が民族の際を際立たせるのだといった。しかも、我々の当初の了解しては、各民族に属する社会をあまねくその民族風にするという指向もあったし、現代娯楽、いわゆるポップカルチャーとしての活動は重要であると指摘した。
 そしてこれに関連し、このような考えも重要な要素と認めるべきではないだろうか。つまり、互いの民族の文化国粋主義活動が、互いの活動に影響を与えるという展望である。我々はそのようなことを希求する。世界的な流れとして起こるものは、それ自体の魔力によって、どの文化においても積極的意味を生ずることになるのである。それが斬新なものであるとしたら、その効果はもっと大きな可能性を含むに至るはずである。また、相対的に技術を比較する上で、他者の民族はどうしても参照しなければならない。もちろん、一定の風文化もそれと同じく、外国を参考にして、本国の文化を再構築できる可能性は大いにありうる。

 こうして我々に、新たな指向が結ばれた。なんとなれば、それは次のような方向性である。

 一三、他民族にも同調を促す。

 我々は、民族の自立と維持を一つの目標に掲げる文化国粋主義の、論理と理想及び方法論を、他の民族にも普及し発展させながら、民族の世界を構築することを望む。そして、そのように目的を一般化することで、民族主義は統一した勢力としての立場を堅持しうるのである。
 この補足の冒頭に書いたとおり、我々の目標の一つは、文化国粋主義による、世界大での民族主義の連帯である。すなわち全ての民族の生存権意識である。我々は、多数の民族の共存共栄をめざさなければならない。

 かくすればようやく、この現代にあっての八紘為宇の必要性が説明されるのではなかろうか。

■補足三

 これまでに本論は総括され、二つの重要な補足も施した。遺すところは、既に最後の補足事項のみである。

 この補足事項は、全体の結論を含めるものとなる。我々は前回に引き続いて、より一層この思想の世界的性格を主張しなければならない。我々は世界と協調する意思を持つ。少なくとも、既存の思想体系において手付かずとされていた、個々の民族主義的な運動に、世界的規模で統一した目的を設定する試みは、今次における実現の可能性を欠くとも、後代の理念として十分意義を持つものと考えられる。再度強調して言及するならば、我々文化国粋主義者は、自らの理念にあくまで普遍主義を追求する。我々は、文化国粋主義の普遍性によって、世界の民族主義の方向性を一つにすることを望んでいる。

 次いでこれも、再び言及するに過ぎないが、我々はここにこそ宣言の機を得たものと見たい。我々の目的は、全ての民族の生存権、より多数の民族の共存共栄である。

 はたして、我々の主張は前項の冒頭の通り繰り返される。

 一四、民族の共存共栄を志向するため、

 我々は、民族間の絶え間無い闘争という認識や、その独自文化の本質的優劣という認識、および、その価値の絶対的差を含めるいかなる不平等な価値思想にも反対する。
 しかしこの理念は、もう一つの論理の可能性を我々に開くのである。それとはすなわち、この後の論理展開に不可欠な、方法論的な考察に含まれる問題である。とはいっても、これはなお理念の域をでない。当面探るべき方法論とは、我々が何を価値と設定するかという考察にほかならない。

 これより考えなければならないのは、我々はどう民族の平等世界を追求しなければならないかという、より現実的な命題である。我々はどのような世界を望むのか。そして、現実に何を厭うべきなのか。この点について、十分な考察無しには、この現実を反省することもままならないままである。
 しかしながら、我々は前項において、一定の方向性を設定するのにも成功している。これらの理想を編纂するという目的を持ちながら、次回はその礎として、我々の具体的な希望について掘り下げたい。


 今回皆様には、国際社会の現状とその本質を認識するに当たって、我々の立場から提示できる、重大な疑問を提示したい。この説明には、疑問自体の達成と同時に、その重大性までを明らめる必要性を認める。

