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みんなと違う そして事件

 授業が終わると、ブランコにまっしぐら。ランドセルの中でガタゴトガタゴト、教科書や文具が踊る。
ブランコに座っている友達が嬉しそうに手を振っている。
 「空いていて良かったねー♪」いつものように、ブランコをゆっくり蹴って、今日の出来事を話し始めた。嬉しい、悲しい、いやだったこと。……ひと通り話終わると、お互いに押したり、立ち上がったりして勢いよくブランコ揺らし風を感じた。ブランコで大きく下降する時のふわっと感が実は苦手。

 ある日、ブランコの周りを探しても友達の姿が見えない。遊具で遊ぶ同級生に「Aちゃんは?見なかった?」
「あー、ケガして保健室に行ったみたい」
「ないてた?どこのケガ?」「わかんない。でも、ないていたよ」
待っていたが、その日はお母さんが来校し帰ったらしい。
 数日後、教室を訪ねると、唇がとても腫れていて、頬や鼻に痛々しい擦り傷と絆創膏。「ごめん、もう、ブランコであそべない。まっすぐかえりなさいって、おかあさんにしかられちゃった」 2人でお喋りしながら、とぼとぼと帰宅。

 ある日の授業の終わり、担任の先生に、「もう直ぐ参観日があるので、後の壁に何か絵を描いて欲しいの。頼めるかしら」 得意な絵を依頼され、放課後、模造紙4枚に学校の春の風景を描いた。校庭の桜の大木の周りで友達と遊ぶ姿、スケッチ遠足の様子、遊具や可愛い花々。先生は教室の片隅で仕事をしながら、時々、眺めては褒めてくれた。

ランドセルと事件

 絵を描きあげた土曜日の帰り道、上級生が数人、同じ道の後方を歩いていた。田んぼが広がる一本道。遠くに農作業をするおじさんたちの姿。小石を蹴りながらしばらく歩くと、車が停まった。
 「お家まで乗せてあげるよ」と見知らぬおじさん。
「だいじょうぶです」と断って歩き出すと、また車を停めた。同様に断ってもつかず離れず走っている。
「Sさんちに行くから、送るよ。歩くの大変でしょう?」 

 ん?Sさん?Sさんって、二軒隣の〇〇ちゃんちかなぁ? よく訪ねるSさんちの知り合い?この人、優しそうだし、歩くのも疲れたから乗せてもらおうかな…と内心揺らいでいた。
「知らない人にのせてもらってはダメと、両親にいわれているので」と2、3度断り、小走りに前へ行く。
すると、ドアを開け、ランドセルの肩紐をつかまれ、車内に引き込まれた。

思考停止と遠心力

 ランドセルの肩紐をつかみながら、ドアを閉め、ロックされた。揺れると、脇腹に何かが当たった。赤っぽい色の小さなナイフが見えた(飛び出しナイフと言うらしい)。恐怖で一瞬、全ての思考が止まる。何か話しかけてきたが全く記憶にない。
 一本道は毎日の通学路で、学校から自宅までは2km程。帰路の途中、当時は民家が少なく、小さな商店の向かい側のおばあちゃんが、小学生の帰宅時間によく声をかけてくれた。普段は、同じ方向の友人数人、庭先で井戸水を飲んだり、スイカやトウモロコシなどおやつをいただいて小休止。元気復活して、笑顔のおばあちゃんに見送られ、自宅へ向かった…いつもなら…。

 その日はおばあちゃん宅を既に通過していたので、しばらく先まで蛇行した道と両側に田畑、遠くに林や山だけ。

 道がカーブになると、身体が左右に動いた。繰り返す内に、昨夕、兄がふざけて見せてくれた光景を思い出した。5円玉を糸で吊るし左右に小さく振りながら、「見てるうちに、〇〇ちゃんは眠くな〜る」とふざけて見せた。科学クラブで習いたての「遠心力」「慣性の法則」などの説明を、5円玉を回しながら教えてくれた。その光景とリンクしたようだ。

 次のカーブで左に揺れたら、車から逃げようと思考が働いた。
 よし!次だ!スピードも緩まり、思い切ってドアを開けて逃げ出す。一目散に少し傾斜した左の田畑を突っ切って走った。靴が脱げても、止まらず泣きながら走った。やっと、両親と歩いたことがある裏道に出て安堵し、更に走って街中に出た。
 両親にどのように説明したか、あまり覚えていないが、片足は靴がなくハイソックスだけ。ランドセルはフタが開き、中身が飛び出していたらしい。その様子に母はさぞ驚いたはず。姉の死からやっと立ち直ったばかりだから。
 ランドセル以外に小袋を持っていたがどこかで落としたらしい。涙と汗でぐしゃぐしゃになった顔で、「知らない人の車に乗らなかったよ」とだけ、母に抱かれながら幾度も繰り返していた。父は警察の対応をしていた。

ことの真相

 警察署の話によると、私が逃げ出した瞬間、慌てた犯人がハンドル操作を誤り、道端の用水路に大きく脱輪し、高低差がかなりあるため、車から出られなかったらしい。遠くで農作業をしていたおじさんたちが、幾度も止まる車の様子を見ていて、脱輪の後、近くの駐在所に出向き通報していた。
 犯人は、だいぶ前から通学路を走っていて、小学生に「〇〇さんのお嬢さん、どの子かわかる?」と尋ね、いつの日か、偶然に遠くを歩く私を見つけた上級生が、指差しながら「あのピンクのランドセルの子」と教えていたそうだ。
 「Sさん」と犯人が出した名字は、その集落の大半が2種類の名字が多く、そのひとつがSさんだったようだ。小2の世間は狭く隣近所しか知らない。

 当時、男の子は黒、女の子は赤色のランドセルだけ。父が仕事先の東京でサーモンピンク色のランドセルを買い、油彩絵の具でふたの裏側に名前を書き入れ、箱に大きなリボンを付け、入学を心から祝ってくれた。交通安全の黄色のカバーも当時は無いので、色違いがとても目立っていた。
 1年生時は、色の違いで少し心ないことを言われたこともあった。数年前、2歳上の姉(小1)が下校時の踏切で、上級生の悪ふざけに遭い突き飛ばされ、電車事故で亡くなっていた。ランドセルは姉のお下がりで、血に染まった所を洗い落としたから、皆んなと違う色になった。そのような噂話をされていた。2年生になると全くその話はなくなっていた。

 仮住まいの集落は、周りが殆ど農家や農業関係者、稀に公務員などで、父の職業は特殊だった。普段から「〇〇先生のお嬢ちゃん」と呼ばれていた。結果的に、皆んなと色が異なるランドセルが裏目に出てしまった。

 傘の色や模様が違ったり、可愛い長靴など…当時を考えると、何もかもが皆んなと違っていたようだ。
 週明け、全校朝礼の壇上に、見覚えのある警察署長が登壇し、未遂事件の様子を簡単に話していた。逃げる行為もややもすると危険だったと話された。
 しばらく下校時には地区単位で集まった。上級生が班長になり集団登校も始まった。私の事件がきっかけで、児童の登下校が変わった。

 姉の事故現場と、この記憶はなかなか消えない。犯人の顔と服装も未だに鮮明に残る。
 多くの保護者の方々には、みんなとの違いが外見的に特定できてしまうことは危険、ぜひ注意を‼︎と進言します。