見出し画像

もしも太宰治が、自分のAB型性を知っていたら?


2009年のことでしたが、作家、太宰治の生誕100周年を記念して、「人間失格」が映画化されました。その後も「人間失格 太宰治と3人の女たち」というのが上映されるなど、太宰治は、時を経ても話題にのぼる文豪のひとりです。

とはいえ、当時の文豪仲間たちや、あるいは文学に詳しい人や、そういう人々の、太宰に対する評価を聞いていると、気の毒なことに、誰しもが、そんなに褒めたことは言っておられないようです。

「金と女にだらしなかった」とか、「ひがみっぽかった」とか、「結局は中途半端な作家だ」とか、そんな発言ばかりが目立つのです。まあですから、「人間失格」とは、自らがそれを自認する告白だった…ということかもしれないのですが。そして、「女にモテた」というのは、多くの人が知るところなわけですが、すると男性陣たちは、そのことにもちょっと嫉妬していたのかもしれないな、なんてイジワルを、言いたくもなります。「あんなヤサ男のどこがいいんだ?」みたいな…。

いずれにしても、太宰治という人は、どこかつかみどころがなく、今風にいうなら、”不思議ちゃん”なのです。

彼の血液型はAB型です。

そういうと、「なるほど」と、納得する人も多いかもしれませんね。ついでに言っておきますと、私もAB型なものですから、彼の血液型的性質を理解できるだけに、ちょっと辛口なことを書いてしまうかもしれません。そのへんはご了承くださいね。

太宰は、「走れメロス」のような、これぞ、教科書題材!というような清々しい作品を書いたかと思うと、「饗応夫人」のように、洒脱に富んだ作品もあり、あるいは、今でも多くの読者ファンを魅了する、「人間失格」のようなダーティーな作品も遺しています。この多面的なところというのは、AB型作家の、ある種、特徴でもあります。たとえば遠藤周作(AB型)も、そうした創作傾向がありましたが、これにはAB型的な理由があります。

AB型については、二面性があると言っているのですが、これは二重人格とは少し違っていて、そもそも最初から、両極性を同時に備えているという感じです。A型物質とB型物質の、両方持っているのですから、それは想像に容易いと思いますし、またその、A型とB型というのが、ほとんど反対と言っていいくらい対照的な思考行動なわけで、その両方を持っているということは、自ずと、"二面性"というふうに、外部からは見えてしまうのです。

AB型は、常に対照的な、両方の思考のバランスをとりながら過ごしていると言っていいのです。その特異な感性、感受性は、創作内容にも影響するわけで、かといって小説家の場合、一つの作品の中で二面性を露出するわけにもいかず、したがって、純文学を書く一方で洒脱なエッセイを書いてみたくなったり、というように、毛色の異なる作品を書くことで、自分のバランスをとっているのだろうと思うのです。


「人間失格」はAB型について語っていた?

ではここで、今となっては、太宰治の代表作品となった「人間失格」について、血液型的視点で解説してみようと思います。この作品は、彼の自伝とも言われており、おそらくそうだろうとも思うのですが、実にAB型的な心の状態を、うまく描き表していると言えるのです。

彼は、「私は人間の営みがわからない」といいます。幼少の頃から、自分は他の人と違った感覚を持っていると感じていて、欺き合う人間たちを眺めながら、恐怖で身を縮めながらも道化を演じ、その場をしのいでいたといいます。

思春期ぐらいの時期には、血液型に寄らず、似たような感覚を持つ若者は多いかもしれません。だからこそ、太宰ファンは長年健在なのでしょう。しかしここでAB型が特異なのは、その様子を、子どもとは思えないほどに、客観的に観察し、的確な分析をしていることなのです。もちろん、子ども時代に、そのような巧みな言語表現で思考したわけではないでしょうが、感性においては、状態を割と正しく把握していたに違いなのです。