 これには、まず現状に関して共通の見解に立たなければならない。然るに、第一に考えられなくてはならないのは、次のような問題である。
 我々は民族を、普遍性ある、正統な人類の区分単位として扱ってきた。しかしながら、現実にこの理想は、現代世界にとってどれほどの力を持っているのだろうか。

 現状として、我々は、この意見が世界において大きな力を持っていることを確認することができる。あらゆる民族集団はその内部に、自己の純粋性について、それも、我々の考察してきた内容と大いに交わる分野において探求を進めている者がいる。時に彼の思想は、具体的な行使力をもつ。
 しかし、我々の理解においては、それらはほとんどの場合、彼らが抗している、より大きな力に対する反発でしかない。民族主義とは、結局現代においては、それを否定する秩序の体系に挑戦する破壊活動かでしかないと見られる。残念ながら多くの場合、民族はむしろ、民族を否定する巨大な国際体制に対して、反乱を企てる少数者としてしか認知されていず、大きな力というものは、結局その反抗の結果認知されるようになった、秩序を乱す何かとしての見方しか与えられていないのである。

 民族とは、意志の体系である。客観的には、物質的な存在は、意志の有無に継ぐ副次的な要因に過ぎない。近年、民族は存在しないという言説が強い発言力をもつ。それが、これまで横暴を続けてきた民族主義的な欧米の出した当面の結論なのだという。
 彼ら欧米人は、古代中世と一貫して、民族という意識を強く持ち出すことのなかった歴史的経験を持つ。だがそれを普遍的自称として取り上げるのには、自民族中心の歴史観への強い志向を感じるところである。しかも、そのマルチカルチュラルな主張を旨に、またもや世界中で、新たな民族主義の抑圧に乗り出そうと画策するのであるから、彼らの植民地主義の政策は、ここに佳境を迎えたものと考えずにはいられない。我々の立場には、それが世界中に民族主義の武力闘争を起させるための陰謀であるかのごとく映る節さえあるが、みなまで述べる必要はあるまい。

 我々の認識では、民族というものが現実に及ぼしている影響は大きい。それは本質的に意思を持った現象に他ならず、その実現を閉ざされた閉塞的な事情にあってさえ、潜在的にはその力を保持しているとみなさなければならない。
 それは、民族を限定しない。その実現を価値として捉える動きは、恒久的に絶たれることはないと断言しうる。なぜなら、現実として、死を超克する絶対性を持った何かが、文化的に独自な共同体にしか実現されないという認識が多くの人々にあるからである。つまり、よく価値の本源とでもいうべきものが、民族に投影されるのである。

 これは単にその結論に留まるものではない。ここには最初から、ある重要な可能性がはらまれる。
 死を超克する民族共同体は、その構成員各自の生よりも共同体全体の存続を望まれる。その行為がまさにその構成員の自発的な意志によるのだとすれば、民族とは彼ら個人よりも大きな価値を持つことになる。そうとなれば、彼らが、民族のために死をも厭わない傾向が強いということも、原因を推定することができよう。
 ゆえに、主体の民族が政治的な正統性を否定され、主体の独自文化によらない政治体制に正当性が認められる場合、そこは容易な死を産出するか、或いは空虚感によって生を無意味なものに貶める状況を形成する。さもなくば、日常の権威と世界的な権威との間に隔たりを持った地域の生産である。

 今日、世界的な経済問題のほとんどと言ってもいい部分は、実際このような点に起因すると見受けられる。その例なぞ枚挙に暇が無い。
 アフリカの多くの地域では、旧植民地による、民族の境界を無視した国境線が正統なものとして延命してしまった結果、世界的な承認を経た国家は、全て「国内の統合を阻害」されている。ほとんどの「国家」の公用語は、植民地政府の首都が置かれた地域以外のあらゆる地域には通じず、また政府職員はどの現地民ともつながりの無いほとんど宗主国側の人間と同じ民族と内外に認められ、結果住民と全く乖離した財団が腐敗の温床となり、海外の資金支援を懐に収めることに良心の呵責はないことが多い。彼らは世界には支持されているが、現地には承認されていないのだ。

