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自己肯定感のかたまり

自己肯定感が大事なんですってね。
うんうん、わかります。

自己肯定感とは、ありのままの自分をこれで良いと受け入れることができる気持ちのこと。

…わかっちゃいるけど、ねえ。
ここからはわたしの身の上ばなしになります。


わたしには、夢がない。
ただ唯一、ずっと子どもがほしいと思っていたので、まあそれが夢といえば夢だったんだろう。
でもきっと自分以外の人たちは、子どもを持つのが夢というよりも、他に夢ややりたいことや人生をかけて取り組んでいることがあり、その上で家庭を持ち子どもも授かるものであって、わたしのこれは夢とは言えないって思ってた。
もし子どもができなかったら、なんのために生きていったらいいのかずっとわからないまま、無駄に健康な体で死ぬこともできずにだらだら生きていたと思う。
子どもを授かるまでは、病んでるまではいかないけれど、そんなふうに日々悶々とした気持ちで過ごしていた。


そんなこんなだったけど、ありがたいことになんとか子どもを授かることができた。
今は子育てが生きがいになっているし、子供のおかげで自分は生きていていいんだなという感覚になっている。
子どもが生まれたことでやっと自分を認めることができてきたような気がしている。
(あーでもこれって、子どもに対しては重いのかなと思ったりもするがどうなんだろう)

なぜ自己肯定感が低くなったのかの分析を事細かに書くのはやめておこうと思うけど、影響してるのは育つ環境でしかないんだろうな。
わたしの場合は、親から愛情を受けてないわけではないはずだけど、多分10代前半くらいからの家庭での出来事が影響してると思っている。
まあざっくり言うと両親の不仲的な話である。
自分がいなければ両親は簡単に離婚できたのに、自分がそれの邪魔をしている。
そもそも自分がいなければ両親は不仲になっていなかったんじゃないか、自分って生まれてきた意味あんのかな。
みたいに思っていた時期があったから。
書いてて悲しくなってくるわ。全く自己を肯定できてませんな。
もう今はここまで深刻には考えてないし、まあ夫婦もいろいろあるよねと思えるようになったけど。

でも、我が子には絶対に同じ思いはさせたくないなと思う。


幸いにも夫は、自己肯定感のかたまりみたいな人間だ。夫のお母さんがまた、愛情のかたまりみたいな人で。だからそのおかげだと思っている。(わたしのことも夫と変わらず娘のように接してくれている。本当にありがたい。)
夫のお父さんはというと、昔は仕事人間で、我が子を抱いたこともないと言っていた。きっとその分までもお母さんが愛情を注いでいたんだと思う。
きっと彼は、彼の母のように生きていれば、我が子に自己否定感を抱かせるようなことはしないと思って安心している。


親自身が自分を認められないと、そんな自分から生まれた子どもだからどうせ…みたいな気持ちで子育てすることになるってことだよね。
そして30年生きてきてみて、自分を卑下するということが、自分のことを好きでいてくれる人に対して失礼なことだというのも理解できた。
だから自分を愛せない人は誰かを愛すことができないってことになるんだよね。

今の自分はそんなことなくなってきたけど、子供が成長するにつれて何かしらおこる問題にぶち当たった時に、自己否定の気持ちが湧き出てこないとも限らないと思ってしまう。
元はわたしは自己否定感のかたまりみたいな人間だから。本当に今の状態で克服できているのか不安になる。
そもそも、そうやって不安になることがすでに自己を肯定できていないんじゃないか?っていうね。

あーもうよくわかんなくなってきた。
改めてもう少し自己肯定感について調べないとだめだな。


でもね、結論。
とにかく我が子には、なにがあっても最終的には
あなたは大切な存在だよ生まれてきてくれただけで嬉しいよ大好きだよ!と伝え続けていこうと思っている。
だって自分がもしそうやって言われたら幸せな気持ちになるよね?
難しく考えず、今みたいに我が子が大好きで仕方がない気持ちを持ち続けるだけでいいってことなんじゃないかな?それって簡単じゃないか?

なんかそう思ったらちょっと自己肯定感たかまってきたかも。
大丈夫だ、自分ならできるぞー
たかまってきたたかまってきた。


おしまい。




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