見出し画像

ぶきみくん

 ある時「ぶきみくん」という名前の猫がいた。正確にいうと「ぶきみくん」と名付けられた猫がいた。名付け親は私の母親である。どうしてそんな名前がつけられたのか。「ぶきみくん」が大変見目麗しくない猫だったからである。「ぶきみくん」はどこで怪我をしたのか片足をいつもひきずっていた。毛は所々まばらで、目にはやにがたまっているお世辞にも綺麗とはいえない猫だった。人が近寄るとぱっと逃げてしまうような猫、それが「ぶきみくん」だった。一体どこで何に傷ついたのだろう。喧嘩に負けたのだろうか。「ぶきみくん」はおよそ2ヶ月間ほど私たちの前に現れ、その後パタッと姿を見せなくなった。私が四日市に住んでいたころの話である。

 私は一度も動物を飼ったことがない。借家住まいが多かったからそれも仕方のないことなのだけど、動物がいる生活に憧れがなかったかというと嘘になる。妹などは動物の図鑑を集めていてそれを眺めることを趣味としていた。父親と空き地の前を通った時のことである。空き地の片隅から「みゃー」というか細い声を聴いた。その声に素早く反応した私は父を覗き見た。父は私の情が移らないようにと考えたのだろう。早く先に進むよう促した。その声を無視したのである。当時も借家住まいだったので猫を飼うことはもちろんできない。私は別段父親を白状とも思わずに、ただ仕方ないと一緒に無視を決め込んだ。捨て猫がその後どうなったのかは分からない。仕方ない、この一言で片づけてきたことが私の人生にはどれだけあっただろうかと愕然とする。それはほんの小さな頃から始まっていた。

 動物っけのない我が家とは対照的に、真向かいの家では猫を10匹近く飼っていた。正確な数は忘れたが、こうなるとちょっとした猫屋敷である。夕方になると飼い主がその猫たちにリードをつけて散歩する。その光景はなかなかに見ものだった。「にゃんにゃんにゃん」の大合唱に、私は幼い頃にはまっていた『ごろごろにゃーん』や『11ぴきのねこ』などの絵本を思い出した。猫の冒険は自由きままでいいなと思う。(私は犬よりもかなりの猫派である)その家の猫たちはかなり人間慣れしていて「ぶきみくん」のように逃げたりしない。私は彼らに随分遊んでもらった。

 猫をたくさん飼っている人というと漫画家の大島弓子先生を思い浮かべる。愛猫サバとの日々を綴ったエッセイ漫画が私は好きだった。私は動物の気持ちを人間が安易に代弁してしまうような作品があまり好みではないが、先生の作品は別だった。読んでいるとサバと話をしてみたいと思わされるから不思議である。彼女はサバ亡き後、グーグーという猫を飼い始めた。グーグーはペットショップで買ってきた猫であるが、先生は捨て猫がいると放っておけない質の人らしく、他にも多くの猫たちと暮らしている。そうして『グーグーだって猫である』という作品は生み出された。そこには色んな猫が登場する。中には人から見向きもされないような、「ぶきみくん」のような猫まで。捨て猫(犬)問題は難しい。ただ拾ってきて飼えばいいとは私も全く思わない。先生がされていることも本当にいいことなのかどうか私には分からない。ただもともと普通からこぼれ落ちてしまった人たちに対して優しい眼差しを向けてきた大島弓子らしいじゃないか、とも思う。彼女の紡ぎ出す物語に何人の人が救われてきたことだろう。(私ももちろんその一人である)「ぶきみくん」もあの捨て猫もやはり寂しそうにみえた。彼らのことを思い出すたびに、せめて「人に優しく」という言葉の重要性についてかみしめる私である。

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?