 だが、経済を無視したところでさえ、我々は民族と国家が一致しないことに関して違和感を持っている。その対象とは、端的に言って侵略という行為に他ならない。
 今日までに先進国となった国々の多くは、歴史上まれに見る規模で侵略を行ってきた。ゆえに彼らの言語は世界言語となったし、彼らの信仰や思想も世界的に広く認められることとなった。これらは、常に他の犠牲のもとに行われてきたということは多くの識者の訴えるところである。
 植民という行為は、明らかに非道である。普遍的な概念において、他者の集団が所有する何かを奪うという行為自体、正統な何かではありえない。それを、彼らは文明を口実に数々の民族集団の領土を簒奪して来た。
 人間には、集団の良心がある。歴史の残る限り、先祖の行為は意識され、それは善行でなくとも強く意識されるのだから、そのような視点では、アメリカ人民やオーストラリア人民といった植民地の子孫には、歴史への満足は永遠にやってこない。
 それどころか、我々はここに現行の植民地国家の論理、ひいては世界の法体系を解除する糸口をつかむことができる。ある植民地国家は、その領土に、武力や経済圧力をもって実際編入された他の国家の、法体系を否定する根拠を永遠に持つことが無い。所有という抽象的な概念は、既存の法体系の正統性を破棄する解釈の可能性を組み入れないのである。
 換言して言えば、領土の侵略は当初から無効である。そうと認知されたとき、現行の植民地国家は、その正統性の欠如から、法的な正当性の一切が当初から無効であったという証明の条件が満たされる。
 すなわち、アラワク人のカリブ諸島における自治法の体系が正統であるから、そもそもその地がエスパーニャ帝国の領地になったことは一度もなく、ひいては、現在の諸国家は、その地のエスパーニャからの独立を認められないのである。現状がどうあれ、少なくとも理念としてはこれが正統である。

 もう一つ、重要な観点がある。
 そもそも、我々は征服者の構築してきた征服者中心の世界に住まわされてきた。彼らによる国家の現状は、明らかに彼らの民族が有利である。日本民族の国家が、この世に一つ存在する。これは、確率的には奇蹟に近いことである。世界には小さく見積もっても三〇〇〇もの民族がある中で、彼らの定義による国家は、二〇〇から四〇〇ほどしかない。一〇に一つの民族は、望むと望まないとに関わらず、他の民族を抑圧することによって、国家を持つことができる。その中にあって、西欧の先進諸国は明らかに複数の国家を持つ傾向が強い。土着の政治機構別離ではなく、植民地によってである。中南米のほとんどの国家は、スペインの権威者であったカスティーリャ人が権威を持っている。アラブ人も、侵略によって世界に影響力を行使してきた。それらは、例えば国際会議で共同路線を採りやすく、他の意見よりも大きくはたらく。

 また、もし遠い将来、この傾向がなくならなかったとして、人類は多くの民族を失うことになるだろう。それが、最終的に民族自体を喪失する未来人にとって、彼らの尊厳と価値の意識にどのように影響するのか、我々は想像することができるはずである。

 さてこれらの議論を受けて、我々の思考には、かかる疑問が運命的な正当性の下に立ちはだかる。
 すなわち、我々文化国粋主義者の理想は、現在の世界の権威秩序の基礎単位である、国民国家という機構と矛盾するか否か。果たして我々の追求するべき命題は、より端的な問題に突き詰められる。文化国粋主義は、果たして既存の国民国家とそれに基づくあらゆる権威体制を容認するべきであろうか。現代の国家という制度は、果たしてそれ以前から存在する民族という意志に取って代わるほどの包容力があるだろうか。

