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生身のじぶんで、傷つきながらも生きていく。

前回の記事で、新しい心療内科へ行ったこと、処方された副作用について書いた。

今日は、
薬を服用しない決断をしたことと、
新しい決意について書きたいと思う。

私の脳の指揮をとるのは私だ。



この記事を書いたとき、はっきり話すことができず、歩くのさえフラフラしていて、本当に意識が朦朧としている感じだった。

私は最初、エスゾピクロンという眠剤の影響ではないかと思った。
以前もこの薬を服用した翌日同じようになったから。

そこで、この眠剤をやめて、抗うつ剤と、もともと飲んでいたニトラゼパムという眠剤の服用にした。

一夜明けた昨日、再び起き上がるのも困難なほどの倦怠感と眠気。

すべてが分厚いガラスに覆われたようにぼんやりと曖昧になり、頭が正常に働かない。

確かに、死にたいとは思わない。

でも、セロトニンが分泌されてハッピー!となったわけではない。

何の感情も湧かないレベルまで、脳みそが停止状態になってしまっただけだった。

まるで、脳を私以外の何者かに乗っ取られているかのような感覚だった。

あくまで私の身体との相性であって、すべての人がこうなるわけではないと思うし、抗うつ剤を服用することを否定するつもりはまったくない。


ただ、色々な抗うつ剤を試す度に副作用に悩まされることには、過去のうつ病経験でうんざりしていたし、

自分の脳みそを薬に乗っ取られるくらいなら、苦しみを苦しみのまま味わっているほうがまだマシだ、
と私は思った。

抗うつ剤の服用もやめて一夜明けた今、
頭の中はいつも通りクリアだ。

痛みも辛さも感じるだろうけど、
なにより「生きている」と感じられる。

わたしは、抗うつ剤の服薬を、いまは、しない。


どうしたって、ありのままの自分を受け入れたいんだ。

昨日はなんとか主人に無理やり起こしてもらい、
仕事に行った。

何度も顔を自分でビンタして、
脳を覚醒しようと試みて。

適当にお化粧して、着替えて、
とにかく駅に向かって歩き始めた。

職場について、どうにか仕事を始めることはできたけれど、頭をおおいつくす頭重感や夕方になるまでずっと続いていた。


休憩中、なんとなくnoteを見ていたら、
Sunaoさんの『願いはすべて、○○が叶える』という記事が目にとまった。

今の私にぐさーっ、ぴたーっときて、
思わずシェアしたくなった。


『願いはすべて、〇〇が叶える』
この○○に入る言葉は、あなたにとってなんですか?
という問いかけで始まる。


この記事を読んでくださっているあなたにとって、
○○にはどんな言葉がはいりますか?



私はすぐ、キーワードがポンポン出てきた。

まずひとつ目は、「受け入れる」

そしてふたつ目は、「ありのまま」

くっつけると、少し長いし、文章も変わるけれど…

『願いはすべて、
ありのままの自分を受け入れることで叶う』

という答えに辿り着いた。

アカウント名がもうaccepting myselfですから。
とにかく受け入れたい。
それも、ありのままの自分を。




これまで時間をかけて自分自身と向き合うなかで、
少しずつ少しずつ、ありのままの自分が分かるようになったと思っていた。
受け入れられるようになってきたと思っていた。


そして、
「今度は私が経験してきたことを、生きづらさを感じている他のひとにシェアする時だ!」
と動き始めた矢先に、
また体調がガタガタと崩れ始めた。


悔しいし、やるせないし、
焦りも、不安もある。

だけどSunaoさんは、同じ記事に、こういうことも書かれていて…

そのフェーズ(追い風が吹いている状態)にいく前に精神的にめちゃくちゃしんどい揺り戻しやアイデンティティクライシスが起こり消えてしまいたくなる時期が(人によっては)あったりします。

これ、まさに私かもしれない。と思った。
(※カッコ内は私が書き足しています)


疲れが積み重なったとか、
育児ノイローゼでとか、
そういう側面もあるとは思うのだけど、
どうせなら私はこう捉えたい。

私にはこれから追い風が吹いてくる。
これはその前兆なんだ。


これから私が私自身や、うつ症状に向き合う過程が。
生身の私のままで、傷つきながらも自分をあきらめないでいることが。

きっといつか、まわりまわって、
私にぴゅーぴゅー追い風を吹いてくれる。

そしてそれが、さらにめぐりめぐって、
私に縁する人や、
そのまた向こうの生きづらさを感じている人たちに、
届く日がくる。


そう信じて、休憩しながら、1mmずつ、すすむ。

今はただそれだけでいい。



ここまで読んでくださり、ありがとうございました🌸


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