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つながることしかできない。

午前1時。早くも本日1通目のメールが届く。送り主は今年で20歳になるユイ(仮名)だ。

「マジヤバイでんきとまる」

ユイは精神的に不安定な母親の下で育った。父親が誰なのかは母親も知らない。母親の入院や失踪のたびに児童相談所に保護され、母親が戻ってくれば自分も家に帰る。しかし帰ったところでごはんが出てくるわけでもない。覚えているのはいつも見知らぬ男が出入りしていたことくらいだ。

そんな生活の末、彼女は15歳で家を出た。しばらくは水商売を続けていたものの、トークに自信が持てず、今はワリキリ(個人売春)が唯一の収入源。「ピンハネがない。好きな時に働ける。コミュ力がいらない。」それが魅力だという。

さて、人は彼女をどう見るだろうか。母親をだらしないと責めるだろうか。ネグレクトが分かっていながら「家庭復帰」を続けた児童相談所を批判するだろうか。夜の世界に飛び込んだことを自業自得と切り捨てるだろうか。出会い系サイトの規制を叫ぶだろうか。

質問を変えよう。では、あなたには何ができるだろうか。ワリキリをやめさせるために、いかに危ないかを切々と語りかけるだろうか。それとも叱りつけるだろうか。他の仕事を紹介するだろうか。

そもそもこの社会は、彼女に今より魅力的な生き方を提案できるだろうか。

翻って、私はユイに何をしているのだろうか。実をいうと、私は彼女に何もしていない。正確にいえば、私は彼女に何をしてやることもできない。電気が止まっても、私が肩代りできるわけではない。ヒーローのようにピンチから救い出せるわけでもない。恋人として支え慈しむことも、父親として受け止め愛することも、私にはできない。

でも私は、彼女とつながっている。これも正確にいえば、私は彼女とつながることしかできない。私は彼女に、事あるごとに電話をかける。メールを送る。事がなくてもLINEでメッセージを送る。そんな無数のコミュニケーションから、私は彼女の「いま」を読み取る。SOSを拾う。

つながってさえいれば、少しは早く電気を復旧できるかもしれない。いい病院に連れて行けるかもしれない。せめて今日だけでも、温かい気持ちで眠ってもらえるかもしれない。いのちを守れるかもしれない。

つながっていなければ、彼女はすべてを失うかもしれない。

私はこうやって、若者たちとつながっている。私と彼らをつないでいるのは、このケータイが発信する微かな電波だけだ。


(出典)NPO法人子どもとメディア定期誌

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