 その疑問に対して、我々の立場の回答も、正当性の下に予定されている。

 一五、本来の国際関係は族際関係であるという認識を持ち、

 人類が、民族と国家との一致を正統的な領土や倫理において行わなければならないという意思を持つのは、まさにその普遍性を証明できるところである。
 しかれば我々は、民族を無視し、抑圧するべく作られた近代国家の世界構造には明確な敵意を持ち、この解体と、正統な民族国家の連合社会の構築とを同時に志向する。我々は新たな制度を構築するのではない。正統なる秩序の再構築に勤める。民族の正統的価値を信じる者は、それを否定することに始まった植民地主義体制と、それに因る政治機関とその現実への癒着を断固として拒否する。

 文化国粋主義の理想は、正統なる民族自決が、人類に安定した秩序をもたらす普遍的な法であると考えなければならない。

 前回は、民族は国家やその関係に正統性を与えるという考えを明らかにした。これに引き続いて、重要と思われる説明を施したい。この考えのもとには、国家と国家の関係は、相互に民族独自文化に配慮しなければならない。以降はこれについて掘り下げなければならないが、以下には、我々の考えを進めるにあたって、問題点を漸次はっきりさせたい。

 第一に、次のような考えを明らかにしたい。もし我々が自国に正統性を欲したとき、我々は国家という範囲をその正統性の下に規定しなければならない。前回までに明らめたとおり、現在の体制による国家は、この正統性という概念をほとんど無視して設定された範囲である。なお、しかれば当面は、我々の議論には現実性を求めることができないという状況を素直に受け入れたい。この際、我々はかろうじて現実的な、理想社会への経緯という方法論については言及しないことにする。となれば、我々はその理想について考えることになる。論旨に戻るが、われわれはそこにおいて、民族の現実的な経済的・政治的な集団としての国家を規定することになる。逸脱を重ねて申しわけないが、我々は既存の現代的な意味合いに於ける国家という法学的規定よりも、そのような国家の定義を重要とみなす。
 さて、ここには当初から問題がある。民族独自文化は、その核に倫理的根拠となる神話や、そのほかの後天的思想を持ち合わせるが、それが全ての民族の、我々の持ち合わせる規定に於ける国家を助けるものではない。民族によっては、自らの国家を戒めるものがいくつかあるのである。
 そのため、この問題はもっと具体的には、国家は、それをいとう民族にまで適用されるべきかどうか、そして、もしされるべきというなら、それはなぜかについて触れなければならない。

 第二に、そのような国家の集合があったとき、それらが各々民族独自文化を強調した結果、全てが頑なに外部との文化的な交流を断ったとする。しかしこの時でさえ、相互の経済的な交流は、全くその必要がなくならないという事実である。今次の国家間の関係でも、資源の輸出入や史上取引など、国家間の経済活動は断ち切ることができず、また、通信や輸送手段の技術的な可能性が開発されたからには、経済的な相互依存は明らかにどのような関係であっても成り立つものと見なければならない。また、非現実的な心配ではあろうが、仮にこの技術的な発展そのものを根絶せしめたところで、これは日常の経済にさえ需要のある、我々の規定するところの普遍文化であるから、時期はともかく、未来におけるこの再生は間違いないと考える。
 しかれば、もはや地球規模での経済の相互関係は回避することができない。そしてここには、重要な需要が潜んでいる。すなわち、国際間の意思疎通を可能とする統一言語や、外交の諸手段の統一、或いは実際に物品を取引する際の通貨や、度量衡や時間の単位などを統一するという希求である。
 ところが、我々はもちろんこの世界規模で統一された諸制度と単位のみを、正統な文化共同体主体の国内で使うことには賛成できない。この点はどのように解決できるか、そして、その統一された制度や言語は、一体どの者の手によるものであるべきだろうか。

