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6/23日記 自分語りってさ

自分語り多すぎとか、

不幸自慢ばっかりとか、

全部私が元彼に言われて嫌だった言葉だ。

色々言われるのって、自分のことをたくさん話しすぎて聞き手に回れてないからだと思うんだけど、

自分について話す中で自分を見つけるってすごく大事なことだと思うんだよね

自分の言葉の中に自分を見つけようとしてるんだよ

それが楽しいことなら普通の会話として受け入れられる

でも相手の受け入れ態勢が万全ではなかったり、そもそも仲良いわけではない相手だったりすると

“不幸なこと”は共有すべきじゃないんだって。

もちろんどんな相手でも、自分に対して大きな興味がないことを知った上で話すことが相手への負担を考えるという配慮に繋がるし、

それを知っているからこそ、ある人が言っていた、「不幸な話は、全く会話にしないんだ」っていう選択肢も大正解なはずなんだよね

それでもやっぱり仲良くしたい相手や、仲がいいと思っている相手へは楽しいことも不幸なことも共有したいんだ。

そして、共有したときに、興味がないようなら、それだけの関係だったってことなんだって、理解できるように私も強くならなきゃいけなくて、

じゃあ、生きていく中で大切なものや人がどんどん増えていって、みんな自分と自分の本当に近くの人間ばっかりを大切にしようって、そんな風になったら、

おのずと友達作りや、浅い関係(というより、深くなろうとする関係)なんかできやしないんじゃないかって、

大人って友達作りが下手になることじゃなくって、作った友達を大切にするために新しい友達ができる可能性を捨てることなのかなって、

そんな寂しい成長なのかなって。

合う合わない人間、もちろんいるだろうけど、

合わない人間と付き合う大変さや、その忙しい感情に疲れちゃう時があるだろうけど、

それでも、合わないかも知れない人間とうまく折り合えるように、

自分の幸せも不幸も、相手の幸せも不幸も、

単純に混在して、共有できるような、そんな場所に出会いたいなって。そんな場所でただ共有したいだけなんだなって。

そんなことを考えていた。今日は。

私たちが通っていた幼稚園や小学校って、そんな場所だったのかな。

そんな場所って、今となってはもう、SNSにしか存在しなかったりするのかなって。

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