日本人として

俺はクリスチャンだが坊さんの話は好きだ。
別に良いだろう?何が悪いんだ。

一部のクリスチャンは寺とか神社とか他の宗教に対するアレルギーがある。
彼らは良いものは良いと認めず、他の宗教に関心を持つ事すら許さない。偏った信仰感によってキリスト教という「宗教をやってる」のである。

寺とか神社は日本の伝統の一部でもある。手を合わせて拝んだりするのはクリスチャンとしてアレだが、坊さんの話をYouTubeで見ても良いだろう、勉強になる。

日本人の多くは仏教だ。俺の実家も親戚も仏教である。日本の仏教や神道のマインドは代々、昔から受け継がれていて日本人の心に染み込んでいるから親近感があるし、それらがベースとなって「武士道」といった価値観が日本人を日本人たらしめているともいえる。

俺はクリスチャンだが、線香の匂いや手を合わせて南無阿弥陀仏と唱える事の方にやはり親しみを感じてしまう。なぜならクリスチャンになるまでそれが当たり前で育ってきたからだ。
正直、教会で「ハレルヤ!」とやるよりも仏壇で「チーーン…」とやる方が慣れている。
しかし聖書の神を信じる者となった俺は、いくら仏教に親しみを感じても、南〜無〜阿〜弥〜陀〜……チーーーン…。…とは出来ない。

ところで俺はよく考えてみると仏教をキリスト教と並べて比較する様なものではないと思っている。俺が仏教について勉強不足だからかもしれないが、ある一種の「哲学」の様に俺は捉えている。逆にキリスト教は「歴史」に近い。遥か昔に書かれた聖書は歴史を写しているからだ。
両方、世間一般的に「宗教」にカテゴライズされているが、それが適切なのかは疑問だ。
まあ、単純に俺の勉強不足からくる疑問だろう。これについてはまず、宗教の定義とは何かを学ばなければならない。(もしかして拝んだりする事か?)
最後に誤解がない様に言っておくが、仏教や神道に親近感があるし、世界観を美しいとも思うが俺がクリスチャンである以上肯定したり賛同する事は出来ない。

2020.06.12

ps.韓国でのボイコットジャパンが下火になりつつあるが、主観的で視野が狭い人は風潮に単純に流されてしまうと思う。(感情的で理性に乏しい性格という要素も大いに関係する)
以前、国際教会でアメリカ人(アフリカ系?)からボイコットジャパンについてどう思うかと聞かれたが、俺は「意味がない」「目的やゴールがはっきりしていない」「自殺と同じ」だと答えた。近くにいる韓国人を目の前に答えにくい質問をしやがって…と思ったが。格好つけて国際人らしく装い、堂々と日本刀をバッサリ振り下ろした。こういうシチュエーションは外国人と話していると度々ある。日本人よりも政治の話をしたがるし、意見をはっきり求められる。外国に暮らす者として、こういった事態に備えていつも刃を研いでいる必要がある。



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