見出し画像

花束みたいな恋をしていた

今から7年くらい前、僕がまだ30歳だった頃。

きっと僕も、花束みたいな恋をしていた。

中野のスタバで声をかけられたこと。高円寺駅の改札前で、おにぎりを食べながらOKの返事をもらえたこと。ウイルス性胃腸炎を患いながら、誕生日祝いのディズニーランドに行って(何故か)フラれかけたこと。阿波踊りの日に公園で酔い潰れて、救急車に乗ったこと。片道2時間以上かけて行ったヒマワリ畑に、20分しか滞在できなかったこと。突然の雨に降られて、雑貨屋の軒下で野良猫と雨宿りをしたことーー。お互いに努力と思いやりが足りなくて、彼女を深く傷つけたし、僕も食事と睡眠ができないほど傷ついた。幸せな出来事も、そうでなかった出来事もあった。最終的にはお互い別の人を探すという結論に達したけど、振り返るだけで「幸せな人生だったなあ」と思える恋だった。きっと彼女は、運命の人だった。思い出だけで生きていける、それだけで生きていた価値があると思える、花束みたいな恋を、僕はしていた。


2021年1月30日、映画『花束みたいな恋をした』を鑑賞した(独りで)。映画館で予告編を観てから、ずっと気になっていた作品だ。

「明大前駅の奇跡から始まる、ありふれたカップルの話」「ありえない設定の、あるあるラブストーリー」この作品を一言で表すなら、きっとこんなところか。趣味・嗜好の似た2人が、運命的に出会い、別れるまでの、【恋愛】を描いた作品だった。


作中でオダギリジョー扮するスタートアップの社長が「恋愛には賞味期限がある」という発言をしていた。僕もそう思う。正確には、寿命があると思う。寿命が尽きてしまったら、結婚をしていないカップルは別れてしまうだろう。一度寿命が尽きてしまった恋愛を蘇らせるのは難しい。結婚生活を送っている最中に寿命が尽きてしまったら、離婚するケースもあるだろうし、人生のパートナーとして関係を続けるケースもあるだろう。でも、関係が続いたとしても、それはもう恋愛と呼べるモノではないのだろう。

もちろん、寿命が尽きないケースもある。恋愛をした相手と結婚して、結婚後も恋愛をし続けて、一生を添い遂げる男女もいるだろう。これは経験談だが、恋愛の賞味期限や寿命は、お互いの努力や思いやりで伸ばすことができる気がすると思う。でも、その一方で努力や思いやりがなければ、寿命はあっという間にすり減ってしまう。


作中で一番キツかったのが、努力と思いやりを履き違えて、どんどん面白くない奴になっていく菅田将暉演じる麦くんだ。僕はこれがどうしてもできなくて、大して面白くない自分がさらにつまらない人間になっていくのが許せなくて、普通のサラリーマンにはなれなかった。でも、それが良かったのか悪かったのかはわからない。今、僕の隣に有村架純のような恋人はいない。そもそも恋人はいない。


作品終盤に、寿命の尽きてしまったボロボロな2人が、ファミレスで関係を模索するシーンでは思わず泣いてしまった。どうしても、堪えきれなかった。運命的な出会いを果たした2人は、きっと運命の人だったんだろう(「運命の人」の定義は置いていて)。でも、運命の人だからといって、ずっと一緒に居続けられるとは限らない。努力と思いやりが必要なのだ。

花束は、いつか枯れてしまう。でも、流行りの歌じゃないけど、ドライフラワーにすることはできる。綺麗な形のまま、部屋に飾っておくことはできる。捨てる必要はない。大好きだった運命の人と過ごした日を、かけがえのない思い出を、忘れる必要はないと思う。


もしこの先、別の運命の人に出会うことができたら。思いやりと努力を忘れないようにしよう。37歳のおっさんの発言とは思えないけど、少しでも寿命が伸ばせるように、大切にしよう。とりあえず、映画の半券を文庫本のシオリにすることから始めようと思う。

うーん。改めて振り返ってみても、いい人生だったな。

いいなと思ったら応援しよう!