 第三に、以上のような問題を解決して作られた諸国家の関係は、あるいは各国の安全保障を理想とするにしても、それらの統一されるべき形式は、そして国際的な協定や、外交方式や法学的な拘束力は、一体どの者の理念によるべきであろうか。この倫理の中心にある論理を明確かできなくば、我々の社会的理想は達成されたとはいえない。我々に要求される回答は、何の倫理に基づいて我々は相互補助を目指し、安全保障を思考するのかという質問に対して行われる。

 第三の議論についてから、我々の回答を明らかにしたい。我々の考える世界の根源的にして最大の倫理とは、全個人の安全と全正統的民族の存続である。
 個人の安全は、保障されなければならない。それは、民族の構成員として、と付け足さなければならない。もしあえて民族と、その構成員たる一部か全部の個人との利害が一致しない場合を想定したときは、ほんの若干、民族のほうが価値があるものとしたい。しかしながら、民族の存続のためにその構成員が全員命を投げ出すという想定は全く成り立たぬし、民族が全滅を望んだところで全滅が実現するものとは考えにくいから、ほとんどの場合において、民族と個人との価値は同等であるとみなせる。
 これは一方、より直接的には、全ての個人が民族に属し、その上で外部からは生命の安全を保障されるべきだという理念を、我々が掲げるからに他ならない。換言すれば、世界全民族の尊厳ある平和を、我々は望んでいるのである。個人は純粋には、それが既存のフハンス人などの手による「普遍思想」と同じものをさすかどうかは別の問題としても、個人の安全は、普遍的人権という概念によって保障されるものと考えられなければならない。そしてその一方、われわれはこれにも普遍性を主張したいが、民族の生存権というものを世界が認めなくてはならない。さらには、両者の利害の一致の追求ということも、その必要を世界に認める。

 では第一に関しては、我々はどう考えるべきか。
 我々は、国家を民族に強制する。その理由は、政治的・経済的に統一した基盤がなければ、民族は現実的な危機に対応できず、そのような基盤を持った民族に対して、その対応に明確に遅れが出るからである。また、そのような拘束力が無い民族は、遅かれ早かれ、民族独自文化的に、尊厳あるいは現実的統一性を失い、いずれ雲散霧消する恐れが、統一基盤がある民族に比べて格段に高い。以前お伝えしたとおり、我々は独自文化の相互規定の理論から、そのような弱体化を世界の民族に許すことはできない。これは普遍性がある考えと自負するべきである。

 さて、ここに来て、第二の議論は核心を含んでいたことをお知らせしたい。現実に、我々はどのような根拠から、どのような文化を以て、国際関係の統一した形式を設定するのであろうか。その答えを、この文の中心となる主張に拠りたい。

 一六、文化的に完全に中立、つまり、民族独自文化によらない事象を、本来族際関係に望ましい事象とみなし、現実の国際関係において、その実現を志向するため、

 単位、紀年法、制度、言語などは、世界の標準を作る際、どこかの民族や宗教固有の価値観によることは、そもそも誤りであるといわなければならない。我々の指向は、常に各民族の尊厳を平等に維持することにあった。そこで、我々の要求は、民族独自文化ではなく、これまで我々が普遍文化と呼んできたものに向けられることとなる。普遍性のある言語概念がわかっていれば、それを基礎に人工言語を創製できるし、天文技術の発展は、あまねく世界に正確性を誇示しうる暦法を生み出すことができる。儀礼や外交方式は、前述の仮の普遍倫理を基礎に、ある程度の自由とある程度の統一性を許さなければならない。ここに、発達した人類の科学の粋を集め、生存と効率と尊厳という人類の最代公約数たる普遍文化には、人類の不平等の是正に貢献していただこう。

 それらの実現するときこそ、普遍法とその効力を書面に記す紀年は、まさに新たな世界の始まりを宣言することになるだろう。


 我々の普遍的理想は既に明らかにされた。民族独自文化のまったき姿を持つ民族の政治組織を、普遍文化が束ねるという言及である。その体制を、我々は理想とする。そして、ついには全体の主張も帰結を迎えつつある。今回は、様々な理想について吟味し終えたところで、改めて現実世界に目を転じてみたい。
 それとは以下のような精神を持つ。

