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批判や評価しないで聞くという事(言いっ放し、聞きっぱなし)

ミーティングは、「言いっ放し、聞きっぱなし」というやり方で進めていきます。

誰が何を話そうと、それはあくまでその人個人の考え方として認められ、そのまま受け入れられます。それに対して誰も意見や批評を述べることはありません。

このルールと12の伝統のおかげで私は安心して分かち合いに参加できています。

こうして、仲間の話を最後まで聞いて、自分の話をすることによって、自分のことがよくわかってきます。

私は、大学へ進学し、大学院まで進学しました。ですから、基本的に人を批判しながら生きてきました(笑)自分が正しい側になるように必死で、自分がおかしいなと感じたことでも、「イエス」になるように考えていたと思います。

また、人を見た目で判断したりしていましたし、学歴や経歴やその人の仕事で人を無意識に評価していました。

今思えば、これまで生きてきて批判されないで話を聞いてもらうと言う経験があまりないことに気がつきました。批判には評価も含まれると思います。(いい評価もです)私は、大学と大学院まで進学しましたので、勉強は普通くらいだと思います。しかし、ACでもあるので、いい評価を強迫的に追い求めるようになっていました。いい評価を得るために、努力をして勉強します。心からそれが好きで、努力するのはいいことだと思いますが、評価や承認を求めて努力すると、後者はどこかで嘘が出てくるのではないかと思います。

また、私は母との共依存がありますが、母に物事を相談するといつも最後まで話を聞かれないでいました。母は私にアドバイスをしたり、私をかばってくれたりしていましたが、私の言ったことをそのまま丸ごと受け入れてくれると言うことがほとんどなかったと思います。母の行為は母の生育歴を見てみると当然の振る舞いでした。なので、母が悪いわけではありません、しかし、その影響を受けて私も同じように人に接していました。相手の話を全て聞く前にアドバイスや評価をしてしまうのです。そうして、どんどん孤立して行きました。

社会に出ると余計に批判や人から裁かれる機会は増えてきます。また、いまはネット社会ですから、多くの人が色々物事を考えて、様々なものを「評価」しています。

批判されないで評価されないで安全に生きる方法は、私の場合「知性」「知識」と言う武具を身につけて、自分の本心を隠して「孤立」することです。知性の発展は大いに歓迎するべきです。しかし、それを使って自分を守る「武器」にしてしまうと、それは同時に自分自身を傷つける存在にもなってしまうのだなと思います。また、全く外との関係を絶って「孤立」することも自分を守る方法でした。私は鎧と武器を身につけて「自分」の中へ避難しましたが、そこはひとりぼっちの暗く冷たい牢獄でした。さみしいと言う感情を感じることを封じ込めてひとりぼっちでポツンとしていました。(ACですから、依然としてその傾向があります)

また、「私は幸せ、恵まれている」と言う牢獄にも閉じこもっていました。とにかく、本心で生きたことがなかったので日常的に嘘を着くようになります。ですから、本当に助けて欲しい時に、助けてと言うことができないのです。振る舞いはいつもどこかちぐはぐでした。

また、そんな重たい鎧と武器を身につけている状態でしたから、とても重かったです。学歴や経歴も追い求めていました。人を、言っている内容などで判断せずに、学歴とか身につけているもので判断もしていました。承認を強迫的に追い求めていました。そして、私はそれに全く気がつきませんでした。

ミーティングでは「無名」の原則がありますから、そう言ったもので人を判断することはありません。(時々、わかることもあるのですが、話を聞いているうちにそう言ったものも気にならなくなります)ミーティングで話を聞いているうちに、自分がいかに厳しい価値基準で生きてきたかがわかってきました。

人の話を批判しないで最後まで聞くという経験は私にとって初めての体験でした。そんなのできていると勝手に思っていましたが、そうではありませんでした。

この原則で得たのは、人の話を批判や評価しないで最後まで聞くことで、自分自身も受け入れられることに気が付いたということです。自分の話が丸ごと受け入れられていると実感することで「安心感」を得て行きました。自分自身を受け入れられるに連れて、なんと他の人も受け入れられるようになってきました。

普通の人はそうやって生きてきたんだなと思います。別に、「知性」がなくてもいあその人が社会的に役に立たなくても、その人の経験や今の存在そのものに価値があると感じられるようになるにつれて、自己肯定感も上がってきました。

自己肯定感が上がるとまたさらに他の人も受け入れられるようになってきます。そうしたサークルが出来上がってきました。「普通の人」はそれがやすやすとできるのでしょうが、私はACで嗜癖がありますから、それが人よりも難しいです。ですから、ミーティングへ行き続けて、ステップを踏んで回復を進めて行きたいと思います。

ありがとうございました。神様の祝福とお恵みがあなたとともに豊かにありますように。

ACあお


サポートは全てミーティングの献金へ当てさせていただきます。 ACや依存症の問題で苦しんでいる仲間の為にも、サポートをよろしくお願いいたします。