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第18回「あなたの拠り所は何ですか?」を終えて

遅くなりすみません。だいぶたってしまいましたが、先日開催したAbuse Dialogueの振り返りを書かせていただきます。

テーマは「あなたの拠り所は何ですか?」でした。被虐待経験がないからなのか私は、拠り所と言われると反射的に「家族」が浮かびます。逆に家族以外の拠り所を考えると難しくなってしまいます。これは別に良いことでも悪いことでもありません。(決して優越感を感じているわけでも自慢しているわけでもないので、不快に思った方がいたらすみません)

今回の交流を終えて僕は、家族以外も拠り所になる可能性を知れました。家族だけが拠り所になりがちな私にもほかの拠り所だってできるという新しい発見をもらえたのです。やっぱり虐待問題に向き合うことはよりよく生きることにつながると実感してます。

さて内容に入っていきますね

人を拠り所にすることの恐怖心

 多くの人か感じていたのが、人を拠り所にすることへの恐怖心です。虐待経験によって裏切られたという感覚から人に対する不信感をつねにもつようになってしまった。人への執着心から依存的になってしまうことを繰り返してしまう。自分なんかが人に頼っていいわけがない、自分といたっていいことないというように閉ざしてしまうことも多いようです。
 そんな恐怖心の中で「万人に期待しすぎない」という感覚を持つことで少し気が楽になった方もいました。同じサバイバー同士でも分かり合えないこともあります。誰もが理解するなんて無理な話です。それを前提にすれば、「個の人とはたまたま合わなかっただけ」と思えるかもしれませんね。

人以外の拠り所をつくる

 これは、なるほどと思えました。アニメや食べ物、小さな楽しみを拠り所にするというものです。新作のアニメを見て、次の公開まで楽しみに頑張ろう。大好きなアニメがあるから生きられる。これも立派な拠り所ですよね。食べ物だってそうです。現地のおいしいものを食べるとか、今日はちょっと奮発して良いお肉を食べようなんていうものも今日の楽しみになり、それは生きる糧ともいえますよね。好きな靴下をはく、体を動かす、絵を描くどんなことでも小さな楽しみを持つことが拠り所にもなるようです。
 あとは、YouTubeやTwitterなどでつながるというのもオフラインでのつながりではないのでその面でいえば弱いつながりなのかもしれませんが、これだって大きな拠り所にはなりますよね。言ってしまえば、Abuse Dialogueもオンラインでのつながりであり、実際にあったことがある人なんてほとんどいません。でもつながりはできていますし、オフ会ができたらななんて思うこともあります。これって実体のない画面上の無機物なものにつながりを感じているともとらえられると思うんです。それでも立派な拠り所ですよね。
 人しか拠り所にはなり得ないという固定概念から離れることで可能性は広がりますね。

拠り所と依存の境界

 拠り所ってから回ると依存になりますよね。この境界ってとっっってもむずかしい。良い距離感を保つって本当に難しいですよね。
 そんな中でこんな話が出ました。「自立とは依存先を増やすこと」というものです。これは障害者の自立について東京大学の教授が述べていたものです。1対1で捉えると難しいですが、複数依存先をもつことで結果1つに依存しない状況を作り拠り所という位置にすべてのものがなるのかもしれません。ある意味で私のように「家族」が拠り所として一番に出てきて、ほかのものが出てこないのは依存先が少ない状態であり、あまり自立できていないのかもしれません。「家族」が1つの依存先になっても良いですが、もっと依存先があるのがきっといいですよね。となると「家族」が依存先になくたって、友達、仲間、Twitter、好きなもの、好きなこと...と拠り所がたくさんある人の方が自立しているともいえると思います。これはとっても大きな発見でした。

最後に

今回もとっても、濃い時間でした。皆さん参加してくださりありがとうございました。次回は、4月15日19:00~「インナーチャイルドについて」というテーマで行います。またチケット作ります。少々お待ちください。

マモでした!

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