 一七、西ローマ文化が、国際関係社会に深く取り入ったことと、それにより、世界で西ローマ文化が圧倒的優位を保っている状況を反省し、

 正直なところ、私がここまで書いてきた理想は、この現実とはかけ離れたものに過ぎない。なんらの貶めるような悪意を持たないものでさえ、この理想全体は非現実的なものであるとの考えを胸に抱くだろう。それは一方厳然たる事実である。わが文化国粋主義の理想は、この世界から離れている。

 しかしながら、ここにあげられるのは、この世界の現実であると同時に、この世界で起こってはいけなかったことなのではないだろうか。現状は最も現実的であるが、それは理想が反映された世界では決して無かった。このことは問題ではなかったろうか。
 この点は、もっと深く掘り探る事ができる。だがすなわちその問いはさしあたり単純なものでしかない。我々は現実を良しとするか否か。その趣旨を入れながら、ここに現実を反省してみるべきである。

 未曾有の悲劇は、まさしく一人の男の功績に寄った。その名も、コロンボである。
 偶然にも彼らのような野蛮人が、徳に不相応な船舶技術を手に入れて、世にも無防備なアラワク人の連邦に侵入してから、全ての運命は動き出した。カリブ諸島の大部分は、初期の日本にも似た連邦統治体制であった彼らの領地であった。彼らは芋とタバコの栽培のほか、目だった規模の技術は持っていなかった。そして、彼らが公益によって得た、アステカやマヤの金細工を身に着けているのが野蛮人どもの目に留まったのである。
 想像を絶する悪夢の後、今日、彼らアラワクを次ぐガリフナ人たちは、およそ四十万人である。彼らは、奴隷船の生き残りである黒人たちとの混血と、その他の病気に免疫の無い純血種の淘汰及び酷使による絶滅の結果、かつての人種的特長はほとんど残っていない。彼らはアラワク語を伝えるが、その他の様々な文化は結局残す事ができなかったらしい。彼らは今ほとんどがマヤ人のユカタン半島に住んでいて、かつての郷土はハイチやキューバなどの植民地国家に占領されている。
 アラワク人に続いて、甚大な迷惑をこうむったのがマヤ人であった。マヤ人は今、互いに通じ合わない十以上の言語の総合で八〇〇万人程しかいない。新大陸で唯一と言われる文字文化は、悪魔の聖典として粗野なカスティーリャ人の聖職者にほとんど焼かれてしまったために、いまや自然に読める者は存在しない。高い技術力を誇った彼らの体系的都市国家社会は、カスティーリャ人たちの横暴な政策とその後の植民地国家により完全に衰退した。
 また、世界有数の建築技術を駆使して作られたメシコ・テノチティランの王が率いるナホア人たちは、今日、彼らの築いたアステカという王国の名を冠した全く別の植民地国家の中で、カスティーリャ人主体の階層に押し込められている。
 同じように、植民地国家の中で、かつての主権を完全に否定されてしまったがごとき人々は世界中にいると見なければならない。彼らの主権を否定してまで、果たしてそのちの植民地国家の正当性を信じてよいものだろうか。侵略は成功したか否か。今日、この様な汚らわしい法体系が世界に実効性を誇っている。

