自分らしさについて考える
先日会議で本社に行った時、以前お世話になっていた上司の元へ挨拶に寄った。
近況を伝えると彼はかつての厳しい表情からは考えられないほどの優しい笑顔で「そうか、そうか。おお、おかえり。」と何度も何度も私の背中を優しく叩いてくれ、そのまま背中を軽く押し出した。
喫煙所の方へ。
2020年、恥ずかしながら帰ってまいりました……!
戻ってきてしまった、喫煙者の世界。
※本エントリは喫煙を含む表現があります。不快になる方はご注意ください。
ちょっとこのさらけ出し書くかだいぶ迷ったんだけど……書いてまえ。
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ローマは1日にしてならず、と誰かが言ってましたが、喫煙者は1日にして戻ることができます。マジです。ほんとうに驚き。
会議の隙間に、喫煙所という名の収容所に吸い込まれて行く人々。屋内だとガス室にしか見えないし、屋外だと高山にいるタイプの草食動物がいてもおかしくないような柵が張り巡らされている。そこへ自ら望んで入って行く私。タバコを辞めた当時はなかった電子タバコのスイッチを慣れた手つきで長押しする姿はどう見てもベテランそのもの。
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日々、ご機嫌に過ごしたいなあと思っているんです。
余裕がないときやどうにも処理できないモヤモヤ、怒り、悔しさ、泣きたい気持ち。大人になってもこんなにあるとは思わなかった。むしろ増えてない?思ったことをそのまま口に出せないことも増えて行く。
その中で、自分のご機嫌を取り戻すスイッチがあるってとても楽だなあと思うわけです。
昨年の大晦日、夫と大きい喧嘩をしまして。
どちらも疲れていたのだと思う。日々の仕事や家のこと、子どものこと。自分の方が辛いという気持ちを譲らず相手を責める悪循環。どうにもならなくなり義理の両親を呼び、結果私が謝罪する形でその場はおさまった。このときのシーン、今でもありありと思い出す。
私は自分一人では家庭を維持できないし子どもを育てていけない、母親なのに自分の我儘で外に出て働いて、母親なので自分の時間を持つには許可が必要、その結果誰かに負担をかけている。
誰もそんなこと言ってないんだけど。
そう思い感情の行き場を失ったとき、私はコンビニで煙草を買っていた。数年ぶりのタバコ、最初はむせこんだけど、2口め、3口めで深く吸い込み息を吐き出した。
深呼吸して、自分を回復させた。
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タバコは一度世界から自分を切り離して再起動するための役割もあるんじゃなかろうか。
集団の中で楽しいのに不意に違和感を感じ落ち着かないとき、連続性のある関係や居場所に息切れを感じたとき。脳内のスピードが追いつかないまま周りとの会話が続き、いきおいで放った言葉にあとで後悔することも多い。
コミュニケーションにインターバルが欲しい。ひと呼吸置きたい。
そういう時に一服という名のもと、ちょこっと世間から抜け出していたなぁと思い出す。タバコには自浄作用がある。
ああ、なんか、このペースだな。このペースが自分だなあと。
タバコである必要はないのかもしれない、ちょっとおおげさだったかも。でもお酒弱いし甘いもの胸焼けするしなぁ。このまえグミで歯の詰め物取れたし。
一度トイレなどで離席するのもいいかもしれない。でもさ、あんまり頻度高いと「あいつう○こしてんのかな」ってなりそうじゃない。え、ならない?私だけですかそうですか。
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正直、「母」という立場がタバコを吸っているって褒められたもんじゃない、という気持ちもあるんです。さらにいい年した女がどうなのという気持ちもなくはない。
ああ、これでもうモテないな…と悲しく思う反面、いやいやいやいや、お前モテたことねえじゃん、タバコ関係なかったわ!とも気づく。意外と何も失っていないのかもしれない。
子どもの前では吸わないようにします。
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長々と書きましたが、要するにタバコやめてたのに再開しちゃったよ!と言い訳を書き連ねているだけです。貴重な時間を使って一体何を読まされたんだ、とお思いのみなさま本当にすみません。まあそうカリカリしないで、よかったらどうですか一本。
菅井きんが言っていた。
「タバコも女優も命がけ」
女優じゃないけどさ、命かけるのかもさておいてさ、ご機嫌にいきましょう、全力で。
いやもうほんとそんなお気になさらず、あ、でもよかったらちょっとオススメの壺があるんです、どうですか、まあそんな遠慮なさらずに。