他の血液型の子どもたちなら、今日は誰と何して遊ぼうかとか、自分のことに夢中で、理解できない人々の言動に、いちいちこだわったりしないのではないでしょうか。

太宰は人間たちの営みを眺めて『恐怖』と表現していますが、おそらく多くの…AB型以外の読者たちは、これは単なる文学上の、やや誇張した表現だと捉えていると思うのです。ところがこれが、正真正銘の恐怖心なのです。

そもそもAB型は、分析能力が高いのですが、それはずいぶん幼い頃から発達するようです。子どもなら、考える前にやっちゃえ!みたいな無鉄砲さが普通なのですが、AB型の子の多くは、行動する前にあれこれ分析するクセが、かなり幼い頃から芽生えるのです。

太宰治は、そういうAB型性に加えて、利発な子どもでもあったのでしょう。だとすると、そんな小さな頃から、人間たちの営みがしらじらと見えちゃったわけですから、恐れおののくのも、致し方なかったのかもしれません。分析はできても、子どもは子ども、それへの対処法は分からないのです。

これは大小の差はあっても、子ども時代のAB型が共通して抱く怖れです。そのせいかAB型の多くは、怖れの中でどぎまぎしながら過ごしていた子ども時代を、あまり思い出したくないようです。ところが面白いことに、そういうAB型が、思春期も過ぎる頃になると、にわかに人への恐怖心を克服し、むしろ付き合い上手に大変身することが珍しくありません。

ただ、ここで勘違いしてはいけないのは、けして"人間"にすっかり慣れて、警戒心が無くなったとか、そういうことではなく、どちらかというと、付き合い方のテクニックというか、コツみたいなものを習得したという感じです。まあそれでも多くのAB型は、外面的には社会に溶け込んで、普通の人間に成長してゆくことになるのです。

太宰治は自分の子ども時代を、「道化師のように周囲を笑わせていた」と書いていますが、あるいは彼の場合は、利発過ぎたことで、早くからその、誤魔化しのテクニックを身につけてしまったのかもしれません。それは、充分に熟す前に皮をむいてしまった果物のようなものです。その後、どのように手を加えたところで、中味は未熟で酸っぱいままなのです。血液型的同胞でもあるAB型の私は、太宰治について考えると、そのように思えてしまうのです。

かく言う私も、実は若い頃、人々の中にどうしても馴染んでゆけない自分のことを、「人間として生きていけるのかしら?」と悩んだことがあるのです。まあしかし、私の場合は、「とにかく皆さんの邪魔にならないよう、静かに生きていこう」と覚悟したので、まあ死なずに、今も生かさせていただいているという訳なのです。

それに、その後私が、だいぶ人間らしく生きられるようになったのは、『血液型人間学』に出逢ったからに違いないでしょう。私が自分のAB型性について理解したときは、「なぁ~んだ」と、むしろガッカリしたのでした。自分は人々に馴染めないと悩む一方で、「どうせお前さんらには分からんだろう」というような、多少の優越感もあったのですよ。ところが、”これは生物学的に説明できることで、多くのAB型の共通点である” と、能見正比古の本の至る所に、これでもかと実例を出しながら書かれていたわけです。

まあ、何だか、拍子抜けしたというか、夢から醒めて正気に戻ったというか、その時の気分を表せば、そんな感じだったと思います。ということは、もしも太宰治が、『血液型人間学』のことを知っていて、AB型の性質を理解したとしたら、私と同じように、それほど悩まずに済んだかもしれないのですよね。もちろん自殺なんかも、しなくて済んだかもしれないのですよね。

なんてもったいないことを!!

いや待てよ。しかし…、彼が自分の悩みの根底は、AB型性に起因していると理解してしまったら、「人間失格」は書かなかったかもしれないな…。すると彼は、今ほどに異彩を放たなかったかもしれないし、こんなに後世まで、語り継がれなかったかもしれないな…。太宰治としては、果たしてどちらが良かったのだろうか…。

そんな要らぬ妄想が、私の頭を駆け巡るのでした。

----------------------------------------------

♡♥♡---血液型人間学をみんなのハートに届けたい---♡♥♡

お読みくださりありがとうございました。「なるほど」「うんうん」と共感していただけたら、"ハート"をクリック、よろしくお願いいたします。