 さらに、彼らから吸い上げられた金銀は、欧州に持ち帰られ、やがて戦争と搾取と植民地主義の近代が始まる。西ローマ人が世界を座席した時、彼らの全ては、世界を搾取する悪人以外の何者でもなかった。そしてその成功は、現在に至るまで、主権の有無をはじめとして民族の不平等をもたらしている。
 最終的に覇者に落ち着いたのはアングロサクソン人であった。イングランドの範囲に過ぎなかったイングランド語は、いまや世界共通語である。彼らは、スペインのカスティーリャ人や、アラブ人よりもうまく世界を征服した。現在日常に溢れる洋風は、ほとんど彼らのものである。
 彼らは自分の文化圏が世界中にある状況を利用し、今後国際的に人口を流動しようとする言説を起こしている。明らかに、その住む範囲の多いものにとって有利になるにもかかわらずである。

 この様に見てくると、我々は現状に不快感を催すようになる。これは確かにおきるべくしておきた事であったかもしれない。しかし、おきるべきであったか否か。

 奢るつもりは無い。ただ率直に言って、我々は歴史事実を裁く視座を手に入れたのである。我々の答えは、既に決している。断固として我々には、世界の成り行きが望ましかったものとは解せない。


 文化国粋主義者は、正統な民族自決が、秩序をもたらす普遍的な法であると考えなければならない。
 しかし、それぞれの民族自決は、いずれそのうちの大国が国際間の価値に対して、力を及ぼしかねない。放置すれば、それは結局帝国主義の横暴の様相を呈すことに堕す。普遍的な法は、当然その状態も想定しなければならない。
 さしあたり、我々の国際社会への要求は、民族独自文化ではなく、これまで我々が普遍文化と呼んできたものに向けられる。すなわち、具体的で物質的な実証主義であり、科学である。その方法が、人類に不変的な法則を探り出してくれれば、我々は真に普遍なものを作り出す事ができる。
 
 然るに、断固として我々は、西ローマ人の標準が世界を覆いつくす現在の世界の成り行きが望ましかったものと思えない。それは、西ローマで無くとも同じである。世界の諸民族の権威を超越する民族独自文化が現れれば、全ての民族から、或いは国際社会から厭われることになるだろう。言語帝国主義は確実に功を奏し、少数言語を危機の前にさらし続けるという事が、果たして民族を考える上で正義足りうるかどうか。

 だから、我々の主張は当然のものであるに過ぎない。

 一八、各民族は連帯し、国際関係社会から民族独自文化の影響の駆逐に努める。

 民族国家を前提とする正統なる国際社会からは、あらゆる民族の影響がむしろ取り除かれなければならない。もし万が一日本人が国際社会を制する事に成功した時でも、日本語を国際語に押し上げ、世界中に君主制と国体思想を押し付け、電子情報の上では全ての文字言語を無理に左縦書きにあわすことが行われたのでは、傲慢な西ローマと何も変わることは無いから、失敗とみなすべきは当然である。それが何処なら許されるかという考えは、民族平等の思想のもとにすぐ突き崩される。畢竟我々は、無機質で生命の無い技術に、その共通性を見出すほかはない。言い方を変えれば、これは科学の八紘一宇である。
 これを実現するのに主体的な立場を担ったものは、歴史上最後の道義的中枢となるだろう。日本帝国は、既存の国際秩序に投じられる一石であるものと信じてやまない。皆様がそのような使命を自覚することを願う。しかしながら、日本以上に様々な地域によって、そのような民族独自文化の独裁支配には非難が寄せられる。苦しんでいるのは、日本だけではない。そして、敵は西ローマだけでもないのである。


 上を以って、文化国粋主義の概論は完結したものと見なす。ここまでご覧になっていた方に、感謝の意を表します。以後、賛否を問わずご質問にうけ答え致したい。一人でも多くの方にご叱咤いただければ幸いである。
 臆面も無く私の愚考を申せば、この思想は今後の威信派の指針に明らかに有用な方向付けを行える。もしこの考えに賛同するものがあれば、この戦略論どおり宜しく宣伝ご協力賜りたい。

 天皇陛下万歳
 世界諸民族万歳
 文化国粋維新万歳

新天保暦二六六七年〇五月一五日
ムネカミ(当時の署名)

二六八〇年〇八月〇九日

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